宇治田原マツタケ研究会の山本さんから「古老柿」が届けられた。「出回るようになったら買いに行くから連絡ください」とお願いしていたのだが、思いがけずわざわざ送ってくださった。ほんとにありがとうございます。
寒天、高野豆腐、干し柿、..冬場に作られる干し物は、寒暖の差が大きく夜はキンキンに冷えるようでないと良いものはできない。温暖化か、年々冷え込む時期が遅くなり、古老柿の出来上がる時期も年々遅くなっているらしい。
さて、古老柿の袋の中にその由来が書かれた紙が入っている。写真で読めるかどうか、念のためかいつまんで書くと、
『村人が、とてもおいしい干し柿売りの少女に作り方を教えてもらった。少女の後を追っていくと山中の岩で姿を消したという』
「ええっ、それだけ?」と思わずつんのめりそうな突込みの足りない言い伝えだ。少女は、貧しい村に名産となる柿をもたらしてくれた山の精だったのだろうか?
『干し柿にはビタミンCが豊富で成人病予防によく、タンニンは酒の酔い覚ましに良い』とある。特に古老柿は、ほのかで上品な甘さで、へたも取ってあるし種離れもよく、一口サイズでほんとうに食べやすいしおいしい絶品である。
12月18日、まつたけ十字軍の「大忘年会」が盛大に開催された。今年は京まつたけ1号の発生を見るなど、まつたけ十字軍にとって実り多い年であった。詳しくはまつたけ十字軍のブログを参照ください(写真はまつたけ十字軍ブログから借用しました)。
それにしても、である。平日火曜日の朝から50人もが集まっての大忘年会。「ニッポンの常識」からすると「平日の昼間っから仕事もしないでヒマ人どもが集まってなにをやっとるのか!」ということになるのだろう。しかし、ちょっと待った、そもそも「平日の昼間、仕事もしていないのはヒマなダメ人間」などという固定観念は、誰によって何のために刷り込まれたのか、よく考えてみる必要があるのではないだろうか?
私はむしろ、「平日の昼間っから好きなことを楽しめる社会」こそが、人間らしい喜びのある幸せな社会だと思っている。もちろん、働き盛りのいい年の連中が、年がら年中好き勝手なことをして遊んでいるのが良いという意味ではないのは言うまでもない(京都市や大阪市の市役所には仕事もせずに給料をもらっている結構なご身分の御仁もいたようだが)。
それともう一つ。まつたけ十字軍の活動には年配のリタイア組みが多いのは確かだ。がしかし、皆さん元気で生き生きと思い思いに自分の好きなことを、自らその場を作って楽しんでおられる。夫婦で中睦まじく共同作業に汗を流しておられる方も。家庭内離婚や熟年離婚とは無縁だ。高い金を使って海外へ行ったり、物を買ったりしなくてもこんなにも人生を豊かにできるのだ。心身の健康は結果として医療費の節約にもつながる。心も体も元気で日々を楽しみ満足して死ねればこんな結構なことはない。
まつたけ十字軍の活動には「まつたけと里山再生」という範疇にとどまらない、自然との共生、環境に負荷をかけすぎない、金をかけずに豊かな人生を送れる「持続可能な社会」づくりのヒントがたくさん示されている。マスコミも一般受けする「マツタケ山再生」ばかりに注目するだけでなく、そうした柱の活動から広がりを見せている、より広範囲な可能性に気づく感性を持って報道していただきたいものだ。
先日書いた、山本山のある宇治田原の晩秋の風物詩、「古呂柿」のことが京都新聞 に載っていた。記事によると「古老柿」と書くらしい。でも確か、地元のIさんは「古呂柿」と書くと仰っていたが。また、柿を干してある小屋(というには大きいが)も私が勝手に名づけた「柿棚」ではなく「柿屋」と呼ぶらしい。
「古呂柿」と「古老柿」、どちらの表記が正しいのかはあらためて調べるとして、むかし京都市周辺の山で採れた白くコロンとした雅なマツタケが「みやこまつたけ」として珍重されていたという。
報道では「都まつたけ」と記載されていることが多い。しかし、ほんとうは「京まつたけ」と表記するのが正しい。取材される記者さんはじめ若い人たちにとっては「みやこ=都」で、「京」を「みやこ」と読む用法は思い浮かばないのだろう。
