WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

沖縄の旅 -沖縄旅最終地は糸満-

2022年10月11日 | 沖縄
海人工房資料館
糸満は昔から漁業が盛んで、船大工などの職人も多く造船技術にも優れていた。その歴史が展示されている。観覧料300円。
何という偶然か京都のある高校生達が修学旅行で来場していた。「団体利用のため今日は一般人の入場は遠慮いただいている」と言われたが、京都から来たと言うと「遠いところを来ていただいたから」と修学旅行生の写り込んだ画像をSNSに上げないという条件で観覧させていただけることに。なのでアップ写真は限定されてます。他にも関連道具や技術の興味深い展示があります。昔の造船技術に興味ある方にはお薦め。
中国交易船の模型。冊封子もこれで航海してきた。
漁具。水中メガネは木製だった。
船底に溜まった海水を排水するための道具。

造船用の工具類。

漁船、サバニ。
 
うみんちゅ市場と遊食来(ゆくる)
うみんちゅ市場は海産物市場。遊食来は物産センターと食堂。
価格的には南城市奥武島の市場、食堂の方がお買い得感はある。ただこちらは見るからに朝水揚げされたといった鮮度感がある。キンメダイ、タコ、ウニ他種類も多く、捌きたてのアラのセットは格安。1日2回マグロ解体ショーもある。
 
糸満うまんちゅ市場。農産物が安い。

オクラ、20本くらい入って110円!
海ぶどう100円!那覇よりうんと安い。

今日のお昼は「マアボーカツ丼弁当?」と島バナナ。
双子の島バナナ!なんかカワイイ。沖縄特産島バナナ、お味はリンゴ+バナナのような味。
 
糸満海のふるさと公園
糸満うみんちゅ公園。とにかく広い。オジイが1人ゲートボールの練習をしていた
半分の柱が浮いてる意味不明デザインの東屋。
ワイヤーではなくモノレール式。何ともこった作りのジップライン。
これまた意味不明の造形物。噴水?
沖縄の伝統家屋。
意味不明の広場。最初、スケボーの練習場かと思った。
後で海人工房の方に聞いて分かったのですが、この公園は昔の糸満の港町を再現する、というコンセプトで30年前に作られたんだそうな。
この広場も元は海水!が張ってあって船を浮かべたり魚を泳がせて模擬漁をやって見せたりしたんだそう。しかし結局、管理しきれなくて今はこの状態なんだそう。確かにちょっと勇み足というかやり過ぎた?
年度内にとにかく遣ってしまわないといけない金を交付されると往々にしてこういうことになる。
現代の漁船と昔の伝統的な漁船(サバニ)。
 
珍品堂の工場カフェ。
再訪。今日は開いていた。よかった。お茶して特売の「わけありちんすこう」450円を買う。

沖縄の旅 -那覇バスターミナル、沖縄県庁-

2022年10月11日 | 沖縄

座間味から那覇に戻ってきてから那覇バスターミナル近くのドミトリーに連泊していますが、これは大正解でした。那覇バスターミナルからはバスで沖縄本島のどこへでも行けるし、那覇周辺だけを回るならレンタカーよりもうんと安くて時間も節約できる。なにしろ沖縄は車社会、那覇周辺の車の大混雑・渋滞はハンパではないのだ。

那覇バスターミナルの待合所。バス旅案内もある。
バス路線は複雑だし、場合によってはお徳なチケットもあるので相談するとよい。

待合所にはコンビニ、イートインもある。


那覇バスターミナルから5分くらいの所に沖縄県庁舎がある。隣には那覇市庁舎が並ぶ。

県庁地下にはスーパー「かねひで」が出店していて、バスターミナル付近に宿を取れば価格もスーパー価格なので安くて便利(那覇は物価が高い!)。弁当が山のようにたくさん売られている。おそらく県庁、市庁の職員が買うんだろう。

