黒柳本『トットのッ欠落帖』を、一連の経緯の中で読んだ。長い間、持ち歩いて読んでいたので、カバーがぼろぼろになってしまった。
ことし、自分自身の「欠落」について思うところがあり、これまでの自分自身の歩みを振り返ってみたりする。「常識」という点でも、難あり。
結婚式の祝儀を知らなかったりするところは、ちくっと刺さるものがある。知らないので、おみやげ、ご祝儀などなど、理解しがたいところがある。わたしも「欠落」している。ありがたいと感じるのも鈍感である。
黒柳さんが、早食いで、多弁のことを記しているが、早食いは共通している。僕自身は食べ物にこだわりもあまりないが、自分自身の食の経験が乏しいことにも思い当たった。みんなは、「給食はまずかった」というが、給食には食べたことのないものがでた、「パン」「ハムカツ」などなど、それと「牛乳」も、山羊の乳で育ったものとしてはおいしいと感じていた。そんなこともあったので、給食はとても早く食べた。おいしいものを、味わって食べるという経験は乏しいのだろう。
幼稚園の職場にいたとき、言葉とは裏腹の感情については鈍感だった。「欠落」も、黒柳さんの場合には、個性だが、私の場合は顰蹙である。
この本、おもしろいのだた、苦い味もする。