酒の席やテレビなどでよく県民性が話題になったりするが、京都人にとって京都はいつの時代にも日本の「みやこ」だった。ただしその「みやこ」は単に「首都」というだけの意味合いではない。地勢的にも文化的にも長い歴史と伝統の重みをもった「みやこ」なのだ。「京都」には「みやこ」と読ませる字がダブルで並ぶ。良くも悪くも、このあたりに京都人の県民性の源がよく現れているようにも思う。
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さて、宇治田原ではお茶の生産が有名だが、もう一つの特産品、古呂柿の生産が真っ最中であった。晩秋の風物詩、5階建てくらいの「柿棚(正確な名称不明)」にはオレンジ色の古呂柿が敷き詰められ、寒風にさらされて甘さの増した干し柿に生まれ変わろうとしていた。なんとも良い景色だ。
私は柿が大好きである。近年は多くの野菜・果物が年がら年中出回って、四季のある日本の良さが薄らぐ中で、秋限定の季節感を感じさせてくれる数少ない果物の代表格だ。しかも安い。「人工栽培マツタケ」と同様「柿のハウス栽培」なんてのも聞いたことがない。そんな野暮なものが出回らないことを願う。
「クリスマス向けハウス栽培のイチゴが石油高騰でピンチだ」と報じられていたが、業者さんには悪いけれど、そんな無駄なエネルギーを使って高く売ろうなんて浅ましい商売はこれを機会になくなればよい。石油が高くなって誰も使わなく(使えなく)なってしまえば「石油依存の温暖化社会?」を心配する必要もなくなるのでは?。PETボトルもプラスチックゴミ問題も車の温室効果ガス排出問題も一挙解決だ。「そんなことになったら北海道とか寒い地方の人が困るじゃないか」という声も聞こえてきそうだが、あれ?、地球は温暖化するんじゃなかったっけ?^_^;
季節がらこのところマツタケネタばかりである。
今日は、宇治田原マツタケ研究会、まつたけ十字軍、それに小豆島マツタケ研究会から視察にお見えの森川さんも交えて、山本山で新しい施行候補地のキノコ発生調査を行った。残念ながらマツタケは発見できず、他のきのこも少なかった。
調査でおなかがすいたところで山本さんからマツタケご飯の提供があり、皆でおいしくいただいた。
山へ行く途中、稲刈りも終わった田んぼに、藁葺きで3~4階建ての巨大なやぐらがいくつも組まれていた。秋祭りの準備かと思っていたのだが、地元の茨城さんの話によると、宇治田原特産の古呂柿を干すためのやぐらであった。
作るのに手間がかかるため近年は作る人も少なくなって、出来上がった古呂柿もほとんど地元の人同士で年末年始の縁起物・贈答品として直接取引されるため、市場にはほとんど出回らない幻の品なのだそうだ。
12月初旬頃、少しは農協の市などで販売されるそうなので、その頃買いに来ようと話していると、茨木さんが自宅に保存してあるものをわざわざもってきてくださった。皆で少しずつ分けていただいたが、よくある干し柿特有の粘りつくような濃い甘さではなく、さっぱりとした上品な甘さでいくつでも食べられそうであった。
マツタケもさることながら、こうした地域の伝統ある特産品も大事にしていきたいものである。
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集合場所風景。わざとピンボケにしてある。
で、ムスメがマツタケを「見つけた」 \(^o^)/\(^o^)/ \(^o^)/
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ようやく今年初めてのマツタケにありつけた。
お吸物と茶碗蒸しでありがたくいただいた
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さて、どうして町名を明かせないのかというと、別に公表を止められているわけではない。
今回の収穫も、実は自分達で見つけたのではなく、見つけさせてもらったのだ。
案内されたマツタケ山の情況は、それは悲惨なものだった。まつたけ十字軍でマツタケ山再生の勉強をさせてもらっている身からすると、とてもマツタケが採れるとは思えない、はっきり言ってすでにマツタケ山としては死んでしまっている山だった。しかし、都会暮らしでマツタケの取れる山がどんな山かも、現在の里山の荒廃のこともよく知らない人達、とりわけ子供達は何も知らず無邪気に一生懸命マツタケを探していた。