県庁から道路を挟んで向かいにショッピングモール「パレットくもじ」と「RYU BOデパート」がある。
「RYU BOデパート」にはレストラン街もある。価格は普通。
ポーク缶の特売199円(1人2個まで)をお土産に買う。本土だと4~500円する!また夕方買い増ししよう😀
近くに郵便局もあるので、200円くらいの300g缶30個をゆうパック80サイズ(沖縄ー京都1,630円)で送ればずいぶんお得になるw。


RYU BOデパート食品売り場にはなんと冷蔵コインロッカーがある!
10時の開店から20時まで500円で使用でき、しかもスゴいのが取り出せば500円が返却される!時間内なら無料で冷蔵庫替わりに使えるのだ😮。ちなみに20時を過ぎて残っていれば処分されてしまうらしい。
買い物して冷蔵ロッカーに一時保管し、用事を済ませた後取り出して持ち帰るという使い方だろうか?

沖縄の旅 ー軽便鉄道(けいびんてつどう)与那原駅舎跡資料館ー

2022年10月10日 | 沖縄
軽便鉄道(けいびんてつどう)与那原駅舎跡資料館。
観覧料100円。
戦前、沖縄にもちゃんと鉄道が3種類あった。戦争で全壊。
1.けいびん
小型の蒸気機関車の列車。那覇を起点に南は与那原、糸満、北は嘉手納まで走っていた。
2.路面電車
那覇市内のいわゆる市電。
3.鉄道馬車。
馬が引く鉄道で与那原ー泡瀬間を走っていた。

展示に詳しい解説がされているのですが、残念ながら個人記録用撮影はOKなものの、SNSへのアップは御法度。興味ある方はググってください。
なお、この後「与那原綱挽き資料館」を観覧したくて探したのですが見つからず。地元の方が一緒に案内してくださったのですが、綱挽き用品の保管倉庫になっていて(地元の方もご存じなかった)「展示資料館は移転した」と簡単な貼り紙告知が。結局移転先分からずじまい。
「どうせ見に来るやつなんかいない」と、案内もおざなりなのかもしれませんが、やはり県外者にも広く認知してもらうためにも、ももとさんのお墓といい、もうちょっと丁寧さ親切さが必要なのでは?私のような物好きもいるので🤗

さて見学後、周辺でお昼を食べようと食堂を探すも全て休店。休日だからだろうか。コンビニもない。
途方に暮れかけていたところ、近くに賞味期限切れ食品を安く販売する”もったいない”店「eco eat」を発見。
助かったあ。

1㍑コーラ100円、お菓子各30円、インスタント中華丼280円。
近くの公園で、昼食にインスタント中華丼を試してみることに。
本来、災害時用の備蓄品らしく、過熱材までセットになっていてこの1パックだけで暖かい中華丼が食べられる!
セットの中身。下がご飯と具。上が加熱キット。
取説。
加熱キットの発熱剤(おそらく「貼るカイロ」と同じ)、食材パックをポリ袋に一緒に入れ、30分待つ。
袋の中で湯気が上がっている。
出来上がり。さすがに美味いというほどではないが十分食べられる。
この後、沖縄県立博物館で教えてもらった「百度踏揚の墓」に再挑戦。何とかたどり着くことができました。
顛末は10月5日投稿に。

沖縄の旅 -沖縄県立博物館・美術館 と 那覇大綱挽き祭-

2022年10月09日 | 沖縄
沖縄県立博物館・美術館
今日は大綱挽きの日。綱引きは夕方の予定なのでその前に博物館へ。
別々だった旧博物館、美術館を統合移転新築したそう。建物はすごく立派。時間が無く博物館しか見ていませんが(料金は別々)中味もかなりの充実度。よくこんなに古文書や古物が残っていて集めたものだと感心しました。
琉球の歴史・文化を展示だけでなく映像、体験コーナーなどで多角的に観て楽しめます。じっくり観れば1日かかるでしょう。ここを観覧するためだけでも沖縄に来る価値があると思う。
館内の展示は、個人用の写真撮影は許可ですが、一部を除いてSNSなどへの投稿は禁止。なので建物の様子と1部許可の展示のみ写真を載せておきます。
たまたま、博物館友の会主催の尚氏による琉球統一の歴史講座が行われていて勉強もできました。以前の投稿に書いたように講座解説者の方から「百度踏揚の墓」への行き方も教えていただくことができました。



