TVニュースによると、飛騨乗鞍岳方面で今年お初のまつたけが採れたとのこと。
青果市場で5本が2万円で落札されたそうな。もちろん安くはないですが、意外と高くもない。京都の“みやこまつたけ”は1本でも2万円位しそうですから。
梅雨時期に季節を勘違いして出てくるまつたけは、地方によって「つゆまつたけ」とか「さまつ」とか呼ばれていますが、飛騨地方では「なつまつたけ」と言われているそうです。
TVニュースによると、飛騨乗鞍岳方面で今年お初のまつたけが採れたとのこと。
青果市場で5本が2万円で落札されたそうな。もちろん安くはないですが、意外と高くもない。京都の“みやこまつたけ”は1本でも2万円位しそうですから。
梅雨時期に季節を勘違いして出てくるまつたけは、地方によって「つゆまつたけ」とか「さまつ」とか呼ばれていますが、飛騨地方では「なつまつたけ」と言われているそうです。
マツがほとんど無くなってしまった山の尾根筋で、まずはアカマツ林復活を目指して整備をしています。
尾根の上の方にはまだ松も残っており実生がふえるのを期待して除間伐、地掻き。
地掻きした腐食層は斜面を横切る作業道の土台として埋め立てに利用。
大根葉をついばむヒヨドリ
割り木の虫をねらって。ジョウビタキ
なぜかキセキレイ
残念ながら写真は撮れてませんが他に、シジュウカラ、ウグイス、コジュケイ、モズ、エナガ...など。
こちらもご覧ください。
まつたけ山での作業中に見つけました。
きれいな黄緑色、フクロウみたいな形。
ね。
<答え>
ヤママユガ科の蛾、ウスタビガの繭です。
幼虫は主にコナラ、サクラなどの葉っぱを食べます。今回、ぶら下がっていた木はアオダモでした。卵で冬を越し、春に孵化、初夏に繭を作り、秋には成虫となって出て行きます。なのでこの繭は空き家。
まつたけ山の作業小屋にスズメバチが巣を作っていました。
巣の周りをシートで覆って“バルサン”を焚き、ハチが逃げたり弱った隙に
巣を棒で叩き落としつかみ出したEさん、Aさん。
この年代の方は勇敢というか無謀というか。尊敬し呆れてしまいました。
私はビビッてハチアブジェットをかけまくりましたがちっとも効かなかった。
という名の「飲み会!?」が綾部でありました。
フロート式キャブというのがあるのを始めて見ました。
13年も物置の肥やしだったチェンソーがゾンビのようによみがえって大喜びの玉城さん。
会場提供、宴会で歓待いただいたIさん。
乳母車ならぬ生き返ったエンジンランマーで遊ぶ、御歳85歳!とは思えないお元気。恐れ入りました。
先週、まつたけ山作りの仲間で米作りをしている田んぼで田植え機を初体験。
(写真は榎本さんより)
手植えは体験したことがあるのですがあれは大変でした。チョコット遊び半分で体験するならともかく、一人で一反分ほど植えるとなると終わったら、昔のおじいちゃんおばあちゃんのように腰が伸ばせなくなってしまいました。
農作業も機械化で田植えも便利で楽になったものです。ただ今回使わせてもらった田植え機は型が古いものらしく、方向転換時などいくつものレバーを同時に操作しなければならず、やっぱり慣れないともたついて汗だくでした。まあ、腰に来ないだけでもずいぶんマシですが。
でも、近郊のたかだか一反ほどの田んぼに、トラクターのような自走式の大きな田植え機で田植えしているのを見かけたりすると、「こんなのあり?」と少々疑問もわいてきます。
10月10日、粟田神社神幸祭に行ってきました。
今年もまつたけ十字軍の仲間ザッケローニ・吉川さんが剣鉾巡行を行います。
何年も続けている吉川さんもさすがに寄る年波には勝てず?差し上げのとき少しよろめいてヒヤッとさせる場面も。なにしろこの剣鉾40kgもあるといいます。なんとか差し上げて立派に鈴の音も出ました。
