後醍醐天皇と悪党

今日は、「日本史・中世」の講義を受講しました。
若井先生より、「後醍醐天皇と悪党」を学びました。

南北朝のことが理解できる良い講義でした。

内容は、
*後嵯峨天皇のあと、両統迭立となった、鎌倉幕府と天皇家の関係は良かった。
*後醍醐天皇が政治の実権を握るために、討幕計画を行った。
*正中の変、元弘の変を経て、後醍醐天皇は隠岐に流された。
*護良親王の討幕運動、楠正成ほかによる討幕活動が活発となる。
*後醍醐天皇が隠岐より脱出。
*足利尊氏の幕府への反逆と京都占拠と、新田義貞の鎌倉陥落となった。
*建武の新政では、楠正成など取り巻きは厚遇したが、尊氏の処遇は微妙だった。
*尊氏が北朝側と組んで、建武に反旗を翻したことより、後醍醐天皇が吉野に逃げて、南朝を宣言した。
*これより、南北朝時代となった。
*後醍醐天皇はすべての政権・政策を実行しようとして、尊氏は武士政権を再開しようと、考えが合わなかったので、南北朝時代となった。
などでした。




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