三線の型7種類の展示と解説。おそらくここでしか見られないのでは。


昼食は隣の大ショッピングモール「NAHA MAIN PLACE」のフードコートで。
那覇はおおむね物価が高い。とくに国際通りやおもろまちは。
ショッピングモールのフードコートはまだましなので遅めのお昼ご飯に利用した。豚冷しゃぶ定食600円。
 
さて、肝心の那覇大綱挽き祭。
会場へ行ったらものすごい人だかり。人混みをかき分けて会場の久茂地交差点へようやくたどり着いた。

え~~~~~~~~~~~~~~~~っ
周りの人に聞くと、「今年はコロナで規模縮小のため、綱も細く作られた。そのせいかは分からないが切れてしまったので終了だそう」とのこと。がっかり、残念無念。
仕方がないので前方の人達が解散し始めたところで前へ行って「後の祭り」を撮影。
文句言ってもしょうがない。3年ぶりの開催もコロナ禍で規模縮小、綱も例年より細くし、挽き手も約1万人から事前申し込みの3500人に限定。
人いきれでむちゃ暑いし、もういいかな。次はもう、テレビかネットで見ればいいや。

沖縄の旅 -那覇大綱挽き祭 前日祭-

2022年10月08日 | 沖縄
午後の那覇大綱挽き祭り前日イベントまで国際通りブラ。観光案内所や沖縄工芸館のあるてんぶす那覇前ではRBCのテレビ中継中。
なんと日本人ばっかり!たまに欧米系外国人。祭り前日なのに人出は少ない。平和通りも市場通りもシャッター降りたままの店?も多い。今さらだけどインバウンドはすごかったんだなあ。


琉球着物は美しい。

呉服店向かいの旧牧志公設市場。現在は移転閉鎖。土地建物の今後は不明。

店主のおかあさん(おバアと言うにはまだ若い)の話。
数年前までは向かいの牧志公設市場で店を出していたけれど、地主が市場の土地を売ったので追い出されてしまった。(現在、牧志公設市場は西寄りに仮設移転中)
昔は京都の呉服店ともつきあいがあって京呉服を扱っていたこともあった。インバウンドのころは「せんべろ(千円でベロベロに酔える店という意味)」みたいなのがやたら増えて雰囲気が悪くなってしまった。
インバウンドが消えてこれからいい方に回復してほしいけれどお店仲間も減って残念です。
 
明日、大綱挽きが開催される久茂地交差点の商業施設「パレットくもじ」ではプレイベントが行われていた。
午後3時から予定されている「高校生ダンスコンテスト」観たさに早々の場所取り
お待ちかねの高校生ダンスコンテスト。動画は重たいのでYouTubeから。


沖縄の旅 -座間味島ー

2022年10月06日 | 沖縄

海が美しい沖縄でも宮古島、八重山諸島と並び賞される慶良間諸島の1つ座間味島。一度は見ておきたいと訪れました。結論から言うと一度見ておけばいいかな。

慶良間諸島は、沖縄本島南部の那覇市から西に約40kmの東シナ海に点在する、大小20余りの島からなる島嶼群である。沖縄県に属する。沖縄諸島に含まれる。 ウィキペディア