この日は手づくり市仲間の刻紙庵さん製作の切り絵灯籠が使われる、八瀬秋元神社の奇祭赦免地踊も見に行く予定をしていましたが、日を1日間違えてしまっていました!。実際は10月9日、残念。赦免地踊については過去ログ参照ください。
まつたけ十字軍のたんぼの稲が先日来の大雨と風で倒れてしまいました。「放っておくと発芽してしまい食えなくなってしまう」とのことで緊急招集がかかり修復に行ってきました。
これが思いのほか大変な作業。倒伏稲に覆われて乾燥が進まなかったためか、たんぼも泥がまだゆるい部分があって足をとられ、ずっとかがみっぱなしなのでかなり腰に来ました。
最近の農家は機械化が進んで腰の曲がったじいちゃん・ばあちゃんを見かけることもなくなりました。楽にはなったけれど農機具代で金はかかる。私が子供のころは農家のじいちゃん・ばあちゃんはみんな腰が曲がっていました。田植え、草取り、稲刈りと腰を折っての作業ばかり、そりゃ腰も曲がるわな。
何分シロートが作っているもので(田んぼをお借りしているプロのご指導もあるにはあるのですが)肥料を入れすぎたらしく、背丈が周辺の田んぼと比べ1.5倍くらい高くなってしまったのも一因のようです。化学肥料も農薬も一切使っていないところはなかなか大したものなのですが、その分管理は大変です。
この前の土曜日、はるばる南会津から星さん夫妻がまつたけ山整備の見学に来られた。
翌日曜日は、滋賀県荒神山で地元の方々が行っているまつたけ山整備の応援であった。
なんとそこに星さんの姿が!。
まだ若いカップルのこと。私はてっきり、せっかくはるばる京都まで来たのだからと、日曜日は今が盛りの紅葉見物にでも出かけられたものと思っていたから驚いた。
というのも、その前の週にも某県からお役人を含む団体さんが視察に来ていたのだが、午前中1時間ばかり形だけの見学をしてそそくさと観光に行ってしまったものだった。まつたけ山整備の視察を口実に、公費を使っての物見遊山旅行であるのが見え見えであった。役所や補助金がからむ団体の視察にはこんな腐った連中が多い。こんなヤカラが日本をダメにしている。
星さん夫妻は私費で土日2日間目いっぱい、私達と一緒にまつたけ山整備体験に汗を流し、月曜日は仕事があるからと観光もせずに帰られた。
彼らは本気だった。当たり前のことと言えばそうなのだが、腐ったヤツラが多い今の世の中、まったく見上げた若者達だった。あの腐れ役人どもには爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
彦根市石寺地区で開催された「まちづくり勉強会」でのマツタケ山作りワークショップにまつたけ十字軍として参加させていただきました。
滋賀県立大地域再生モデル研究チームと石寺地域住民の方々との共同町おこしの取り組みの一環として、かつてはまつたけがたくさん採れた地区のマツタケ山を再生するためのワークショップにお招きいただきました。
驚いたのは、10~20年生と思われるアカマツを中心にかなりの数がマツクイムシにやられずに残っていたことです。
周知のとおり西日本の山はマツクイムシの猛威にさらされて松枯れの進行が著しく、環境異変とあいまっていずれマツタケも絶滅危惧種と化すのでは?と心配されています。
地域の方にうかがったところでは、「この山も50年代以降、薪燃料調達などいわゆる里山としての利用が行われなくなり、荒れ始めてやはりマツクイムシにやられ松枯れも激しかった。20年ほど前から県の補助金で除間伐とアカマツ苗の植林が行われるようになった。」とのことでした。
確かに、写真手前の区域などに下草に隠れるように、すぐ植林と分かる等高線に沿って等間隔に植えられたアカマツ苗が並んでいました。しかし、植林後の手入れが十分でなく、アカマツ苗が下草に覆われて日当たりが悪くなり成長不十分で弱っていそうな幼松も見られました。