そりゃー、他にいくらかでもマツタケが生える、もう少しましな山もあるのだろう。「そんな山に素人を入れてシロを踏み荒らされてはたまらん」という気持ちも分からないではない。けれど、マツタケ狩り参加者を新聞で一般募集し、参加費も取った上にそんな山に案内して100%ありもしない自生マツタケを空しく探させる。いくら単なるお祭りイベントだといってもこれはあまりにヒドイ。
それでも一応、数人はマツタケにありつける仕掛けはある。いわゆる「置きマツタケ」だ。主催者側であらかじめ他で採れたマツタケを山の数ヶ所に置いてあるのだ。参加者はおよそ150人くらいだから30人に一人くらいは当たる計算。
でも同じ人が何本も見つけたり、見つけ残しがあったりしてはうまくない。そこで、置いたマツタケを一人が何本も見つけないように、また残らず発見されるように、頃合を見計らって先回りしていたスタッフが自分の持ち場の置きマツタケが見つけられるように適当に参加者をそれとなく手招きしたり、声をかけたりして誘導するわけだ。
写真はスタッフの手助けで1本ゲットしたムスメ。ヒモで囲まれたマツタケ狩り許可領域はすでにアカマツの墓場状態だ。生き残っているアカマツはわずか10本余りで腐植も厚く積もっている。これではまつたけが生える方が不思議なくらい。私は早々にガッカリしてあきらめた。
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もうお分かりだろう。町名を明かせない理由も、私達がマツタケを1本手にできたわけも。スタッフも男、採る気満々のオジサンやオバサンよりはどうしても若い女性や子供達を喜ばせたくなるのは人情というものだ。で、わがムスメはスタッフに手招きされて首尾よく1本ゲットできたというわけなのだ。まあ、例え「置きマツタケ」だろうとマツタケはマツタケ、ありがたくいただいて帰りおいしくいただいた。
しかしマツタケのおいしさとは逆に、この後味の悪さは何だろう。たまたま若いムスメを連れて行ったから他の参加者を出し抜いてゲットできたというバツの悪さもさることながら、こんな詐欺まがいのことをやっていたのでは、参加者の田舎の町に対する印象も悪くなりこそすれ決して良くはならないし、里山の荒廃と対策の必要性に対する都会の人たちの理解も得られない。
実際、このイベントはもう数年続いているそうだが、今年は募集500人に対して参加者はわずか150人程度だった。参加者の大半がマツタケにありつけず、ありつけても全て「置きマツタケ」で他人を出し抜くかスタッフの気を引かないとゲットできないとあっては、いささか白けムードが漂っていたのもしかたない。このままではこのイベントも、「置きマツタケ」探しの出来ゲームだと割り切って参加してくる人だけしか来なくなり年々ジリ貧となっていくことだろう。もちろん私達ももう二度と行くことはない。
「まつたけ十字軍」の友軍でマツタケ山再生活動をされている方からまつたけ発生の喜びの一報が入った。
収穫されたマツタケの写真を見ると、まだつぼみのものも多い。思わず「まだ傘も開かないつぼみのうちに採ってしまったのでは胞子も飛ばず、来年以降の増産が見込めなくなってしまうのでは?」と苦言を呈してしまった。しかしこれには次のような事情があったのだ。
報告をくれた方によると、同じ思いでつぼみのうちから採ってしまうことには反対したのだが、地元のメンバーから「知らない人が山をうろついている。どこから情報が漏れたのか。早く採っておかないと盗られてしまう。」という声が上がって、やむを得ずつぼみのものも採集した、とのことであった。
マツタケをめぐって地域の人たちが疑心暗鬼になってしまうような現状は、里山荒廃やマツタケの減少以上に悲しいことだ。山が荒れるのは人の心の荒みの反映なのかもしれない。
このこと以外にも、最近いろいろな場面や事件で人の心が荒んできていると感じさせられることが多くなっている気がする。人間も「マツクイムシ」ならぬ「ヒトクイムシ」にとりつかれてしまったのだろうか。どうしてこんなことになったのか。本当の豊かさ、心のゆとり、豊かさ、思いやり、言うのは簡単だが、実現するには何が求められているのか、何をしなければならないのか考えないといけない。
日本ハムは苦戦しているが、「シンジラレナーイ」事が起こった!