座間味島へは那覇泊港からフェリーで約2時間、往復割引で4,090円(+2,000円で所要1時間の高速船もある)。

安慶名敷島の先端、アゲナシク浜。
フェリーから撮影。これぞ慶良間ブルー!無人島。座間味島からチャーター船で渡る。

座間味島は海岸線が入り組んだ複雑な形だが、長方形で囲えば縦4㎞×横5㎞ほどの小さな島。人口も400人に満たず、そのほとんどは座間味港のある500m四方ほどの座間味集落に集中している。昔はカツオ漁が盛んで鰹と鰹節が主産業だった。その美しい海が知れ渡った現在はダイビングなどのマリンスポーツと観光業で、その担い手も中心は昔からの島民よりマリンスポーツに関わる外来の人たちだ。みなとのフェリー待合室兼土産物売店・観光案内所の店番の女性は東京出身ということだった。

私はもうマリンスポーツをする歳でもないので美しい景色を楽しむだけの観光。てか、マリンスポーツをしない人には景色を見るくらいしか無い。
昔からの島民の人たちと交流したくてもそういう施設も機会もない。沖縄戦では本島上陸の前に真っ先に米軍が上陸し、「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と洗脳されていた住民たちの中には自決に追い込まれた人たちもいた。なのにそんな悲惨な「黒歴史」を知らしめて平和を願い築こうという意思表明が全く感じられない。これも観光依存、外国人依存で生きることを選んだ島ならではの忸怩たる生き残り策なのかもしれない。南城市では住民あげての、戦争を二度と起こしてはならない強い平和希求の意志を感じたのだが…。

絶景地を回れるように、あまり島民は使わなそうな観光道路だけは住民のいない島の端まで整備されている。標高は200mもないが道路の起伏は激しいので歩いて回るのは大変だが、レンタルバイク(6時間3,700円)を利用すれば1日でも島全体を回れる。今回は奮発してレンタルバイクを利用しました。

一応、村営バスもある。当然ながら本数は少ないが時間を見てうまく利用すれば、古座間味ビーチや神の浜など港近くの観光ポイントはバスでも回れるだろう。

高月展望台
島のもっとも高所にあるので島のほぼ全体を見渡せる。

アゲナシク浜も見える。

絶景ではもっとも有名かもしれない神の浜展望台。特に夕日がきれいと評判。

マリリンの像
対岸の阿嘉島に住む雄犬シロが、座間味島に住む恋人ならぬ恋犬マリリンに会うために海を泳いで渡ってきたという。一応実話とされているが作り話のような”島伝説”。

港から最も遠いイノー浜。
さすがに海の家のような観光施設はない。♪今はもう、だれもいない海。穴場っぽいけれど、それでもオンシーズンにはさすがに海水浴客でにぎわったことだろう。

ビーチには軽石がまだ残っていた。


古座間味ビーチ
まだまだ暑いがシーズンも過ぎているのでさすがに人は少ない。外国人が多い。米軍関係者か?

古座間味ビーチの「海の家」

店員のお姉さんもマリンスポーツウーマンだろう、小麦色を通り越してこげ茶色。聞いてはないがとても根っからの島民には見えない。

本日のお宿、ZAMAMI INTERNATIONAL GUEST HOUSE。
経営者は外国人(アメリカ人?)だった。


島に3軒あるお店で”最大”の何でも屋「105ストアー」
食品から雑貨、衣類、道具類まで生活に必要なものはほぼそろう。
お値段はもちろん安くはないが、思ったほど高くはなかった。本島の1~2割増しくらい。

座間味島感想文
海と景色はもう最高。一生に一度は体験しておくべきと言ってもいいくらい。
ただ、それ以外何も無い。
まず地元民が見えない。言ってる意味分かりますかね。
もちろんジモジモらしき人はいるのはいるんだけど、伊江島や津堅島などで感じた地元に誇りを持って盛り上げて行こうという気概、暮らしの息吹・魅力を感じない。
地元民はあまり利用価値が無さそうな観光アクセス道路ばかりが延びている。
絶景とマリンスポーツで好きなことして暮らしていこうという、言葉は悪いがヨソ者が大きい顔をしている島。島作りもそれに沿って観光客にいかに金を落とさせるかという視点でなされている感じ。良くも悪くも「観光化」の典型。
「yakuruya」という島の海と観光案内のハコモノも新設されていたが、島の歴史や生業、風俗、習慣、沖縄戦についての情報はほとんど無い。
私は、おそらくもう来ることはないと思う。

