食堂で食事をするその一人に、車椅子に乗ったその老人がいた。娘が食事のたびに老人を介助していた。老人は軽い認知症のようだった。昨年の末に、自宅でフラフラ起き出して転んでしまい尾てい骨を骨折したらしい。車椅子が手放せない状態だった。
老人は夜中に娘を呼んで大声で叫んでみたりと騒がしいので、同室の入院患者たちや、そばの部屋の女性入院患者たちから好かれてはいなかった。そんなこともあって、老人の娘は毎日、朝早くから面会時間の終わる夜8時まで、途中食事に家に戻るのだが病院に何度も足を運び老人の世話をしていた。
ある日の午後、病棟の廊下の突き当たりにおいてあるベンチに腰掛けて話し相手を探していた時に、その老人と娘がリハビリのための自主トレにやってきた。その娘といろいろ話をしたのだが、老人はその昔、漁師だったらしい。海苔の養殖で生計を立てていた。現在、彼らが住んでいる駅前の一等地は、老人が現役のころは海辺だったのだそうだ。埋め立てで駅前の商業地が出来上がり、あっという間に大型店舗が立ち並んだとのこと。
老人は漁師だったこともあって、言葉が少々乱暴だ。娘の食事の介助に対しても、やれ水だとか、メシだとか軽い認知症であるにもかかわらず、不明瞭ながらも乱暴な言葉で叱り飛ばしている。
娘も老人から頻繁に怒鳴られるのが嫌で、時々、老人に対してやり返すのだが、この口論がどうやら他の入院患者たちの彼女に対する悪評につながっているようだった。だが、悪口を言う入院患者たちは、わがままな老人に対する彼女の献身的な介助を見てはいない。
食堂で彼ら親子の様子を見るにつけ、ぼくは彼女の老人に対する献身に感心していた。確かに、たまに老人に対して大声でやり返すことがあるものの、老人のわがままから発せられる言葉がその原因であり、同情を感じざるを得なかった。
娘さんにふと、
「(毎日の介護が)大変ですね。たまには温泉で1日のんびりすれば、きっと発散できますよ」
なんて、大きなお世話だろうなと思いつつも口走ったら
彼女は顔を輝かせてぼくをそっと見つめ、しばらく思いをめぐらせていたようだったが、
「でも、これだから・・・・・・」
彼女は視線を老人に戻した。
夢でも良い。彼女がひと時でも現実から逃れて、自分自身を取り戻せる時間があればとぼくは思っていた。
老人介護。少子化が進んだ現在の日本では、どこの家庭でも老人介護の問題に頭を悩ませざるを得ない状況だ。
老人介護で苦労している人がたくさんいる。そしてその多くが、病院を転々とさせられたり、介護と病院探しに明け暮れている等の生々しい実態がある。高齢者介護に関する現行の制度は、医療と福祉の縦割りの制度となっており、サービスが自由に選択できないこと、サービス利用時の負担に不公平が生じていること、介護を理由とする長期入院(いわゆる社会的入院)等医療サービスが不適切に利用されていること等の問題がある。
こうした不安や問題の解消を図り、今後、急速に増加することが見込まれる介護費用を将来にわたって国民全体で公平に賄う仕組みを早急に確立する必要があろう。
高齢化社会は、待ったなしの重要な課題としてわが国に重くのしかかっている。施設の拡充のみならず、安い外国労働力を充当するなどの早急な対策が講じられるべきだ。