アカマツが成木となったらマツタケ発生に適するように、地面が乾き過ぎないように適度に下草や潅木を残す調整も必要でしょうが、苗が小さいうちはとにかく下草刈りをこまめに行って幼苗に十分に陽が当たりすくすくと成長してくれるような管理が求められるでしょう。
後方の若いアカマツ林もほぼ等高線に沿って生えており、以前植林された苗が成長したものと思われます。こちらの領域は、地面の富栄養化で競争力の強い常緑樹などの繁殖でアカマツが駆逐されてしまわないように、また、マツタケ胞子を受け入れられるように定期的な除間伐と地掻きが必要でしょう。
それにしても、一度除間伐と植林で更新されたにしろ、これだけのアカマツがマツクイムシにやられずに残っているのは驚きでした。
要因として、①マツクイムシには樹勢の衰えた老木がやられやすいが、この山は植林後間もなく若い木が多い、②他の山塊とは離れた独立峰(といっても標高高々260mほど)となっていてムシが入り込みにくい、③琵琶湖近くで湖から吹き上げる風で比較的気温が低く保たれる、などが考えられるかもしれませんがはっきりしたことは分かりません。できれば調査で要因を明きらかにしてもらえれば他での参考にもなるでしょう。
また、標高わずか260m、周径2~3km前後の独立峰であるにもかかわらず途中の沢ではさらさらと水が流れ、アカマツ林の地面はけっこう湿潤状態でした。前数日雨模様であったことを考慮しても保水力の高い山だと感じました。日当たりもよく整備次第ではかなり良いマツタケ山になりそうでした。
さて、ワークショップでお腹をすかした後は待望の昼ごはん。
まつたけご飯に、まつたけのお吸い物、地鶏すき焼き。今年のマツタケは凶作。私の今シーズンのまつたけ食はこれが最初で最後となりました。
昼食後の交流会では特産のジャンボ富有柿の皮むき大会。
県立大のまちづくり調査研究の一環で地域の古民家の蔵収蔵古民具を調査されており、見学させていただきました。古民家といっても大正時代のものとのことで、想像していた明治、江戸の茅葺き屋根と土蔵ほど古いものではなかったのですが、そこはそれ、大正デモクラシーと日本近代化の時代の空気の一端に触れることができて興味深いものでした。それらの中から特に興味を惹かれたものをご紹介します。
<蓑>
藁を編んで作られたどうってことない蓑ですが、興味深いのは表面に茶色のビニール?がコーティングしてあること。ビニール(塩化ビニル)の工業化は戦後ですから、戦前のものならビニールコーティングは無いでしょうし、戦後も間もなく雨合羽に取って替わられたでしょうから、戦後の一時期、蓑から雨合羽への過渡期の製品であったと推測され、販売期間はごくわずかの期間だったにちがいありません。現存する物は数少ない、貴重な資料と思われます。
特に、表面に印刷されたトレードマークが出色です。蓑をしょったカエル。カエルに蓑が必要かどうかは分かりませんが、何ともユーモラスでなかなか洒落たデザインです。戦時中の軍国主義下では絶対に無い、時代なりに平和で自由で明るかったからこそのデザインですね。
<自転車の空気入れ>
(蓑を撮ったところでカメラの電池がなくなってしまい写真が撮れませんでした)
長さ約60cm、ポンプ管の直径約7cmと、現代のそれより少し短くて太めです。ハンドルやポンプの形状自体は現代の物とそう変わりません。色はカーキ色。変色していることも考えられますが。自転車は見当たりませんでしたが、古いリアカーがあったのでそのタイヤ用だったのかもしれません
驚きはその軽いこと。金属製に比べればはるかに軽く、現代のプラスチック製空気入れと変わらないくらい軽い。当時は、現代のプラスチック製空気入れの素材であるポリエチレンやポリプロピレンはまだ無かったと思われます。触った感じや完成された円筒形から竹や木ではないでしょう。考えられるのは、当時万年筆などの素材であったエボナイトとか、ベークライト、キューピー人形のセルロイド?(はないか)。いずれにしても、これも当時の暮らしをうかがい知る貴重な資料です。
