tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

病室長

2008-03-26 20:21:06 | 日記

交通事故以外の骨折入院患者は、ほとんどが職場での事故が原因だ。入院当初の病室には、クレーンから落ちた鉄パイプの下敷きになって足を骨折した年配の男性がいた。彼は溶接のベテランの職人さんだった。大手の機械メーカーに勤務していたのだが、リストラにあって現在は派遣会社に所属しているらしい。
事故の際に、背中を向けていた彼に150mmφ×5.5mの鉄パイプが転がってきて足に激痛を感じて、気がついたら右足のつま先が見当たらなかったとのこと。つまりは、右足の骨が折れてつま先が90°以上、後ろを向いていたということ。救急車で運び込まれて、即入院。
チタン製の心材を骨の中に入れて、骨折していた骨を固定。足首は異常がなかったようなので、手術後、リハビリを開始し順調に回復に向かっていたらしい。ところが足に徐々に体重をかける段階になって、埋め込んでいたボルトがゆるんでしまったらしい。ボルトを締めなおすか、あるいは、抜くかの判断で、医師は抜くことを選択したようだ。
そして再手術。その頃にぼくが病室に入院した。
ぼくより1ヶ月半先行して入院していた彼は、その分、病院のいろいろなことに精通しており、新参者のぼくにいろんなことを教えてくれた。恐らく、大部屋であればどこの病室にもそんな患者はいると思うのだが、彼は男性のほかの病室はもちろんのこと女性の病室にも出入りして、入院中に親しくなった患者達と毎日長々とお話をしていく。まるで、担当医の回診のように。
入院中、わからないことは彼に相談すればほとんど解決することができ、彼は新しく入院する患者達にまるで病室長のように信望があった。
たしかに、入院生活は単調で、ベッドに1日中横になっているとあきる。だから、人と積極的にコミュニケーションをとらないと気が滅入ってしまう。彼は人と会話することで入院によるストレスをうまく発散させているようだった。

彼を見て思ったこと。
人の心を掌握する上で、コミュニケーションが必要だと言うことを改めて認識した。ぼく自身、仕事が研究職ということで、勤務時間中は同僚達とほとんど会話することなしに1日が終わるような暮らしを続けてきた。だが、入院して若い元気なナースたちに、毎日、温かい言葉を始終かけてもらい、そのうえ、彼のような話好きの患者に捕まって逃れようのない会話に誘い込まれ、いつしかぼくは人と会話ができるようになっていた。
ぼくがこの入院生活で得たもの。
右足骨折からの回復以上に、他人とのくだらない会話を面倒くさがらずに積極的にできるなったこと。
そして、いつしかぼくは、病室長以上に話し好きのおっさんになっていた。

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「病院へ行こう」

2008-03-25 21:32:49 | 日記

同じ交通事故でも、事故の被害者である場合は様子が全く異なる。
ぼくは右足手術の1週間後、術後経過は順調で当面は骨が接合するのを待つ以外何もすることがなくなって、それまでの急性患者用の病室から亜急性患者用の病室へ移されたのだが、その隣のベッドの若者が交通事故の被害にあったヤツだった。
彼はバイクで直進中、右折車に道を譲った車の脇を通り抜けて、右折してくる車と正面衝突したらしい。典型的な譲り事故というやつだ。
どうやら相手の過失が100%らしく、入院医療費、および、休業補償もしてもらえるようだ。

その昔、真田広之主演の「病院へ行こう」という映画を観たのだが、働かずにお金を貰えるおいしい状態に味を占めたセコイ公務員とその嫁が脇役で出てくる。医者の回診において、大げさに痛がって見せるものの、医者がいないところではアイスキャンディを片手にあちこち歩き回り、入院ライフを楽しんでいる。
彼はまさにそれだった。「如何に相手側の加害者や保険会社に1円でも多くの保障を払わせるか」という講釈が、日夜、病室内で繰り広げられ、同じような交通事故の被害患者を見舞いに来た加害者や保険屋の担当者には、「可哀相に。夕べも身体が痛くて眠れないって、ボヤいてたよ。その人」とか、「毎日、奥さんが遠くから見舞いに来てるらしいけど、そういう交通費って、なんとかしてやれないの?」等と野次のような援護射撃を撃ちまくっていた。また、彼の友達が見舞いに来れば、「一日中楽して遊んで、金はもらえる最高の日々なんだ」と自慢げに話していた。
30代前半の彼は、1歳半になる女の赤ちゃんがいる。入院してから1ヶ月になるのだが、最近は週末に自宅へ外泊。平日は毎日、奥さんと赤ちゃんが午後早くに病室へやってくる。赤ちゃんは活発な子で父親の顔を見ると活性化するらしく、病室内をはしゃいで回る。
奥さんは奥さんで彼の身の回りの世話をかいがいしくするので、彼らが病室に訪れると静まり返った病室がにわかに活気付く。時々、病棟内を父娘で車椅子に乗って散歩。その女の子は女性入院患者たちから、その女の子はアイドルのように可愛がられており、病棟の廊下を彼らが車椅子で通行していくと、あちこちからおやつをもらえるらしい。
散歩から帰ってくると、女の子はおとなしく昼寝をしてくれる日もあるようで、そんな時に彼ら夫婦はゆっくりと話ができるようだった。
夕方5時になれば、病棟の端にある食堂へ家族で移動して備え付けのテレビで子供番組を鑑賞。子供はテレビにかじりついて見ている。
6時の夕食時間になれば、コンビニで弁当を買って毎日駆けつける彼の弟とあわせて一家で団欒。そして、子供と一緒に病院のシャワーを浴びて、8時の面会時間が終了すれば彼らを帰す毎日だった。
彼は主治医から盛んに退院を勧められるのだが、傷口が傷むことを理由にガンとして退院を拒否していた。彼の話を聞けば、彼の勤めている鉄工所の職場には洋式トイレがないらしい。彼は職場の上司にも、「洋式トイレがあればすぐにでも出社します」みたいなことを言っているようだ。
人のことだから、彼がどう考えて生きていこうと知ったことではないが、病院には殺菌剤に対して耐性を持った種々の菌もあることだし、幼い子の院内感染のリスクがある上に、彼の人生において無理に引き伸ばす入院生活が果たしてプラスなのかどうか、ぼくにはわからない。
今のところ、5人部屋のこの病室には退院が見えている患者しかいないのだが、他の病室には認知症のお年寄りの患者がいたり、脳性マヒの上に糖尿病で足を切断したような患者もいることだし、どんな患者が同じ病室に来るかわからない。
子供が隣のベッドではしゃぎまわる以上の騒音や叫び声が病室に響かないとも限らないのだ。それでも、彼らは幼い子を毎日病室へ連れてくるのだろうか?・・・・・・ぼくにはわからない。

