今日、2021年1月22日は、核兵器の開発や保有、使用などを全面的に禁止する核兵器禁止条約が、批准した50カ国・地域で発効した日となった。
『湯川秀樹日記1945』の解説を興味深く読んでいる。広島の原爆が、当時どのように報道されたかを新聞から拾っている。湯川が読んでいたのが朝日新聞で、1945年8月11日、「帝国、米に厳重抗議 原子爆弾は毒ガス以上の残虐」との見出しがあり、それ以後、朝日新聞は「新型爆弾」「新爆弾」「原子爆弾」の表現が混在するという。毎日新聞は、「原子爆弾」の表現は敗戦までは使わず。
興味深いのは京都新聞。1945年8月9日、「原子爆弾 的米英必死で研究」と記事があり、8月13日にも「原子爆弾 既に独ソ戦で応用」との記事ありで、「原子爆弾」の内容と表現があることである。
日本政府と軍部は「原子爆弾」の表現は敗戦まで使わず。だが、8月10日、広島での「陸海軍合同特殊爆弾研究会」にて「原子爆弾たりと認む」と10日中に、大本営に発送されているとのこと。この会議には、広島の調査をおこなった仁科・川勝らの物理学者が参加した。
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