沖縄の旅 -百度踏揚の墓-

2022年10月05日 | 沖縄
南城市にあるグスクロードに沿ってグスク跡群と南山王ゆかりの史跡、陵墓を巡る。
とりわけ行きたかったのが、当時の首里王府、尚泰久王の長女百度踏揚の墓。

百度踏揚
絶世の美女で、当時勢力を拡大しつつあった勝連按司 阿麻和利に政略的に嫁がされる。ところが阿麻和利が首里王府打倒を画策していると知り、付き人大城賢雄とともに阿麻和利の元を離れ首里王府に阿麻和利の計画を知らせる。阿麻和利は大城賢雄率いる首里王府群に滅ぼされ、彼女は助け出してくれた大城賢雄の妻となる。しかし、二人目の夫もこれまたクーデターで自害させられる。出身地南山に落ち延びた彼女は、弟の住む玉城城に駆け込んで生涯を閉じる。まさに戦国の世に振り回された悲劇の王女(写真はある方が百度踏揚に扮したイメージです)。


墓に参って往時を偲びたかったのですが、Google Mapを頼りに探し回ったものの見つかりませんでした。Google Mapのポイントはどうみても入り込めそうもない藪の中。炎天下、小1時間探し回って諦めました。
その後各地を回ってあきらめきれず、沖縄県立博物館でたまたま行われていた琉球史講座のボランティア解説員の方に行き方を教えていただき、5日後再び訪れてようやく探し当てることができました。
 
グーグルマップで検索すると「百度踏揚の墓」示す地点が2つも出てくる!?
しかし、片方は山の藪の中、もう一方は山の上のグスクロード公園近くの草むら、???
5日後、博物館で解説ボランティアの方に教えてもらった場所はどちらとも異なっていた。どうしてこんなことになってしまったんだろう?見つけた「墓」の解説板に「昭和37年(1962年)に中学校建設に伴い現在地に移転」とあった。でもグーグルマップが示すどちらのポイントにも中学校など影も形もない?

さんざん探し回っているとき案内板を見つけた。しかしその方向に行ってみても見つからず。

代わりに見つけたのは、嶺井妙美さんという方のお墓。
ホームレスの救済に尽力された方だとの説明。これはこれで立派な方なのだが...。

結局この日はあきらめたのですが、5日後見つけたので”続き”の後日談。
どうしても百度踏揚(ももとふみあがり)さんに会いたくて再挑戦、やっと会えました🥰
Google Mapsに表示される2つ!?のポイントはどちらも間違ってます!ご注意。ま、私みたいな物好きはいないと思うけれど、ももとさんに会いに行こうという物好きな方のために行き方を説明しておきます。
 
那覇バスターミナルから琉球バス50番百名バスターミナル行きで約1時間、富里下車。
近くの富里公民館と並ぶ正泉井(湧水)向かいの道(写真の右手、角に太い木がある道)を約200m上がっていくと南城市陸上競技場の駐車場に出ます。
駐車場を奥へ(グラウンドが見える)いくと百度踏揚の墓の矢印標識があります。

