WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

本年第1号

2008年10月08日 | まつたけ

 まつたけ十字軍の私の所属班で、整備している山の発生調査を行ったところ、今年初のマツタケを発見! \(^o^)/。暑い夏、眩暈がしそうな中地掻きに精出した苦労が報われた。詳しくはまつたけ十字軍ブログで。

 さて、下の写真の紅褐色のキノコは「マスタケ」(サルノコシカケ科)。メンバーのNさんが芦生の森で採取してきたものを分けていただいた。
 マツタケにはバカマツタケ(マツタケ香はする)、マツタケモドキ(香なし)と似たのがある。これはマツタケ(キシメジ科)とは似ても似つかないが名前だけは似ている。

「マスタケ」

「わさびで食べると美味い」と聞いたのだがわさびを切らしていたので、わさび漬けで食べてみた。@_@ん~、マズくはないけど...。


ヌメリアヌス!?

2008年09月26日 | まつたけ

 松本のIさんからマツタケ豊作とその他キノコ情報が届いた。その中に「りこうぼう」というキノコが採れたとある。
 「りこうぼう」?、聞いたことがない。写真を送っていただいていたのでそれを手がかりに調べてみる(表題写真の→)。どうやら「ヌメリイグチ」のことらしい。で、確認のためお尋ねしたところ、確かに長野県松本あたりでは「ヌメリイグチ」のことを「りこうぼう」と呼んでいるとのこと。また、カラマツ林に生える「ハナイグチ」のことは「からまつりこうぼう」というそうだ。

ヌメリイグチ=りこうぼう

ハナイグチ=からまつりこうぼう

上のキノコ写真はWebllio辞書(農林水産技術情報協会)より。

 さらに調べてみると、「長野県や山梨県では「ヌメリイグチ」のことを「りこぼう」「じこぼう」と呼び、山梨県の一部では「あみじこう」とも呼ばれ、...「マツタケ」よりもうまいと言われることもある(Wikipedia)」とある。
 「ハナイグチ」についてはやはり「長野県では「りこぼう」「じこぼう」と呼び、北海道では「らくよう」と呼ぶ(Wikipedia)」となっている。。「ハナイグチ=らくよう」は北海道ではかなりポピュラーに食されているキノコらしい。

 「らくよう」はカラマツ(落葉松)の“落葉=らくよう”からきているのだろうか。では、「りこ(う)ぼう」「じこぼう」はどこからきているのだろう?

 また、「Wikipedia」には、長野あたりでは「ヌメリイグチ」も「ハナイグチ」も「りこぼう」または「じこぼう」と同じように呼んでいるかのように記載されているが、これは「Wikipedia」の記載が調査不足で、実際には地元のIさんがおっしゃるように「ハナイグチ」は「からまつりこうぼう」と呼んで「ヌメリイグチ=りこうぼう」とは区別されているのだろう。
 で、なんだか卑猥なニオイのする「ヌメリアヌス」。「ヌメリイグチ」を調べている途中でひっかかってきた。
 “マツタケ”に“ヌメリアヌス”う..!!?。興味深々調べてみたら、実は就任間もなく若くして謀殺された、古代ローマ帝国の悲劇の皇帝だった。

スイマセン、くだらないオチで


マツタケの全国大会

2008年09月02日 | まつたけ


「長野日報」2008年8月29日付

「マツタケ生産振興全国交流長野大会」に行ってきた。大会の様子は「まつたけ十字軍」ブログをご覧ください。

 さて、全国のマツタケ生産量は、戦前10,000t以上あったものが戦後半減し、昨年(2007年)はたった51t、実に200分の1以下にまで落ち込んでしまっている。対して、外国産まつたけの輸入量は昨年が1,554tと、国産の実に30倍にものぼる。それでも輸入量も2,000年の3,452tをピークに減少傾向にあり、消費量も2,000年の3,633tから2,007年には1,605tと半減している。国産のあまりの高額さと外国産の品質の悪さに国民のまつたけ離れが進んでいるのだ。「まつたけ」に秋の到来を感じる日本人の豊かな感性、文化が失われつつあるのではないだろうか。

 下のグラフは、1989年ー2007年の全国と上位ベスト5県のマツタケ生産量の推移である。林野庁の特用林産品統計から作成したもので、お役所が把握できていない自家消費分や闇取引分(別に「自由経済」だから“闇”とするのは適切ではないが)は含まれていないが、大まかな実体をつかむには今のところこのデータしかない。

