https://tsukenjima.peatix.com/
https://tsukenjima.peatix.com/
座間味から那覇に戻ってきてから那覇バスターミナル近くのドミトリーに連泊していますが、これは大正解でした。那覇バスターミナルからはバスで沖縄本島のどこへでも行けるし、那覇周辺だけを回るならレンタカーよりもうんと安くて時間も節約できる。なにしろ沖縄は車社会、那覇周辺の車の大混雑・渋滞はハンパではないのだ。
那覇バスターミナルの待合所。バス旅案内もある。
バス路線は複雑だし、場合によってはお徳なチケットもあるので相談するとよい。
待合所にはコンビニ、イートインもある。
那覇バスターミナルから5分くらいの所に沖縄県庁舎がある。隣には那覇市庁舎が並ぶ。
県庁地下にはスーパー「かねひで」が出店していて、バスターミナル付近に宿を取れば価格もスーパー価格なので安くて便利(那覇は物価が高い!)。弁当が山のようにたくさん売られている。おそらく県庁、市庁の職員が買うんだろう。
海が美しい沖縄でも宮古島、八重山諸島と並び賞される慶良間諸島の1つ座間味島。一度は見ておきたいと訪れました。結論から言うと一度見ておけばいいかな。
慶良間諸島は、沖縄本島南部の那覇市から西に約40kmの東シナ海に点在する、大小20余りの島からなる島嶼群である。沖縄県に属する。沖縄諸島に含まれる。 ウィキペディア。
座間味島は海岸線が入り組んだ複雑な形だが、長方形で囲えば縦4㎞×横5㎞ほどの小さな島。人口も400人に満たず、そのほとんどは座間味港のある500m四方ほどの座間味集落に集中している。昔はカツオ漁が盛んで鰹と鰹節が主産業だった。その美しい海が知れ渡った現在はダイビングなどのマリンスポーツと観光業で、その担い手も中心は昔からの島民よりマリンスポーツに関わる外来の人たちだ。みなとのフェリー待合室兼土産物売店・観光案内所の店番の女性は東京出身ということだった。
私はもうマリンスポーツをする歳でもないので美しい景色を楽しむだけの観光。てか、マリンスポーツをしない人には景色を見るくらいしか無い。
昔からの島民の人たちと交流したくてもそういう施設も機会もない。沖縄戦では本島上陸の前に真っ先に米軍が上陸し、「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と洗脳されていた住民たちの中には自決に追い込まれた人たちもいた。なのにそんな悲惨な「黒歴史」を知らしめて平和を願い築こうという意思表明が全く感じられない。これも観光依存、外国人依存で生きることを選んだ島ならではの忸怩たる生き残り策なのかもしれない。南城市では住民あげての、戦争を二度と起こしてはならない強い平和希求の意志を感じたのだが…。
絶景地を回れるように、あまり島民は使わなそうな観光道路だけは住民のいない島の端まで整備されている。標高は200mもないが道路の起伏は激しいので歩いて回るのは大変だが、レンタルバイク(6時間3,700円)を利用すれば1日でも島全体を回れる。今回は奮発してレンタルバイクを利用しました。
一応、村営バスもある。当然ながら本数は少ないが時間を見てうまく利用すれば、古座間味ビーチや神の浜など港近くの観光ポイントはバスでも回れるだろう。
高月展望台
島のもっとも高所にあるので島のほぼ全体を見渡せる。
アゲナシク浜も見える。
絶景ではもっとも有名かもしれない神の浜展望台。特に夕日がきれいと評判。
マリリンの像
対岸の阿嘉島に住む雄犬シロが、座間味島に住む恋人ならぬ恋犬マリリンに会うために海を泳いで渡ってきたという。一応実話とされているが作り話のような”島伝説”。
港から最も遠いイノー浜。
さすがに海の家のような観光施設はない。♪今はもう、だれもいない海。穴場っぽいけれど、それでもオンシーズンにはさすがに海水浴客でにぎわったことだろう。
ビーチには軽石がまだ残っていた。
古座間味ビーチ
まだまだ暑いがシーズンも過ぎているのでさすがに人は少ない。外国人が多い。米軍関係者か?
古座間味ビーチの「海の家」
店員のお姉さんもマリンスポーツウーマンだろう、小麦色を通り越してこげ茶色。聞いてはないがとても根っからの島民には見えない。
本日のお宿、ZAMAMI INTERNATIONAL GUEST HOUSE。
経営者は外国人(アメリカ人?)だった。
島に3軒あるお店で”最大”の何でも屋「105ストアー」
食品から雑貨、衣類、道具類まで生活に必要なものはほぼそろう。
お値段はもちろん安くはないが、思ったほど高くはなかった。本島の1~2割増しくらい。
知念グスク跡
南山王の出城だった。
玉城グスク跡
尚泰久王の次男、三津葉多武喜の居城。王の長女にして悲運の王女、百度踏揚も波乱の末に余生をここで閉じた。
陸軍病院南風原壕群20号
虚妄の「大東亜共栄圏」を旗印に、資源と労働力収奪を目的に侵攻した中国大陸、朝鮮半島、東南アジア、グァム・サイパン、ミッドウェーなどの太平洋諸島、ミクロネシア諸島を次々と奪還され本土決戦寸前まで追い込まれていた日本皇国軍。
本土決戦準備のための時間稼ぎの捨て石とされた沖縄戦。沖縄に配備された第32軍は、アメリカの大群上陸にもちこたえられず、住民を盾に犠牲にしながら南へ南へと敗退を繰り返し南端の地摩文仁で自らが鼓舞してきたはずの玉砕さえも果たすことなく、身勝手な自決で雲散霧消してしまうことになる。
陸軍病院南風原壕も首里から遁走してきた皇国軍が南風原住民を強制動員して手掘りで掘らせた病院豪群であった。そのほとんどは米軍の爆撃などで崩壊、現在その第20号豪だけが観覧可能な跡地として公開されている。
国が遺族懐柔とアリバイ作りのために作った国策「平和祈念」公園なんかよりよほど訪れる価値がある。
豪内に残されていた医薬品。
手掘りで壕を掘った時に使われたツルハシ。
憲法9条の碑。町民各世帯500円ずつ出し合って建立されたそうだ。町民の平和への強い決意がうかがわれる。
左は犠牲者慰霊(組まれた祈りの手)と平和への願い(上部が平和の象徴ハトの翼をモチーフ)を込めたモニュメント。
南風原文化センター
陸軍病院壕跡が「文化遺産」として保存されている。壕跡も見学できる。
単なる歴史資料館でなく、町と町民の平和への強い想いが伝わってくる。
国が遺族懐柔とアリバイ作りのために作った国策「平和祈念」公園なんかよりよほど訪れる価値がある。
沖縄戦、このバカげた戦争の本質、それは、
「日本軍は県民も国民も守らなかった!」
ただこの1点に尽きる。