tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

山間の古刹 覚園寺

2009-12-12 08:44:33 | 古都 鎌倉

 
 
 
 

時のまの 心の色ぞ しられける 秋の木の葉の 風にまかせて (藤原為家『為家集』)

鎌倉は三方が山に囲まれていて平地が少ない土地だ。多くの寺は狭い谷(谷戸(やと))の奥に建てられている。
執権北条泰時の時代に鎌倉では人口が急増し、このため墳墓堂としての法華堂を建てることが禁止されたらしい。このため、やわらかい凝灰質砂岩でできている陵山腹を穿って仏堂的横穴墳墓であるやぐら(谷戸倉(やとくら))が造られたのだという。
覚園寺は「薬師堂ヶ谷」という谷戸にある。山を隔てて1つ向こうの谷は「獅子舞」とよばれる紅葉の名所だ。
建保6(1218)年、二代執権北条義時が、この地に建立した大倉薬師堂が前身で、その後、永仁4(1296)年、時宗(八代執権)の子、貞時(九代執権)が、再度の蒙古襲来の難を逃れることを祈願して覚園寺を建立した。
その後火事で焼失したが文治3年(1354年)足利尊氏によって再建された。
北条氏、後醍醐天皇、足利氏と代々保護されてきた。

境内は鎌倉武士の凛とした厳しさと神秘さを漂わせ、鎌倉時代の景色を思わせる。茅葺の薬師堂を背景に落葉の絨毯・もみじ・銀杏・あけぼの杉(メタセコイア)の彩なす紅葉は息を呑む美しさだ。
元禄年間に再建された薬師堂には本尊の薬師三尊坐像、左右に日光・月光菩薩・周りに等身大の十二神将立像が取り囲んでいる。また、生前、川端康成が愛してやまなかったという阿弥陀如来坐像(鞘阿弥陀)が本尊の右奥に祀られているほか、本堂天井梁牌には、足利尊氏直筆の字が書かれている。

鎌倉に足を向けると幾分感傷めいたものが湧く。自分の心に残っている若き日々の記憶があるからだろうか。ほの苦い、それでいて切なくなる思い出。。  


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コメント (2)
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