全国はもちろん、かつてのマツタケ王国広島県の落ち込みようは目を覆うばかりである。
 京都も1980年代ころから激減し長期低迷に入っている。よく「丹波まつたけ」と言われるが、京都と丹波山地を共有する兵庫県の生産量は、意外にも1992年を最後に圏外に去っている。
 岩泉ブランドが有名になった岩手県も、1991年に5位に顔を出した後は5年間低迷が続き、1997年、突如として4位に浮上しているがその後は漸減傾向にある。

 長野県もゆっくりと漸減傾向にあるとはいえ、コンスタントにベスト5を維持し続け、ここ2年はトップの座についている。もっとも、長野のトップも他県の自滅傾向によるものではあるが。全国的に激減する中での長野の健闘は、継続的な生産者の努力、「森林税」や各種助成事業など県を挙げての努力の賜物であろう。もちろん、かつては西日本に多かった上位県に比べて高冷地が多く、地球温暖化やマツクイムシの拡大などの環境変化を受けにくいといった条件に恵まれた面もあるだろう。岩手や北海道(北海道ですよ!)ではマツクイムシ被害はまだないと聞くし、長野でも問題となり始めている鹿の食害などの獣害も北日本ではまだ少ないようだ。
 このままでは10年後には、マツタケは長野や東北のごく一部と北海道だけの特産物になっているかもしれない。しかももはや庶民の口には国産まつたけは入らないようになっているだろう。

 こうした情況を見るにつけ、マツタケの復活・増産はもはや農林業の問題であるだけではなく、むしろ環境問題としての色合いが濃くなってきていることを、あらためて思い知らされる。生産者もそのことを十分認識して、単に山作りの技術的問題や利益だけを考えていたのでは早晩行き詰るであろうことを認識しなければならない。
 「マツタケ生産者の全国大会」に参加してまず感じたのは、この意識の差であった。「とにかく自分の山(入札含めて)の生産量を上げて儲けたい」方々と、環境や文化の視点で問題意識を持った、あるいは持ち始め環境団体や市民ボランティアとの協働を模索している方々との格差が開いてきているのを感じた。
 この「大会」は前回開催が10年前の1998年、岩手で行われたそうだ。次回がまた10年後では遅すぎる気がする。ただし、問題意識が栽培技術にのみ終始するのであれば何回開いても事態は改善しないだろう。


飛騨カボチャ

2008年08月06日 | まつたけ
食べてみた。
普通のカボチャより煮崩れしにくい気がする。食感はホクホクしているが、味は、スーパーでよく売られている西洋種のえびすカボチャよりは淡白な感じ。
結構デカくなり、1個でえびすカボチャ2個分くらいの量はある。食糧危機に備えて、エネルギー源としての穀物の代用として、サツマイモとともに有望かもしれない。

地球温暖化の恩恵!? 夏野菜真っ盛り

2008年07月25日 | まつたけ

 マツタケ山作りで出た腐植堆肥で育つ夏野菜が、このところの猛暑で急激に成長・結実し最盛期だ。
 地球温暖化も野菜栽培にとってはむしろ歓迎すべきことかも..。CO2出すハウス栽培なんて馬鹿げたこともしなくていいし、高緯度の寒冷地域は温暖化で良質の耕作地に変化する。昨今の地球温暖化ファッシズムとも言うべき情況では、温暖化のメリットには誰も目を向けようとしない。とりわけ「環境」をメシの種にしている連中は。
温暖化そのものは結果であって、実はそう大した問題ではない。問題なのは、ハウス栽培で時期をずらして儲けようとか、農薬・化学肥料で大量・効率生産で儲けようとか、金儲けばかり考えている連中なのだ。

野菜の中でもとりわけトマトは、青いうちに収穫された市販品と、自家栽培で畑で完熟させたものとの差が顕著に出る。

美味い! これを味わいたいがために畑をやってるようなもんだ。

食糧危機が騒がれているが、他の野菜は、今のところ正直買ったほうが安いし味もそう悪くない。

飛騨カボチャ。

野菜もチェンソーカービングも人と同じようなものを作っていても面白くない。

ゆゆさんからいただいたエビイモ。“いもぼう”にして食ってみたい。


安曇野紀行

2008年07月24日 | まつたけ

<元気なアカマツ林>
 長野県には、これぞアカマツ林という、樹高30m以上にもなる元気なアカマツ群生林があちこちに普通にある。絶滅寸前の京都の貧弱なアカマツ林など比べるべくもない、
 地元の方々は言葉を濁すが、秋になると入山禁止になるところが多いのはマツタケがたくさん採れていることの証だろう。