今日は、まつたけ十字軍の定例活動日。日ごろから手入れしている山にみんなでマツタケ調査に入った。もっとも、みんな99.999%マツタケが出ているなんて思ってもいなかった。
私もほとんど期待もせずに地掻きをしながらマツタケを探すともなくあたりを見回していた。
すると下の方でマツタケがどうとか騒いでいるような声がした。
何があったのだろうかと下りてみると...。0.001%の奇跡が起こった。
日ごろ皆が整備していた尾根でOさんがマツタケを発見したのだ!
幻の京(みやこ)まつたけ復活の瞬間だ!
そこで一句。
『頑張れば、応えてくれるまぼろしの、京まつたけ復活記念日!』
(ツトムちゃんよりはよくできた)
「おうおう、カワイイやつよ」
記念写真を撮ったり、いいオジサンがみんな大はしゃぎであった。「生きてるうちに見られるかどうかと思っていたのに、これでもういつ死んでも大丈夫」と言う人まで出る始末。←この辺少し下に京まつたけ
(↑吉村先生の写真集からいただきました)
それにしても、この山の整備を始めてからわずか2年足らずなのに、がんばれば山の神は応えてくれるものだ。京都新聞の記者さんも飛んできた。みんな大いにモチベーションが上がった。
で、午後はみんな目の色変わって澤田山の調査へ。
残念ながらこちらは空振りであったが、いい雰囲気に整備できているところもあるので今後が大いに期待できる。
また、撤水をしている山本山では今日現在、累計39本が見つかり、昨年の31本を早くも大幅にクリアしたそうだ。まつたけパーティーを楽しみに頑張ろう。
信州から帰ったとたん、山本さんから「マツタケ出たよ!」のメール。で今日、とるものもとりあえず山本山に見に行ってきた。
今日現在、27本が確認されている。昨年が31本だったそうなので昨年を上回る勢いだ。京都では夏の高温と初秋の雨不足で大凶作らしいから、山本山では整備の成果が現れてきていると言えそうだ。
クロカワも7本出ていた。
クロカワは人によってはマツタケより珍重される。表面は黒褐色で、ぬめりがなくさらっとしていて、かさの裏は白い網状、少しかたいと感じるほど身はしっかりしている。足が短く地面にへばりつくように生えるため、その色とあいまって見つけにくいキノコだ。
醤油つけ焼きにして食べてみた。
苦いと言われているが、食べてみるとほのかに苦味を感じる程度で決して強くはない。むしろ淡白な味だ。食感が独特で、うまい例えを思いつかない。あえて例えれば、エリンギとコンニャクと落雁をたして3で割ったような、少し粉っぽくシャキシャキ・プリプリした感じ。この他にない独特の食感が、好き者にはこたえられないのかもしれない。正直、私にはまつたけよりうまいとは感じられなかった。
全く交流もなくされているのがこうまで似ようとは、やはり名人のなせる技か。
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9月15,18日、NHKテレビで地球デザインスクールメンバーSさんのマツタケ山整備が放送された。ほんの数分間の放映だったのでもっとよく見たいと思い、お願いして見学させてもらった。
里山整備で最も問題となるのは、日本のように傾斜が入り組んだ山から除間伐材をいかにして搬出するかだ。
Sさんの方法のユニークなところは3つある。
1) 竹シュラ
シュラによる集材は、間伐材を敷いたシュラ、波板シュラなど各地でいろいろ工夫して行われているが、Sさんは手近にある竹を用いている。
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70~80mはあろうか。まさに巨大滑り台だ。
2) ケーブルカー式荷上げ
山で荷揚げするのはなかなかしんどい作業だ。そこでシュラで下ろす丸太の位置エネルギーを利用して荷上げをしようというわけである。斜面上部の滑車に通したロープの下端に荷物を取り付け、上端を丸太にくくりつけてシュラで下ろすと丸太の重みで荷物が引き上げられるというものだ。
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木材は二酸化炭素を固定して熱エネルギーを蓄えるほかに、位置エネルギーも蓄えていたのだ!
