WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

3ヶ月分、93本なり

2008年03月26日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

 今日は資源ゴミ回収の日。今年1月1日から20Lの指定ゴミ袋に溜めていたペットボトルがちょうど一杯になったので回収に出した。一家4人で溜めに溜めたり約3ヶ月分、けっこうペットボトルを買っているもんだ。

 ペットボトルはかさばらないようにナイフでバラしてパッキングしている。別に取っておいたフタの数は93個、つまりもう少し隙間を埋めるように詰め込めば、20Lの指定ゴミ袋に約100本くらいは入れられるということだ。バラさずそのまま資源ごみ袋に詰め込んだのではせいぜい10本も詰め込めればいい方だから、毎週出す10週分が1回で済むのでゴミ袋の節約にはなっている。
 でも、前にも書いたように、回収時には他の資源ごみ(缶、ビン)と一緒くたにパッカー車に放り込まれる運命なのだ。手間かけてバラしてかさを減らしてもメリットは資源ごみ袋が1袋で済んだことだけ。ひょっとしたら、集積場に集められた資源ごみからペットボトルを選り分けるのには、むしろバラしてないほうが選り分け易いかもしれない。実際、ご近所の大半の方々も、せっかく分けて出しても一緒くたに収集されてしまうバカバカしさからか、最近ではペットボトルも缶・ビンと一緒にゴミ袋に入れて出されている。それでも回収はされて行く。そりゃそうだろう、どうせ一緒なんだから。

 バラして溜めてから出せば回収の回数はグッと少なくて済むから、パッカー車の燃料代や人件費は節約できるはずだ。
 「缶・ビン」と「ペットボトル」を分けて出させるのなら、ペットボトルはバラして出すルールにし、ペットボトルだけを2~3ヶ月に一回収集すれば、より燃料や人件費の節約ができ、後でペットボトルを選別する手間も省けてリサイクル効率も上がると思うのだが?
 そんな知恵さえ働かせず、格好だけ環境に配慮しているようなポーズをとっているだけだからこんなことになってしまうのだ。


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2 コメント

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Unknown (ポンペイウス)
2008-03-26 23:03:28
   
 ゴミと言えばチョッと前に話題?になった「ナポリを見て死ね」(風光明媚なナポリを見ずして死ねない)→「ナポリを見て死ぬ」(あまりのゴミの汚さと臭さで死んでしまう)に変わったらしいのを思いだしました(‐‐)”・・少し話題がそれました・・失礼しました。 

  京都市のゴミ分別は結構 いい加減(あっ大雑把と言わないと叱られる?)ですね~~私の故郷(旧美山町)ではペットボトルとビン・カンを分けるのは勿論ビンも色別 カンも素材別だったです(現在は不明ですが・・) 収集もご指摘のように京都市のように何もかも一緒にバリバリ車に積み込んでなっかたようでした(まぁ~戸数が少ないという理由もありますが) ホントにリサイクルされてるのか疑問です~~(やっぱりポーズだけかも?) カン・ビンは別としてペットボトルは他のゴミを燃やす時に燃料として燃やすの方が再生するより効率よい(再生するのに再び 手間と$カネ\そしてエネルギーがかかる)という説もあるよです・・まぁ効率はやり方しだいで改善するかも長期的に見るとまた違う考えかたもあるかもしれませんが??
 便利なペットボトルですがホントは使用を減らすのが一番良いのしょうね(理想主義?)      あぁ~ つい×② ながくなり失礼しました 
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京都市以外では、 (みや)
2008-03-27 21:12:38
私の行ったところ、中でも田舎は、どこも京都より分別は厳しく、せっかく分けてあるものを一緒くたにパッカーに詰め込むような愚かなことはしていませんでした。京都は歴史と伝統は超一流かもしれませんが、それに寄りかかった行政、特に環境衛生は三流ですね。集めた資源ゴミはいったん業者のところで再度分別しなおしてるんですね。またこの業者が曲者で、あの中抜け職員、給料ドロボウ職員達のバック団体ナントカ同盟と関係ある業者らしい。毒キノコのように行政に菌糸を張り巡らしている、この人たちが死に絶えて世代交代するまで、改革なんて望めそうもないですね。
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