 京都他でアカマツ林が急減しているのは、マツノザイセンチュウ被害もさることながら、比較的涼しい長野や岩手のアカマツ林が元気なことを考えると、やはり気候変動の影響が大きいのだろうことは容易に想像できる。

<安曇野ちひろ美術館>
 世界の絵本画家、いわさきちひろの美術館。その絵はふんわりと思いっきりカワイイのにカワイイだけではない。その絵世界からは、彼女の戦争体験から来るガンとした主張と信念が絵柄そのままに滲み出てくる。戦後、自ら進んで共産党にも入党している。彼女が今に生きていれば、共産党に対する世間のイメージももっと変わっていただろう。
 本館はさておき、広いちひろ公園の片隅にポツンと佇んで、ちひろの好んだ「黒姫山荘」が復元されている。本物は黒姫山にある「黒姫童話館」に移築保存されている。

<大町山岳博物館>
 北アルプス開山の歴史と日本の登山技術史を展示解説している。大町市鷹狩山の麓にある。右の写真は「針の木小屋」復元模型。黒部アルペンルートが拓かれる昭和中期まで立山登山の基地として賑わった。

<鷹狩山>
大町市の東にあって、標高1,164mにある山頂展望台まで車で上がることができる。

 昨年秋、安曇野カービングキャンプが開催された長峰山(標高933m)からの北アルプスの眺望は息を呑む素晴らしさだったので、「同じような立地条件でさらに標高の高い「鷹狩山」ならもっとすごい眺望が見られるのでは」と思い行ってみたのだが、残念ながら曇りがちで北アルプスは見えなかった。

 この季節は眺望を期待するのは難しいのだろう。10月ころにもう一度来てみたい。


トマトとカボチャその後

2008年07月03日 | まつたけ

 前回レポート(6/17)から後、鳥(おそらくカラス)に実をやられたので防鳥網を施した。これでトマト苗代約2,000円+網代380円≒約2,400円かかった。肥料は、マツタケ山の地掻きで出た腐植だけなので肥料代はかかってはいないが。
スーパーでは大き目のトマト1個100円くらいだから、24個以上は収穫できないと元も取れないことになる。まして、畑作業の労賃を考えると...。

 鳥につつかれて散らばったと思われる昨年作ったトマトの種が発芽して、畑のあちこちに雑草のように自生してきている。十分な世話をされていないため、さすがに成長もイマイチで粒は小さいが、ホームセンタートマトの意外な生命力には驚かされた。種を自家採取して毎年作れる可能性もありそうだ。近親交配でだんだん弱ってくるかもしれないが。

さて、この鬱蒼とした竹林?は?

実は、アスパラガス。成長すると1mくらいの高さになり、まるで竹林のようだ。
 豆粒のような実をたくさんつけ、秋には鮮やかな赤色に熟す。切り取って生け花にするととてもきれい。そして驚くほど長持ちする。昨年秋生けたものも、8ヶ月近く経つのに未だに実をつけている。さすがに実の赤色は褪せて橙色がかり、数は10分の一程度に少なくなってしまったけれど。


まつたけ人工栽培

2008年06月17日 | まつたけ

地掻き堆肥を入れチップマルチを施したトマト畑の途中経過
今のところ順調

 さて、今日の新聞報道によると、タカラバイオが人工培養でマツタケの子実体原基を発生させることに成功した。過去にも成功例はあったが再現性が無かった。今回の成功では、再現性があるらしくそこが最大のポイントだ。

 もっとも子実体原基の発生に成功したからといってすぐにマツタケができるわけではない。例えれば、人参の細胞をフラスコで培養し、ガンのような人参細胞の塊(カルス)を作りだすことができた、といったようなものだ。子実体原基からさらに子実体(キノコとしてのマツタケ)を形成させるまでには、まだまだ高いハードルが待っているだろう。

 さて、はたしてマツタケの人工栽培が成功し、エリンギ並みに1パック百円のマツタケがスーパーの店頭に並ぶことがほんとうにいいことなのだろうか?私も末席に加えていただいている「まつたけ十字軍」は、人工栽培ではなく林地、里山でのマツタケ復活にこだわっている。それは「マツタケを大量に人工栽培して一儲け」などといったケチな考えではなく、日本の風土が育んだ里山と暮らす文化と食文化としてのまつたけ復活を目指しているからだ。