3) 竹レールトロッコ
私が一番見たかったのがこれ。鉄線路のトロッコやモノレール、運搬機による集材はよく見かけるが、竹製レールは私の知る限り見たことがない。
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「山の整備に際しては、資材をできる限り現地調達し、外部から余計なエネルギーやいずれゴミになる資材をできるかぎり持ち込まない」というSさん、まさにエコの王道だ。王道エコの実践者、マツタケ名人は、エライ学者でも林業試験場の技術者でもなく、毎日汗水たらして山を知り尽くした普通のオッサンだった。
相変わらずの残暑だ。今日は岩倉S山の整備を行った。
マツクイムシ感染松の伐倒
なにしろシロウト集団なのでなかなかうまくいかないところもある。そんな中で、長年マツタケ山に入って経験豊かなMさん、Aさんが整備しているところはさすがである。二人が整備したところは、マツタケが生えるかどうか以前にとにかく「美しい」のだ。ほどよい木漏れ日と漂う森の香りが清々しい。山が健康を取り戻して喜んでいるようだ。
それに比べてシロウトの整備は、松のみ残して全部刈ってしまったり、日ごろの憂さ晴らしか憑りつかれたようにチェンソーで切りまくったり、切った木や枝が乱雑に積み重ねられて実に見苦しい。皮膚病を皮膚を剥がして治そうとしているようなものだ。山が「痛い痛い」と悲鳴を上げている。
長年放置されて積もりに積もった腐植を適度な厚さになるよう地掻きして取り除く。掻き集めた腐植はむかし人々が里山でやっていたように堆肥として利用する。自宅菜園の土壌改良用に少し持って帰った。
腐植を鋤きこんだ畑で育つ、ある作物に実がなった。何の実か分かりますか?
答えはこちら。可憐な赤い実です。羽のような葉との対比が美しく部屋に飾った。テンさんも気に入って観賞?に寄ってきた。
山本山で撤水試験を行った。
各地マツタケ山での試行報告によれば、「マツタケ発生が予測される時期の少し前に撤水すると発生が増進された」という結果が得られているところもあるが、「撤水によると思われる増産効果は認められなかった」という結果のところもあり、必ずしも有効とは言い切れない面もあるようだ。しかし、「撤水により減産した」という例は報告されていないので、まずは効果の真偽を確かめてみようということになった。
今日は、水タンクを試験予定地に運び撤水量とそのコントロールを試験した。結果はまずまず良好であった。
次回はシロ周辺に撤水用チューブを敷設し、10月の発生時期に合わせて撤水し昨年より増産効果が得られるか様子を見る予定だ。
また8月27日に続いて、2つ目の試験地にも気温、地温、地中含水量など測定用の百葉箱を設置した。
林ではすでにイグチ類を中心に多くのキノコが発生していた。
ベニイグチ アカイボカサタケ