ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

5月のアーカイブ作業のこと

2010年10月30日 12時29分58秒 | その他
台風で奈良の小中一貫教育に関する研究会が中止になったので、すこしゆっくりすることができた。家で積み上げてあった資料を整理せよとの命令を受けて、重い腰をあげている。2010年6月に発行された『人間発達研究所通信』VOL.26(1)がでてきた。その中に、5月の連休にした田中昌人先生のアーカイブ制作集中作業に関する記事があった。栗本葉子(おおつ福祉会)さんが「田中昌人先生の「みかん箱」」という文章をよせている。次のような一節がある。

「30年前、京都大学の院生だったTさんが、田中昌人先生のゼミではじめて「障害児教育なるものに」ふれることができたのは、京都府城陽市、白梅病院(正式には、南京都病院重症心身障害児病棟(しらうめ病棟))の病棟内教育の見学・研修だったそうです。そのときの報告資料やTさんが直筆の「青やき」ができたのです。田中先生がこの資料を捨てずにきちんと保管していたということに感激され、Tさん本人でさえ忘れていた当時の思い出があふれるようによみがえってきたようでした。作業の参加者の中に、当時の白梅の実践と深く関わっていたUさんがおられたこともあり、一気に話がタイムスリップ、3日の午後はさながらに「ミニ学習会」のようになりました。ベッドに寝かされ、ベッドの柵の中にしか自由のなかった子ども達の教育権保障と集団、発達保障をかちとるために、さまざまな要求、運動や集会で訴えられたこと、「田中先生からそうした現場のナマの声や子どもの姿から学ぶことの大切さを教えてもらった」との言葉にとても大切なことが含まれていると感じました。本当に歴史の重みを胸に刻むひとときでした」

田中先生が、しらうめ病棟の子ども達の発達診断にいったとき、重症の子ども達に接して、「この子ども達は歯がきれいですね。看護婦さんやみなさんが大切にしてくれていることがわかります」とおっしゃられていたと、そのことを記憶し、回想してくれた当時の担当の先生の言葉が印象的でした。