宮崎あおい、最高っすね。ところで、彼女はどんな愛を知ってるんだろうか?
”私はかつて愛を知った”ってことは、さすがに彼女は仏文科なので、恋愛小説や、テレビの恋愛ドラマや、その手のDVDやエッチなビデオを、かつて見たり読んだりしたことがあることを表している。だからこそ、特定のオトコがエッチの時にニュルニュルのクスリを使うという事を知っているのだ。でも、彼女がニュルニュルのクスリを何に使うと思ったのかは見当もつかないのだが。
また、"I know"と現在形ではなく"I have ever known"と過去分詞なのは、現在、自分が知りえているかどうかは自信がないのだ。つまり、彼女がかつて知った愛は、その後失われてしまったのだ。事実、彼女は小さい頃に母親を亡くし、父親と弟と3人で暮らしてきた。家族の食事や弟の面倒は彼女がみていたのだ。さらに彼女が大学4年の時に、弟を病気で亡くしている。つらい青春時代だったに違いない。愛を求めてビデオやテレビにのめりこむ日々。彼女がクスリに走ったのも、避けられない事だったのかもしれない。
さて、問題はここだ。愛を失った人や、愛を知らずに育った人は、映画”パフューム/ある人殺しの物語”で描かれていたように、凶悪人になることが多い。もっと、端的に言うのなら、映画”羊たちの沈黙”で出てきたFBI心理分析官バリの心理分析を行うと、彼女のような人は凶悪な犯罪に走りやすいとするほかない。というのも、こないだの米銃乱射大量無差別殺人の犯人と経歴がかなり近いからである。この間の犯人は、こんなメッセージを米NBCに送っている。
「お前らはあらゆる物を手にしていた。メルセデス・ベンツにも満足しなかった。このガキどもめ。お前らは金のネックレスでも満たされなかった。この俗物どもめ。お前らは投資信託の資産にも満足せず、ウオツカやコニャックでも満たされなかった。あらゆる歓楽の限りを尽くしても物足りなかった。これだけあっても、お前らの快楽主義的欲求を満たすことはできなかった。お前らはあらゆる物を持っていたというのに」
宮崎あおい様。あなたはきっと凶悪な心を持つと私はここで断言する。もし、違うというのなら、メールで反論を寄せて欲しい。メールをたくさんもらえるのなら、私は非常に幸福だ。
と、ここまで書いた時、昼休みに外出していた同僚達が戻ってきた。私は、その一人に聞いた。
「ねえ、『ただ、君を愛してる』の続編が作られているって知ってる?」
「え?」
問いかけられた彼女が振り向いた。
「……そんなハズないでしょ。だいたい、どうやって続編なんて作るのよ」
「いや、ストーリーは知らないけど。でも、タイトルは既に決定しているらしい」
「ふうん。……んでタイトルは?」
「『ただ、君を愛してる2――宮崎あおいは生きていた!』」
「なに、3年前のネタを言ってんのよ」
「ほ、本当なのに……。インターネットで調べたんだから間違いない」
「どこのサイトよ、それ」
「どこだか忘れたが。それとも『ただ、君を愛してる――いま、会いにゆきます』だったかな」
「それって、別の映画でしょ!」
「私に言われても困る。他にも『涙そうそう2――にいにいの病死なんてなんくるないさ』とか、『世界の中心で愛を叫ぶPart2――アキ復活』とか」
「もしかして、夢でも見てたの……?」
「なにっ、私は夢を見ていたのか……っorz」
世の中には半覚醒とか白昼夢とか妄想狂とか色々な言葉があって、寝ているか起きているかの区別というのはなかなか難しい。どうやら、私は夢を見ながら文章を作って、それをタイプするという離れ業をやってのけたようだ。ここで私は気がついた。あの映画のヒロインの名前は、宮崎あおいではなく里中静流だった・・・・・・orz。でも、昼休みが終わっちゃったから、この文章を書き直す時間はない。なんてドラマチックなんだろう。2日間の昼休みをかけて書いた文章が、ゴミだったなんて・・・・・・。
I look up as a tear rolls slowly down my cheek
I think about better days and wonder if I'll feel that way again