応仁の乱 Ounin Battle

今日は、「日本史・中世」の講義を受講しました。
若井先生より、「応仁の乱」について学びました。
「応仁の乱」の全体像が良く分かりました、良い講義でした。

内容は、
*1467年から1477年に、京都で、10年続いた乱である。
*乱の原因は、細川勝元と山名持豊の対立、畠山と斯波の内紛と、足利将軍家の内部対立である。
*東軍(細川)16万と西軍(山名)11万に分かれて、これに足利家と有力大名が分かれてついた。
*義尚将軍の就任、大内の帰国などから、細川側が勝利と考えられる。
*戦国時代はこの時から始まった、下克上が始まった。
*乱の結果、京都は荒廃した。
*足利サイドでは、1489年義尚、1490年義政、1495年富子が死亡。
*足利将軍家の権力が弱体し、管領細川家の権力が強くなった。
などでした。
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