「原爆を見た聞こえない人々」にまつわる手記をお送りくださり、ありがとうございました。感謝の意をメール返信でと思っていますが、それができないので、ブログ上に書き込みをしています。
無礼をお許しください。
「ドンが聞こえなかった人々」「沈黙のヒロシマ」(文理閣)は、外国の障害児教育の研究者への研究資料としてもっていくことがあります。写真、日本語、英語でそれぞれに表現されていることと、日本の障害のある人たちの生活があること、音のない人たちの表現を通して、なによりも戦争と平和のことを考えさせられるからです。これまで、写真家をパートナーにしているオーストラリア・グリフィス大学の研究者、アメリカ・シラキュース大学の研究者に手渡しています。
「原爆を見た聞こえない人々」として、ろうの被爆者の「声」を残していただき本当に嬉しいです。当事者たちの願いも踏まえていろんな苦労があった推察しています。その苦労をいろんな形で残していただき、後に続くものに示してほしいと思います。この手記をよみながら、襟を正して、歴史に向き合いたいと思いました。
ただ、残念なことに、「原爆を見た聞こえない人々」から学ぶ4話 最終話が文字化けして読めないところがありました。是非、その部分も含めて読ませてただければと思います。
裏方に徹している姿にいつも頭が下がる思いですが、これまでのことをまとめて語って残してほしい-それは自分だけのことではなく、歴史的な証言として障害のある人たちの代弁でもあるのではないかと思います。少し出しゃばりましたが、お許しください。
無礼をお許しください。
「ドンが聞こえなかった人々」「沈黙のヒロシマ」(文理閣)は、外国の障害児教育の研究者への研究資料としてもっていくことがあります。写真、日本語、英語でそれぞれに表現されていることと、日本の障害のある人たちの生活があること、音のない人たちの表現を通して、なによりも戦争と平和のことを考えさせられるからです。これまで、写真家をパートナーにしているオーストラリア・グリフィス大学の研究者、アメリカ・シラキュース大学の研究者に手渡しています。
「原爆を見た聞こえない人々」として、ろうの被爆者の「声」を残していただき本当に嬉しいです。当事者たちの願いも踏まえていろんな苦労があった推察しています。その苦労をいろんな形で残していただき、後に続くものに示してほしいと思います。この手記をよみながら、襟を正して、歴史に向き合いたいと思いました。
ただ、残念なことに、「原爆を見た聞こえない人々」から学ぶ4話 最終話が文字化けして読めないところがありました。是非、その部分も含めて読ませてただければと思います。
裏方に徹している姿にいつも頭が下がる思いですが、これまでのことをまとめて語って残してほしい-それは自分だけのことではなく、歴史的な証言として障害のある人たちの代弁でもあるのではないかと思います。少し出しゃばりましたが、お許しください。