海が付くお寺って、全国にいくつあるのだろう。
「海がすき~」を日ごろ口にしている者にとって、やはり、ここはお参りの定番スポットとして押さえる必要があるのかもしれない。
海蔵寺の山号は扇谷山。谷戸奥に佇む四季の花が咲く寺だ。
もともとは真言宗の寺だったものを、建長五年(1253)に六代将軍宗尊親王の命により藤原仲能(道知禅師)が七堂伽藍の大寺を建立。しかし1333年の鎌倉滅亡の際の全焼。さらに、室町時代になって、関東菅領・足利氏満の命により山内上杉憲定が再興するも、今はほとんどが廃絶。
おそらく、日本の寺のルーツが、インド、あるいは、中国から来た僧の教えにあるとすれば、海蔵寺の名前のルーツは、日本各地の同名の寺とのつながりよりも、中国あたりの寺を探すべきなのだろう。
中国の甘粛省武威市に海藏寺 (HaiCangSi / ハイツァンスー)という寺がある。建立された年代は未詳だ。
だが、寺院の周囲には泉が湧き、木々が生い茂っていて海の中に隠れた寺のようであることからこの名が付いたという。
鎌倉の海蔵寺も、本堂裏の心字池、山門脇の底脱の井(鎌倉十井のひとつ)、薬師堂裏の十六の井に清らかな水を湛える寺だ。
こうした豊富な水の特徴が、この寺の名を海蔵寺としたのかもしれない。
鎌倉駅に戻る途中で寿福寺へ。
かつて立原正秋が作品のなかで「欲のない寺」と表現した静かな寺だ。総門から中門まで、高い木々に囲まれた石畳のまっすぐな参道を歩く。そして中門の左手へ。苔むした石と紅葉が美しいコントラストを織り成している。
やぐらを背負った墓地の方へ行こうかと迷っていると、犬を散歩させていた地元の男性の方が道案内をしてくれた。
冬空の下、墓地は深閑として広がっていた。
「大佛次郎」の墓は、父「野尻政之助の墓」と並んで建っていた。「実朝・政子」「高浜虚子」等の墓も香華が絶えない。
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