実は最初見つけられなかった日にあった木の案内板の方向に山道をどんどん歩いて行くと、嶺井妙美さんの墓を経由して下の写真左上に見えている階段に出てこれるのですが、その時はここへ出てくるまでにあきらめてしまったのがかえすがえすも残念でした。ただ、その道は徒歩でしか行けない山道なので、知らなければ不安で私のようにあきらめる人もいるでしょう。地図も掲載するとかもう少し親切な案内があってもいいのにと思いました。
車で行くならここで紹介した道以外ありません。陸上競技場の駐車場をめざして行けば見つけやすいでしょう。
標識から20mほどの所に来た道と逆方向に上がる階段と百度踏揚を解説する看板があります。
階段を20mほど上がると左手にさらに階段が続きます(Google Mapsの間違いポイントにも同じ写真あり)。
階段を10mほど登ったところがももとさんのお墓。夫の阿麻和利亡き後、庇護を受けて共に暮らした弟さんと一緒に祀られています。
看板の説明によると、このお墓も1962年に中学校新設に伴い元あった場所から移転されたそうです。琉球組踊りや物語では悲運の王女として広く語られているのに、亡くなって600年以上たってもつくづく不遇な扱いを受け続けられていることが不憫でなりません。
「百度踏揚」は実は本名ではなく「神女(みこ)名」。古琉球では神事を司る「神女」役の女性がいて、彼女もその1人だったと推測されています。墓碑銘に「百度踏揚按司加那志」とあり、これが彼女のフル「神女(みこ)名」。「按司」は領主や代官、彼女のような「神女」など何らかの役職に就いていた人の尊称のようです。
墓碑銘が「百度踏揚按司悲し」とも読めるのがまた哀れを誘ってしまいますね。
 

沖縄の旅 ー陸軍病院南風原壕群20号ー

2022年10月05日 | 沖縄

陸軍病院南風原壕群20号
虚妄の「大東亜共栄圏」を旗印に、資源と労働力収奪を目的に侵攻した中国大陸、朝鮮半島、東南アジア、グァム・サイパン、ミッドウェーなどの太平洋諸島、ミクロネシア諸島を次々と奪還され本土決戦寸前まで追い込まれていた日本皇国軍。
本土決戦準備のための時間稼ぎの捨て石とされた沖縄戦。沖縄に配備された第32軍は、アメリカの大群上陸にもちこたえられず、住民を盾に犠牲にしながら南へ南へと敗退を繰り返し南端の地摩文仁で自らが鼓舞してきたはずの玉砕さえも果たすことなく、身勝手な自決で雲散霧消してしまうことになる。
陸軍病院南風原壕も首里から遁走してきた皇国軍が南風原住民を強制動員して手掘りで掘らせた病院豪群であった。そのほとんどは米軍の爆撃などで崩壊、現在その第20号豪だけが観覧可能な跡地として公開されている。
国が遺族懐柔とアリバイ作りのために作った国策「平和祈念」公園なんかよりよほど訪れる価値がある。

朴訥と語る戦後生まれのおかあさん案内員さん。
父親は酒に溺れ、だらしない父と軽蔑感も抱いていた。その後、生き別れたが何年かたって偶然再会。後に父親を知る人から「一人生き残ったのが辛かったのだろう」と聞き、父親から沖縄戦の話を聞かされたことはなかったが、父の辛さを漸く理解でき後々まで悲劇をひきずる戦争を2度と起こしてほしくないと案内員を買って出て続けているのだという。

沖縄戦終盤、劣勢の日本軍は軍病院を南風原村(当時)へ移した。
村民を動員し手掘りで病院壕を掘らせた。
女子学徒隊も動員され看護にあたった。負傷兵が亡くなると初期には埋葬もしたが、末期には麻酔薬もなく押さえつけて手術したり、亡くなると爆撃でできた穴に切断した手脚と一緒にゴミ捨て場のように放り込まれた。
いよいよ戦況悪化しこの地も放棄し摩文仁へと死の行軍撤退。動けない者には青酸カリ入りのミルクが渡された。


豪内に残されていた医薬品。

手掘りで壕を掘った時に使われたツルハシ。


憲法9条の碑。町民各世帯500円ずつ出し合って建立されたそうだ。町民の平和への強い決意がうかがわれる。
左は犠牲者慰霊(組まれた祈りの手)と平和への願い(上部が平和の象徴ハトの翼をモチーフ)を込めたモニュメント。


