元ももクロの早見あかりが主演。
ももクロには詳しくないので、彼女がなぜグループから外れたのか知らない。それでも紅白出場時には、歌唱中にメンバーが彼女へのメッセージを送ったとも言われていて、今も強い絆があるようだ。
「百瀬」と「ももクロ」の連想ではないだろうが、見事なキャスティングだ。
この映画のために髪を切ったらしいし、役に成りきった演技が印象的だった。「野良猫のような挑戦的な目つきの少女」というイメージにぴったりだ。ももクロに残ったメンバーとは別のフィールドだが、スクリーン上で輝いていた。
ストーリーは、以下のような内容だ。
バスケ部エースの宮崎先輩に頼まれて、学校内で恋人同士であるような芝居をすることになった相原ノボルと百瀬陽。百瀬と宮崎先輩は実は付き合っているのだが、先輩のステディである神林さんの目を欺くための芝居なのだ。
そういう不自然な状況に戸惑い、うじうじと悩むオタク気質の相原に対し、百瀬は積極的に芝居をリードする。心に後ろめたさややりきれなさを抱えつつの芝居のはずなのに、それを感じさせない屈託のなさだ。しかし、それでも隠しきれない一抹の不安が時々垣間見える、といった複雑な演技を上手にこなしていたと思う。田舎の高校1年生には見えなかったが、そこは仕方がない。
クライマックスは、ダブルデートのシーンだ。これは『大人ドロップ』と同じだ。
拾ったボールで、4人でキャッチボールに興じるシーンは、楽しくもあり切ない4人の関係を象徴するようなシーンだ。
しかし、不自然な関係は突然終わりを迎える。
相原と百瀬の、早朝の川原のシーンが美しい。寝起きのため化粧気のない素朴な百瀬がいとおしい。
宮崎先輩役の男優があまり格好良くなく、演技もいまひとつで、堂々としていないことは難点だ。
それから、15年後の相原として向井理が出て来るが、15年経っても過去を消化できていないようなのは痛すぎる。原作では大学卒業間際の設定だからちょうどいいのだが、向井理の年齢に設定を合わせてしまったのは失敗だったのではないか。
全体に、アイドル映画としても、青春映画としても、充分満足できる内容だった。
ももクロには詳しくないので、彼女がなぜグループから外れたのか知らない。それでも紅白出場時には、歌唱中にメンバーが彼女へのメッセージを送ったとも言われていて、今も強い絆があるようだ。
「百瀬」と「ももクロ」の連想ではないだろうが、見事なキャスティングだ。
この映画のために髪を切ったらしいし、役に成りきった演技が印象的だった。「野良猫のような挑戦的な目つきの少女」というイメージにぴったりだ。ももクロに残ったメンバーとは別のフィールドだが、スクリーン上で輝いていた。
ストーリーは、以下のような内容だ。
バスケ部エースの宮崎先輩に頼まれて、学校内で恋人同士であるような芝居をすることになった相原ノボルと百瀬陽。百瀬と宮崎先輩は実は付き合っているのだが、先輩のステディである神林さんの目を欺くための芝居なのだ。
そういう不自然な状況に戸惑い、うじうじと悩むオタク気質の相原に対し、百瀬は積極的に芝居をリードする。心に後ろめたさややりきれなさを抱えつつの芝居のはずなのに、それを感じさせない屈託のなさだ。しかし、それでも隠しきれない一抹の不安が時々垣間見える、といった複雑な演技を上手にこなしていたと思う。田舎の高校1年生には見えなかったが、そこは仕方がない。
クライマックスは、ダブルデートのシーンだ。これは『大人ドロップ』と同じだ。
拾ったボールで、4人でキャッチボールに興じるシーンは、楽しくもあり切ない4人の関係を象徴するようなシーンだ。
しかし、不自然な関係は突然終わりを迎える。
相原と百瀬の、早朝の川原のシーンが美しい。寝起きのため化粧気のない素朴な百瀬がいとおしい。
宮崎先輩役の男優があまり格好良くなく、演技もいまひとつで、堂々としていないことは難点だ。
それから、15年後の相原として向井理が出て来るが、15年経っても過去を消化できていないようなのは痛すぎる。原作では大学卒業間際の設定だからちょうどいいのだが、向井理の年齢に設定を合わせてしまったのは失敗だったのではないか。
全体に、アイドル映画としても、青春映画としても、充分満足できる内容だった。