 難病治療薬などバイオテクノロジーが人間にとって有用なものを作り出し、より生活の質を向上できる可能性は大いにあるだろう。しかし、この技術を利益や効率優先で安易に利用すると、無くてもよい(無い方がよい)ものやかえって有害なものを作り出したり、せっかく長い年月をかけて育んできた文化を壊してしまうことにもなりかねない。


やっぱり大学病院は大学病院

2008年05月16日 | まつたけ

 今日午後、退院してから2回目のマッタケ山整備に山へ入った。
前回は施業地まで登るのに息も絶え絶えであった。たった10日間の入院だったが、ほとんど流動食、粥食、運動はせいぜいトイレや売店へ歩くくらいだと、年のせいもあるだろうが、あっという間に体力は落ちるものだとあらためて思い知らされた。
 今日は退院してから3週間、それなりに体力も回復したと見えて、しんどかったがまあ、前回よりさらに上の施業地まで一気に登れた。

 さて、今日午前中は、口腔外科で撮ったX線写真とCTで判明した「扁桃腺の石灰化」を診てもらいに京大耳鼻咽喉科を受診してきた。この耳鼻科の医者、これまで私が大学病院の医者に抱いていた偏見どおりの医者だった。
 診察室に入ると苦笑いしながらめんどくさそうに開口一番、「口腔外科からの紹介だが何を診て欲しいのですか」ときたもんだ。「X線写真で扁桃腺の石灰化が見られたので念のため耳鼻科で見てもらってください、と言われました」と説明すると、「ああそう」とパソコン画面にX線とCTの画像を出しチョチョイと耳、鼻、喉を診て(扁桃腺なのになんで耳と鼻診るのかわからん?)、「別になんでもないですね。今日はこれで結構です。」

 さすが京大病院、IT化も進んでいて患者のカルテもX線写真や検査結果もすべてネットワークでパソコン画面で見られるのだ。5年ほど前、府立医大を受診したときは、X線写真のでかいフィルムや検査の用紙を持たされて院内を右往左往したものだった。
 しかし、患者情報はなんでもネットワークで見られるということは、紹介文やカルテもパソコン画面で見られるはずだ。現にX線やCTの写真はパソコン画面に出してご覧になっていた。

 まるで、「こんなしょうもないことで偉い私のところに受診してくるな」と言わんばかりの態度。これではせっかくのK先生の親切な配慮も立つ瀬がないではないか。名医かなんか知らないが「二度とアンタには診て欲しくない」と思った。


土作り

2008年03月18日 | まつたけ

 そろそろ夏野菜の植え付け準備にかからねばならない。
今日は花粉日和の良い天気。まずは土作り。一昨年、マツタケ山の“地掻き”で集められた落ち葉や腐植が腐葉土としてちょうど良い頃合に熟成しているので、畑に堆肥として鋤きこんでおく。

約1年半ねかせた腐葉土を、

底が網状になっているトロ箱でふるい、

畝に入れて鋤きこむ。

それにしても帰ってからが大変であったヘックショーイ。


指定の大安売り

2008年03月12日 | まつたけ

 「田舎暮らし応援団」の活動拠点、大江町毛原地区が、京都府教育委員会から「文化的景観」指定されたそうだ。毛原地区は他にも農水省から「棚田百選」にも指定されている。
 先日あった「里地里山シンポジウム」でも、「景観」の“価値”についての話があった。では「景観」の“価値”とは何なのか?実はその肝心なところがあいまいだ。シンポジウムでもそのことについて「質問状」を出したが残念ながら議論はしていただけなかった。

 最近、「ナントカ百選」だの指定の大安売りである。「指定」するだけなら金もかからない。行政にとっては、いかにも環境や自然保護を重要視しているかのようなポーズをとるには最も手っ取り早い安直な手法だ。そこに補助金でも付けば、そこにぶら下がって行政の下請けに群がるハイエナのような流行の「ランドスケープ」屋学者サン・企業が儲かる仕組みができつつある。

 「景観」とは文字通り解釈すれば見た感じであり、形態的には「自然景観」と「人工景観」に分けることができるだろう。しかし、その価値となると定義が難しい。「価値」というのは文化的思考能力を獲得した人間との相対において存在しうるものであって、そうした能力のない動植物には「価値“感”」といえるものはないと考えられる。