沖縄の旅 -南風原文化センターで知る沖縄戦-

2022年10月04日 | 沖縄

南風原文化センター
陸軍病院壕跡が「文化遺産」として保存されている。壕跡も見学できる。
単なる歴史資料館でなく、町と町民の平和への強い想いが伝わってくる。
国が遺族懐柔とアリバイ作りのために作った国策「平和祈念」公園なんかよりよほど訪れる価値がある。

沖縄戦、このバカげた戦争の本質、それは、
「日本軍は県民も国民も守らなかった!」
ただこの1点に尽きる。

 
沖縄戦終盤、劣勢の日本軍は軍病院を南風原村(当時)へ移した。
村民を動員し手掘りで病院壕を掘らせた。
女子学徒隊も動員され看護にあたった。負傷兵が亡くなると初期には埋葬もしたが、末期には麻酔薬もなく押さえつけて手術したり、亡くなると爆撃でできた穴に切断した手脚と一緒にゴミ捨て場のように放り込まれたという。
いよいよ戦況悪化しこの地も放棄し摩文仁へと死の行軍撤退。動けない者には青酸カリ入りのミルクが渡された。

沖縄の旅 -浦添グスク跡、ハクソーリッジ、京都の塔ー

2022年10月03日 | 沖縄
浦添城跡は沖縄戦で破壊し尽くされ、今はわずかな痕跡を残すのみ。城壁群も大半が戦後新たに修復構築されたイミテーション。
前田高地、攻める方も守る方もバカげた戦争に駆り出され犬死にを強いられた日米の民草の怨念の地。
、宗教上の教えから「人は殺さない」と衛生兵を志願し、多くの負傷米兵を命がけで救助したデズモンド・ドスを称える独善的米映画ハクソーリッジの舞台。
あれから77年も経つのに朝鮮、ベトナム、イラク、イスラエルとパレスチナ、アフガン、ロシア、中国、何より世界中にちょっかいを出してはマッチポンプで死に神産業で稼ぐ、アメリカを筆頭とした国々。そんなアメリカに尻尾を振るばかりのポチポチニッポン。
果たして人間は地球上に存在することを許されて良いのだろうか?どっかのチンケな宗教がいう神に召されるかサタンに落ちるかではなく、実は人間の存在そのもなのがサタンなのではないのか。
 
京都の塔
ここには京都、島根、強制連行されてきた朝鮮人の3つの沖縄戦戦没者慰霊碑だけがある。残りの都道府県の慰霊碑は摩文仁の丘と近くの「平和祈念公園」にある。
悲惨な自殺行為的時間稼ぎの無駄死に玉砕戦に沖縄の人々を巻き込んでしまったことへの慚愧の念を碑文に刻んでいるのは京都の碑だけである。他は全て「祖国日本のため勇敢に戦い無念の死を遂げた」などと未だに戦時の誤った犯罪的なプロパガンダに沿った碑文ばかりなのである。事実は、日本国民をアメリカに売り渡して天皇制維持の命乞いをした最悪の卑劣漢、売国奴、昭和天皇(その事実は政府中枢の極秘文書などで明らかにされている)と、それを利用して日本の占領と戦後処理を独占したかったアメリカのためであった。こんな体たらくでは犬死を強いられた戦没者も浮かばれない。
 
 

沖縄の旅 -佐喜真美術館-

2022年10月03日 | 沖縄
「原爆の図」で有名な丸木夫妻が描いた「沖縄戦の図」がメイン。滲み技法を使った筆致で沖縄戦の地獄が迫ってくる。画家の力量はすごく感じた。
同じような技法を使ってても岩崎ちひろの優しい画とこうも違ってくるんだ。
ただ、だからこそ、なぜこの絵が沖縄に展示されているのか疑問が湧く。
写真でお見せしたいところだが、当然ながら撮影禁止。
未だに「安全保障」の負担を沖縄に押しつけて能天気に「へいわ」のぬるま湯にどっぷり浸かっている本土のバカ共にこそ見せつけて少しは恥を知らさせてこそ意味もあるだろうに。ひどい目に遭わされた沖縄の人たちに見せて、辛い体験を思い出させ、追い打ちをかけるようなことをして何の意味があるのか。
屋上から普天間基地が見渡せるというので来てみたがたいして見えなかった。

