ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

田村敬男『荊冠80年』あすなろ、1987年

2020年02月25日 21時26分30秒 | 田村一二
田村敬男『荊冠80年』を読んだ。田村の生涯を病床で綴ったもの、書き綴ったものの最後が、「船岡寮の運営について」の書きかけの文で終わっている。
(前略)その中で忘れ得ぬ問題がある。T女が
編集者注として、「原稿はここで筆が置かれている。死の2日前という(後略)」とある。
田村敬男の回想録。1986年12月20日、82歳の生涯を閉じた。数奇な生涯というのか、何と表現してよいのかいまのところ言葉がみあたらない。書かれたことを歴史に照らしながら再度、その周辺を探ってみたい。
目次の骨子、概要のみ記しておく。

生い立ち
退職して社会科学書を取り扱う
思い出をつづれば・・・。
民衆の英雄 山本宣治氏(山宣)
学術・教養・文学・科学書の出版
戦時下企業整備とその活動 大雅堂発足
出版社の良心
戦後に歩んだ道
晩年、福祉の仕事に専念

「京都書肆変遷史―出版文化の源流」を点検のこと

中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』幻冬舎新書、2020年1月

2020年02月25日 17時32分30秒 | 
中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』を、仙台にいく新幹線の車中で読み終わった。NHKスペシャルを担当したディレクターが著者、その書籍化。
2018年8月に放送された「“駅の子”の闘い-語り始めた戦争孤児」は、福岡教育大学での講義の導入に紹介し、本庄豊さんの『戦争孤児』に書かれていた福井清子さんと福岡教育大学の合唱団の話をした。今年度(2019年9月)も、福岡教育大学の集中講義でその話をして、NHKスペシャルを学生さんたちにみてもらった。はじめ、なんの話?と不思議そうだったが、じわっとわかっていってくれたようだった。
その後、八瀬学園について調べて、ようやく、その概要を書くことができた。まだ、不十分だし、戦争孤児と障害児施設について、近江学園に即して、考えてみることも課題となっている。そう思っているところに、出版されたのがこの本である。『障害児の生活教育研究』に、「鈴木健二の戦後体験と近江学園の20年」の研究ノートの冒頭にこの本を紹介しておいた。
この本に関して、不思議なことは、「駅の子」の写真を紹介する本庄豊さんについての紹介はあるが、この本と重なる『戦争孤児―「駅の子」たちの思い』(新日本出版、2016年)の紹介がないこと。

目次は次の通り

プロローグ-たった70年前、ここに孤児たちがいた

第一部 戦争が終わって闘いが始まった-焼け野原に放置された「駅の子」
 神戸空襲で「駅の子」になった
 上野駅で見た地獄
 孤児の保護施設・板橋養育院の悲劇
 学童疎開の犠牲者
 引き揚げ孤児の悲劇
 路上生活で視力も失う
 「戦争孤児」んお保護を後回しにした国
 奮闘した民間の保護施設-1000人の子どもを保護した愛児の家
 「靖国の遺児」と呼ばれた子どもたち
第二部 嫌われていった「駅の子」ー復興から取り残され、やがて忘れられ
 対策を指示したGHQ
 始まった強制収容「刈り込み」
 オリに閉じ込められた戦争孤児
 復興から取り残されていく「駅の子」
 路上で野良犬のように扱われる
 社会に逆らって生きると決めた
 転落していった子どもたち
 日本を去った戦争孤児
「駅の子」たちのいま

エピローグ-取材を終えて