 「文化的景観」とは形態的にはイコール「人工景観」のことであって、その「景観」が価値を持つということは、複数の「景観」を示された場合により多数の人々がより良い「景観」として選択するということである。つまり、「景観」の「価値」とは絶対的なものではなく相対的な価値観だと考えられる。

と、ここまで書いてきたが、m~m難しくて..。今日は山に行って「景観」の意味と「価値」についてゆっくり考えることにします。

 


鞍馬の火祭りが大変なことに

2008年03月11日 | まつたけ
 今日は小春日和の良い天気であった。山に行くとすでにMさん、Hさんともう一人、腰にナタ・ノコ姿の見知らぬおじさんが。聞けば鞍馬の方で、松を探して山に入りここへ下りてこられたとのこと。

 京の奥座敷、鞍馬では10月に「鞍馬の火祭り」が行われる。その松明に使う松を探してるとのこと。「鞍馬なんて周りは山だらけで松なんかいくらでもあるでしょうに、なんでまたこんなところまで探しに来られたんですか?」とたずねると、なんと「鞍馬には松がほとんどなくなってしまった」!?んだそうだ。「えーっ、あんな山奥の方が松が無いって、こんな京都市近郊まで探しに来られるなんて、逆なら分かるけど..。」
 あらためて自然界の異変を思い知らされた。いくら火祭りのために毎年松を伐っていたとしても、無くなってしまうなんて!松枯れなどで供給が需要に追いつかなくなってしまったのだろうか。

 京都では松を焚く祭りや行事がたくさんある。五山の送り火を筆頭に花背や京北、雲ヶ畑、宇治田原など各地で松上げなどの松を焚く行事が行われる。鞍馬以外の地域ではどうなのだろう?五山の送り火では、薪となる松を確保するのに苦労されていると聞く。このままでは伝統行事の継続が難しい事態にもなりかねない。行政はこの現状をちゃんと把握して対策を立てているのだろうか。
  
 さて今日はフリー活動日、Mさんは小鳥の巣箱作りに余念がない。Hさんは陶芸窯の基礎作りの準備。午後、Eさんもこられて畑の世話をして帰られた。
で、私は除伐したコナラの切れ端で久しぶりにカービング練習。またまたフクロウ。お隣さんの玄関にかわいいフクロウの木彫りが飾ってあったので、ちょいとお借りしてきたのをモデルにした。コナラは硬くて重い。なかなか大変であった。

地掻き

2008年03月07日 | まつたけ

 今日は「まつたけ十字軍」の作業日。過密樹木やマツノザイセンチュウ感染松の除伐がほぼ終わった施業地の地掻きを行った。
 地掻きというのは、地面に降り積もった落葉や枝の腐りかけたもの(腐植)を取り除く作業である。腐食が地面を覆っていると、富栄養化してマツタケ以外の雑菌が繁殖するしマツタケの胞子も地面に届かない。そこでマツタケが生えるようにするためには腐植を取り除かなくてはならないのだが、これがなかなか大変な作業だ。

普通は下のように熊手で落葉をかき集めて“手み”で林外に運びます。
   
 しかし、ある程度腐食が進んだ腐植には、栄養を求めて近隣の樹木が細根を伸ばしているので熊手ではなかなか掻き切れません。
 そんな場合は下図のように、“山菜ごて”で腐植下部に張っている根を切りながら剥がしていきます。イノシシでも捕まえて皮を剥いでいるような感じですね。
 
腐植の厚さは10cm近くありました。

まず赤線のように、“山菜ごて”で地面と腐植の間を切り離して生きます。
 

切り離した腐植は、絨毯を巻くように順次くるくる巻いていきます。
 
 “山菜ごて”の刺さっている部分が巻き取った腐植。赤線で囲んだ部分は、腐植が掻き取られた地面。ときにケロウジなどの青白い菌叢が見られることがあります。マツタケの大敵です。

どんどん切り剥がして巻き取っていく..


最後はこんな感じ。少し土が見えるくらいに掻きとっておきます。赤線内は掻き取られた腐植の塊。後はひたすらこの繰り返し。なかなか忍耐の要る作業です。

 腐植はさらに林外へ運び出し、堆肥として利用します。灯油や化学肥料など普及していない頃は、こうして集めた落葉を燃料とし、腐植堆肥や人畜の糞尿を肥料としていたんで、無意識のうちにマツタケに良い環境を作っていたんですね。ここには後何年したらマツタケが生えるのだろう。