WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

葬儀場問題に見る住民エゴと企業エゴ

2009年07月18日 | 今日の出来事

 隣の学区で葬儀場建設が始まった。ご多聞にもれず早速周辺住民による反対運動がおっぱじまった。

 曰く、①葬儀場ができると交通量が増え危険が増す、②住環境が悪化する、③住民に何の相談もなく始めるのは許せない、④京都市条例で審査対象となる100平米以上ぎりぎりの99平米にして審査逃れをしたのはズルイ

 なんだかわけの分からんへ理屈を並べて反対している。まあ、住民の反発を予測した葬儀場側の胡散臭い狡猾さの匂いがぷんぷんする④だけは心情的に分からんでもないが。要するにあんたがた、葬儀場なんか作られたら我が家の資産価値が下がってしまうから断固反対」って、どうして正直に言わんのか。まあそんなエゴい腹の内をあからさまにはできないでしょうけれど。

 あんたらだっていずれは葬儀場の世話になる可能性だってあるではないか。前に書いた「自分達の家の前の道路を抜け道にされるのはイヤだから右折禁止にしろ」とエゴを通した某高級住宅地の連中や、「原発は必要だけれど自分ちの近くに作られるのはイヤだ」っていう都市住民のエゴと同じ思考回路じゃないか。
 というわけで「反対集会」ビラがポストに入れられていたりしても冷ややかに見ていた。

 と、今日こんなビラが投函されていた(タイトル写真)。
「葬儀場反対住民運動」真っ最中の今でなければ、単純に顧客獲得のためのキャンペーンビラと即ゴミ箱入りだったろう。しかし情況が情況だけに、あまりのタイムリーさに持ち前の「疑り精神」が首をもたげてきて思わずかんぐってしまった。実際、平時ならこんな葬儀場キャンペーンビラなんて見たことも聞いたこともない。なぜ今この時期に、しかも「地域限定無料ご招待おみやげ付き」。もう笑うしかないですね。

やれやれ、どっちもどっちのエゴvsエゴ勝負、どっちもガンバ
ちなみに私は隣に葬儀場ができたって反対はしません。日当たりが悪くなったりするようならちょっと考えるかもしれませんが