小沼通二編『湯川秀樹日記1945 京都で記した戦中戦後』は興味深かった。
湯川秀樹の戦中の京都での記録である。京都を中心とした障害児教育史をたどっているが、戦中戦後の京都のあり様を全般として知りたいと思っていた。田村一二関係では、「新型爆弾」という表現ではなく「原子爆弾」という表現がいつくらいから一般化されたのか、大雅堂という出版社の戦中戦後の動向やGHQの出版言論統制のことが気になっていた。解説で「占領軍の言論統制」について詳細に検閲・削除の方法が示されている(p.216-)。湯川の出版物も修正があったこと、敗戦後1年での心境の変化ともども変化を対照していた。京都大学での終戦終結直後の書類焼却についての記録と解明も重要だと思う。
また、京都の馬町空襲のことや京都帝国大学でのF研究(これは、2020年8月15日に放送されたNHK特集ドラマ「太陽の子」のモチーフとなっもの、その一か月ほど前に自死した三浦春馬も出演していた)、そして広島原爆投下後の調査、京都学派と呼ばれた哲学者との交流などについても記述があることでも、貴重なものだと思った。
小沼通二の「解説」がおもしろい。ほかの記録などと対照させて「湯川秀樹日記」に記述された事実を読み解き、その背景を説明して見せている。日記は事実を記述しているが、湯川の心情は和歌になっている。それが解説の終盤におかれている。
末弟の戦死の方をきく:「弟はすでにこの世になき人とふたとせをへて今きかんとは」など8首 P.247
原子雲:「天地のわかれし時になりしとふ原子ふたたび砕けちる今」など3首
核兵器禁止条約が発効したことは先に書いたが、湯川の「今よりは世界一つにとことはに平和を守るほかに道なし」という和歌をそえ、小沼が最後に記した、「個人・家庭・社会・国家・世界系列の中から国家だけを取り出して、これに唯一絶対の権威を認めたこと」が誤りだったとして、国家の絶対性と決別したのだった(p.249)とのことばを結びとしておく。
本に付箋を付けたが、この本は図書館から借りたもの。
小沼の解説は以下の内容
1.はじめに 湯川のあゆみ/日記
2.当時の情勢 広がる世界大戦/枢軸国の敗色/幸福の選択肢がない全滅と自決/日本空襲 被災者の戦後 飢餓/京都の馬町空襲/広島・長崎の報道/戦争終結直後の書類焼却/占領軍の言論統制
3.湯川の行動と思索 京都大学と東京大学で/旅行/原子爆弾開発を目指した海軍のF研究への参加/熱戦吸着爆弾開発と湯川の視察/占領軍の軍事研究調査/吉井勇との交友/哲学者たちとの交流/湯川の思索/ヒューマニスト湯川の形成
京都新聞での報道について、記者の峰政博が経緯を書いている。
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