喜劇を解説することこそ、悲劇的なことはない。何を書いても、面白さでは勝てずに無粋な文章になってしまうし、そもそも、シャレを解説したところで、雰囲気やおかしさで笑えるモノが、まったく笑えなくなってしまうことが多いからだ。なんて、こんな事を書いててもちっとも面白くないし、ユーモアを理解しないやつはどんなに説明してもわからないだろう。ここでは心して、ショシンシャにはわからないブラックユーモアで記事をまとめる。決してこの映画の上辺のシモネタに惑わされてはいけないのだ。
この映画の最大のブラックユーモアは、ボーラット演じるサシャ・バロン・コーエンがユダヤ人であること。そして、アメリカに限らず世界中にいるユダヤ人に非常に大切な事柄をこの映画で浮き出しにしていることだ。
ユダヤ人にとってアメリカは良い国であるとするのは、間違いとは言えないが決して正しくはない。アメリカでも、キリスト教白人の利益が第一優先されることによる迫害(人種差別)はユダヤ人にも東洋人にも及んでいる。自由と民主主義の国アメリカには人種差別の歴史があるが、実は黒人差別に匹敵する規模の陰湿な差別があったのはユダヤ人差別である。なぜ、ユダヤ人は嫌われるのであろうか。ユダヤ人はもともと、神と契約した民族で、どんな人種でもユダヤ教に帰依するものはユダヤ人と見なす。このため、ユダヤ人が異郷の地でかたくなにユダヤ教を守ってきた事、それに加えて、マスコミや映画を資金源として経済の主要部分を牛耳ることにより情報操作をしていると思われていることが原因だ。
この映画の随所にちりばめられた下品なギャグの下に、心を刺すほどの痛烈な風刺が盛り込まれている。彼は、強烈な反ユダヤ人主義のカザフスタン人のレポーターのフリをして、奴隷制度復活を願い、女は家畜と同じ、ホモは殺せと言い放つ。まさに、トラの尾を踏む言動。日本人としては人種間のあつれきや確執にはあまり馴染みがないのではあるが、この下ネタでカムフラージュされたシビアな風刺を理解すればこのブラックユーモアを堪能できるどころか、笑顔がひきつるのを止めようがない。FBIや地元警察を敵に回しながらも撮影したこの映画、マジかよ。
真似の得意な日本人のことだ。Tokyo→Osakaのロードムービーを松本人志あたりが撮ってくれないかなあ。もちろん、テーマは抹殺関西人。レポーターは中国の美人キャスターあたりでどうよ。生の関西人のブチ切れまくりを見たいような気がするけど、悪趣味かね。
Borat Meets David Letterman
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