『馬鹿一百人』については、『ちえおくれと歩く男』に登場すると思う。以前、読んだが・・・。
相馬御風から、「手をつなぐ子等」を絶賛する手紙をもらったのだが、それを田村敬男にわたして、ついにもどってこなかったことを、ぶつぶつ言っていたとのこと。これは、今日、吉永先生から伺った。あまり人のことを恨んだりしなかった田村一二だが、この件は何度も聞いたとのこと・・・。
不思議です。田村敬男の「人が綴ったわが人生」には、じつにそっけのない田村一二の文章がある。その恨みからか?それとも・・・。
Wikiより
相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)
日本の文学者、詩人、歌人、評論家。新潟県西頸城郡糸魚川町(現糸魚川市)出身。早稲田大学大学部文学科英文学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。
相馬御風から、「手をつなぐ子等」を絶賛する手紙をもらったのだが、それを田村敬男にわたして、ついにもどってこなかったことを、ぶつぶつ言っていたとのこと。これは、今日、吉永先生から伺った。あまり人のことを恨んだりしなかった田村一二だが、この件は何度も聞いたとのこと・・・。
不思議です。田村敬男の「人が綴ったわが人生」には、じつにそっけのない田村一二の文章がある。その恨みからか?それとも・・・。
Wikiより
相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)
日本の文学者、詩人、歌人、評論家。新潟県西頸城郡糸魚川町(現糸魚川市)出身。早稲田大学大学部文学科英文学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。