<鋤>(これも写真が撮れなくて残念)
長さ150cm前後、先の長い角スコップのような形状でスコップ部分が湾曲しているのが大きな特徴です。抵抗を少なくする工夫かスコップの中を3筋切り抜いてあるものなどが数種類ありました。
案内していただいた県立大の先生のお話によると、スコップ部分が湾曲しているのは、他にない近江北部の鋤の特徴だそうです。南へ下るほど湾曲が少なくなり大津あたりでは真っ直ぐな鋤が使われていたとのこと。何故なのか聞きそびれましたが、湾曲している物の方が土中に食い込みやすく田起こしがしやすいそうで、北部の田んぼほど土が固く起こす力の強い鋤が求められたのかもしれません。
今日の京都新聞によると、丹波まつたけが大不作。9月の残暑の影響とみられているようだ。
昨年、マツタケ生産量が全国1位であった長野県の方からも今年は不作とのメールをいただいた。
まつたけ十字軍で整備していて、昨年40本近く収穫のあった山域。今日、様子を見に行ってみたがマツタケの気配もなかった。もっとも昨年も発生は10月下旬だったので、まだ早かったということもあるが。
現地までの道中、先週の台風の影響で枯れ松などの風倒木があちこちにあり、山道や林内も落枝が散乱して山はかなり荒れており、道をふさいでいる倒木を除いたりしながら進まねばならなかった。
しかし、昨年整備した領域は枯損風倒木はあるものの落枝落葉は少なく未整備の山域に比べて断然きれいであった。やはり整備してあると自然災害にも強いということが言えそうだ。
この山域は山主の方にお返ししなければならなくなったのであるが、われわれが撤退して以降、整備が継続された形跡はなかった。このままではまた荒れ果てていくのかと思うと残念で、少々暗澹たる気持ちにならざるを得なかった。
ついに!。
本年第一号から2週間余、この3日間の雨が幸いしたのか、出るわ出るわ!。
神様は見捨てなかったです。今日だけは神様を信じます。
やはりこの地のマツタケは全体に色白、特にこけしのようにかわいらしい“つぼみ”は真っ白の上品なお肌、まさに“京(みやこ)まつたけ”だ。
まだ“つぼみ”のものは胞子を飛ばすために残して、傘の開いたものを収穫しまつたけご飯に、焼きまつたけに...。みんなで分けると少しずつでしたが十分味わうことが出来ました。
今日はマツタケ山整備の定例活動日。一昨日、整備地の一つで発生を見たことは報告済み。地域紙の記者さんが取材に来られた。しかし、山主の一人から「所有山域の境界がはっきりせず、マツタケが発生したことが知れると近隣の山主間でもめる元になるから公表しないで欲しい」とのクレームが付いたらしく、わざわざ来てもらった記者さんにも、こちらから呼んでおきながら取材拒否という、大変失礼な事態になってしまった。
日ごろは「手が回らない」などと言って山を放ったらかしにしておきながら、いざマツタケが出たとなると、急に「ワシの山だ。勝手なことをするな。」としゃしゃり出てくる。まったく、業突く張りな地主どもには困ったもんだ。たまたま先祖が勝手に囲い込んだ山をタナボタで引き継いだだけなのに。
こんな腐った地主どもが日本をダメにしている。こいつらきっと巨人ファンが多いのだろう(ま、これは根拠のない八つ当たりかもしれないが)。やはり、山も農地もいったん全部接収して国有化する農地改革をしないと、いくら山を大切に、森を作ろう、自然環境保全、食料自給率向上などと言ったところで所詮ムリだろう。本当に志あるものに審査を経て貸与し、農地は1年ごとに結果を見て更新する、林地は20年位ごとに審査し更新制にする、そのくらいしないとダメだろう。