同じ交通事故でも、事故の被害者である場合は様子が全く異なる。
ぼくは右足手術の1週間後、術後経過は順調で当面は骨が接合するのを待つ以外何もすることがなくなって、それまでの急性患者用の病室から亜急性患者用の病室へ移されたのだが、その隣のベッドの若者が交通事故の被害にあったヤツだった。
彼はバイクで直進中、右折車に道を譲った車の脇を通り抜けて、右折してくる車と正面衝突したらしい。典型的な譲り事故というやつだ。
どうやら相手の過失が100%らしく、入院医療費、および、休業補償もしてもらえるようだ。
その昔、真田広之主演の「病院へ行こう」という映画を観たのだが、働かずにお金を貰えるおいしい状態に味を占めたセコイ公務員とその嫁が脇役で出てくる。医者の回診において、大げさに痛がって見せるものの、医者がいないところではアイスキャンディを片手にあちこち歩き回り、入院ライフを楽しんでいる。
彼はまさにそれだった。「如何に相手側の加害者や保険会社に1円でも多くの保障を払わせるか」という講釈が、日夜、病室内で繰り広げられ、同じような交通事故の被害患者を見舞いに来た加害者や保険屋の担当者には、「可哀相に。夕べも身体が痛くて眠れないって、ボヤいてたよ。その人」とか、「毎日、奥さんが遠くから見舞いに来てるらしいけど、そういう交通費って、なんとかしてやれないの?」等と野次のような援護射撃を撃ちまくっていた。また、彼の友達が見舞いに来れば、「一日中楽して遊んで、金はもらえる最高の日々なんだ」と自慢げに話していた。
30代前半の彼は、1歳半になる女の赤ちゃんがいる。入院してから1ヶ月になるのだが、最近は週末に自宅へ外泊。平日は毎日、奥さんと赤ちゃんが午後早くに病室へやってくる。赤ちゃんは活発な子で父親の顔を見ると活性化するらしく、病室内をはしゃいで回る。
奥さんは奥さんで彼の身の回りの世話をかいがいしくするので、彼らが病室に訪れると静まり返った病室がにわかに活気付く。時々、病棟内を父娘で車椅子に乗って散歩。その女の子は女性入院患者たちから、その女の子はアイドルのように可愛がられており、病棟の廊下を彼らが車椅子で通行していくと、あちこちからおやつをもらえるらしい。
散歩から帰ってくると、女の子はおとなしく昼寝をしてくれる日もあるようで、そんな時に彼ら夫婦はゆっくりと話ができるようだった。
夕方5時になれば、病棟の端にある食堂へ家族で移動して備え付けのテレビで子供番組を鑑賞。子供はテレビにかじりついて見ている。
6時の夕食時間になれば、コンビニで弁当を買って毎日駆けつける彼の弟とあわせて一家で団欒。そして、子供と一緒に病院のシャワーを浴びて、8時の面会時間が終了すれば彼らを帰す毎日だった。
彼は主治医から盛んに退院を勧められるのだが、傷口が傷むことを理由にガンとして退院を拒否していた。彼の話を聞けば、彼の勤めている鉄工所の職場には洋式トイレがないらしい。彼は職場の上司にも、「洋式トイレがあればすぐにでも出社します」みたいなことを言っているようだ。
人のことだから、彼がどう考えて生きていこうと知ったことではないが、病院には殺菌剤に対して耐性を持った種々の菌もあることだし、幼い子の院内感染のリスクがある上に、彼の人生において無理に引き伸ばす入院生活が果たしてプラスなのかどうか、ぼくにはわからない。
今のところ、5人部屋のこの病室には退院が見えている患者しかいないのだが、他の病室には認知症のお年寄りの患者がいたり、脳性マヒの上に糖尿病で足を切断したような患者もいることだし、どんな患者が同じ病室に来るかわからない。
子供が隣のベッドではしゃぎまわる以上の騒音や叫び声が病室に響かないとも限らないのだ。それでも、彼らは幼い子を毎日病室へ連れてくるのだろうか?・・・・・・ぼくにはわからない。