沖縄の旅 -中城城跡、中村家住宅ー

2022年10月03日 | 沖縄
中城城跡。
当時の築石垣技術3種を1カ所で見られる効率の良さはある。石門の天井に座喜味城のくさび方式は使われていない。強度が弱い気がするが実際、天井の厚さは座喜味城より薄い。パンフレット解説に「来沖したペリー提督はその石積みを賞賛した」とあるが、座喜味城の石組みの方が優れているように思った。ペリー提督の目は節穴だった?🤣。沖縄のグスク跡では最もよく当時の状態が残っているそうだがだだっ広いわりには中身が薄い印象。私的には勝連城が城としての機能、美しさでも群を抜いていると思う。
 
中村家住宅
15世紀、今帰仁城から引っ越してきた護佐丸の中城城築城を担った名家。詳しくは解説パンフを。
 
隣の民家の外壁にずらーと掲げられていた川柳陶板。
クスッとするものから沖縄の現実を詠んだものまで。それにしても本土にはない粋なお宅。

沖縄の旅 -津堅島 ホートゥガー(湧水跡)ー

2022年10月02日 | 沖縄
津堅島から本島に戻るフェリー待ち時間に近くのホートゥガー(湧水跡)を見に行く。
ホートゥガー(湧水跡)とは、水道がないころ島民の貴重な生活用水源だった湧水。遠くの人は水を汲みに来るのは大変だったろう。
フェリー乗り場から約10分。険しい石灰岩礁と海の眺めはなかなかのもの。穴場だと思う。なんと今日昼神谷荘ライブにいたという千葉の方と出会う。観光ビーチじゃないしまさか来る人がいるとはビックリ。
港へ戻るとき気付いたのですが近道があった。沖縄独特のお墓が並んでいる墓地のようなので他所からの人には案内していないのでしょう。
 
フェリー待合室に荷物を置いてホートゥガー(湧水跡)を見に行く。
港左手の階段を上がり道へ。
途中、道端に咲いていた花。後で分かったのだが「ハマホッス」という植物らしい(後述)。
ホートゥガー(湧水跡)入口。
海岸の階段を下りた下の方にある。岩礁の海はなかなかの絶景。
途中にある「道祖神」のような祠。
階段下の長方形の浴槽のようなものが湧水溜め。

海岸から下りてきた階段を振り返ってみる。
後で気づいた墓地の近道に並んでいたお墓。
墓地入り口付近の民家に飼われていたヤギ。
 
後日、沖縄県立博物館に行った際、ホートゥガーへの道で見つけた不思議な花の正体が判明しました!
ハマボッスという植物。有史以前から存在し、琉球・奄美群島の地殻変動による離合の結果、3種類のハマボッスが特有の分布をするようになった、生きた化石みたいな植物だったのです。白い花と赤い花が共存している種類(紅ハマボッス)は南琉球生まれ。それが、地殻変動により南琉球と中琉球が陸続きになったときに中琉球にも繁殖。再び地殻変動により南琉球と中琉球が別れ、中琉球のハマボッスは固有の少し大きい白花に変化。同様に中琉球と北琉球にも起こり、北琉球のハマボッスはまた違った固有の小さい白花に変化固定された。さらに白花が固定された中琉球と南琉球がまた地殻変動で離合し赤白花の南琉球固有種が再び中琉球に入り込み結果、中琉球には赤白花と大きい白花の2種類が分布するようになった。学術研究論文もあるそうです。
解説の写真をお見せしたかったのですが撮影禁止でした。別途、中城村の資料館の解説がネットに公開されていましたので参考にしてください。
ハマボッスの解説(中城村歴史資料館)