回復に伴い亜急性病棟へ移った時に、ぼくの向かいのベッドにその老人はやってきた。年齢は90歳。老人は脳外科病棟から移って来た患者だった。向かい側のベッドへ移って来たその日は、老人の次女が老人に付き添っていた。
ぼくはベッドで本を読んでいたのだが、本に落としている視線を上げるとベッドに横たわった老人と、ベッドの側のイスに腰掛けた歳の頃40歳前後の次女が目に入る。
彼女は困っていた。
「困った。困った・・・・・・」とため息とともに、なんども言葉を繰り返していた。
と言うのも、認知症気味の老人が、昔の記憶と限りなく混濁した意識の中で、娘に話しかけるからだった。どうやら、次女の彼女が20年も前にお嫁に行った頃からの記憶が飛んでいるらしい。しばし、彼女の知らないような昔のことをしゃべり、彼女はどう返事してよいものやら困っているのだった。
「困った。困った・・・・・・」
彼女は混濁した記憶の中を彷徨い、ともすれば、妄想に捕らわれ勝ちな父親の言葉に、認知症から早く回復してくれることを願う一方で、本来の父親とはまるで別人になってしまった父親にどう対応していいのか茫然自失の状態だったのだろう。
しばらく彼女と老人の会話が聞こえてきて、「おやっ?」と思ったのは、彼女がなにかにつけてナースを呼ぶことと、老人が家に帰りたがるのは彼女自身が老人の側にいるからと考えていることだった。
紙おむつを当てた老人が尿意を彼女に訴えても、彼女はナースを呼ぶだけで自分では何もしようとはしなかった。まして、後から老人の長女もやってきたのだが、2人の姉妹は、やってきたナースに老人の紙おむつの交換を任せたまま、自分達は廊下の外に出てそれが終わるまで待っていた。
たしかに、この病院では完全看護を謳っているから、「プロの看護婦に任せて、家族は手を出さない」との考えなのかもしれない。しかし、いくら意識が混濁した老人であれ、身内と他人の区別はつく。自分のオムツを交換してもらうのなら、他人である若い看護婦と我が子ではどちらが頼みやすいのだろうか。老人は病院に捨てられていた。彼女たちは自分達の手に負えないからと、若い看護婦の仕事がそれだからと病院に老人の世話を押し付けて、それ以来、ほとんど老人を見舞うことはなかった。
老人の世話に慣れていないのは仕方がない。しかし、自分の幼少の頃、さんざんオムツを交換してくれた親に対し、なぜ、オムツ交換ができないのだろうか。
他人の家庭のことをとやかく言うつもりはないが、老人は明らかに寂しがっていた。ぼくが彼のベッドを通り過ぎる際に話しかけてあげると喜んで、ただし、一本しか歯のない老人の言うことは2割ぐらいしか理解できなかったのだが、会話するのがうれしいようだった。
21時の消灯の際には老人はいつも家へ帰りたがり、不自由な体で懸命にベッドの柵を取り外そうとするのだが、声をかけてあげるうちにおとなしく寝入るのが常だった。
ナース達はさすがだった。パジャマ姿のぼくなんかよりも、白衣の彼女たちの方が老人は安心感を覚えるのだろう。彼女たちが優しく声をかけると、老人の心は落ち着くようだった。病院に捨てられた老人の寂しさを、ナース達が代わるがわる慰めていた。
老人のオムツ交換を繰り返しながら、深夜に家に帰りたいと騒ぐ老人を慰めながら・・・・・・。
いつしか、日本の病院ではこんな光景が随所で見られるようになった。姥捨て山。これが今日の病院の抱える一面だ。
昔は病院に入院すると、付添婦や家政婦が付き添ったものだ。ところが、医療法が改正されて病院は完全看護を建前とすることになったため、医療機関の看護師以外の者が看護することが禁止されることになった。だが、患者が幼児や、精神に障害がある人の場合など46時中看護を必要とする場合には、ナースの手が回らないので家族や付添婦の付き添いが認められている。一方、仕事のきついナースの数は全国的に不足がちだ。だから、一般の病院では、認知症、あるいは、痴呆の患者が入院すると、この例外規定によって病院側から付き添いが求められることもある。
ところが、介護保険も医療保険も付き添い看護は対象になっていない。看護をナースに押し付けるのか、あるいは、その労力を家族が100%負担するのか、これも大きな問題と言わざるを得ない。