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入院患者たち

2008-03-24 22:23:59 | 日記

整形外科の入院患者の8割は、脊柱管狭窄症など椎間板ヘルニアの手術患者だった。入院して検査を受けて1週間程度で全身麻酔による手術。手術後に経過を見るのだが、個人の体型に合わせた特注のコルセットを装着し、退院に向けたリハビリを開始。手術後は2~3日、歩行器という体の半分を預けられる足にローラーがついた台を使って歩いていたかと思うと、そうした補助の機器なしであれよあれよと言う間に歩行をはじめ、手術後1週間で退院していくパターンだった。つまり、腰痛の手術患者は、入院から2週間もあれば晴れて出所ということになる。

さて、残り2割の患者の半数は、自損他損も含めて交通事故の患者たち。バイクで事故った若者や、軽自動車同士で正面衝突して足を骨折したオバちゃんなどだ。
この場合、事故の加害者と被害者で当然のことながら入院患者の態度は異なる。不幸なことに加害者になってしまった場合は、各種保険が適用されようが彼らの気持ちは非常に複雑だ。食事に病棟の食堂に出向くと、交通事故の加害者となってしまったそのオバちゃんがいた。話をすると、そのオバちゃんは出身地がぼくの母親と同郷。そんなことから、彼女が退院するまでの2日間、彼女の隣の席に座って食事をしながらいろいろな話をした。
彼女の夫は昨年の夏に脳溢血で倒れて、現在もこの病院の神経外科病棟に入院中らしい。その後遺症で四肢が麻痺しており、わずかに右手の指先がかすかに動くだけのようだ。無動きできない入院中の夫を見舞うため、彼女はこの病院へ軽自動車で通っている最中の事故という。
話を聞くと気の毒で、何かの慰めにでもなればと食事のたびに彼女の話を聞いてあげていた。
「もう、絶対に車には乗らない」
と彼女は言った。車に乗らないよう、彼女の長男夫婦の勧めもあるようだ。
ただ、彼女は田舎育ちのせいかひなびた暮らしにあこがれていて、交通の不便なところに彼女の自宅があった。最寄の駅までは歩いて30分以上。おまけにバスも通っていないという。また、近くにはスーパーなどもないらしい。こんな場合に生鮮品の宅配をしてくれる生協のありがたみが実感される。
生協の生鮮食品の宅配の話をすると、彼女はにっこり笑って
<ご近所の方を誘って、生協に加盟している>とのこと。退院してからも、なんとか配達を続けてもらえるように頼んで見るつもりとのことだった。
彼女の言葉には、北関東独特のお国訛りはほとんどない。だが、年配女性特有の話し方で、あちこちへ話題が飛んでいく。ぼくは彼女の話を聞いてあげるだけで何もしてあげられないのだが、彼女は自分の息子よりもぼくがかわいいと言って慕ってくれた。彼女は片手に杖をついたまま、その週の土曜日に退院していった。

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「飯待つ間」

2008-03-23 15:21:34 | 日記

正岡子規が晩年に「飯待つ間」という有名なエッセイを残した。
子規は周知のとおり、一生の大半を病気とともに過ごした人だ。とくに29歳から亡くなるまでの約7年間というものは、脊椎カリエスのために病床を離れることができなかった。それにもかかわらず、子規の著作は膨大なものに及ぶ。
朝食をとらない子規は、昼飯が待ち遠しくて仕方がない。その飯を床の中で頬杖ついて待ちながら、庭の木を見たり、庭の向こうの路地で遊ぶ子供の声を聞いたりしている。そのうち飯が来る。それだけの話だ。しかし、これを読むと人生というのは、結局、「飯待つ間」なのではないかという気がしてくる。
子規のエッセイを持ち出すまでもなく、入院生活で少ない楽しみの一つは食事だ。外科病棟は他の内科病棟などとは異なって、特に問題がなければ常食と言って普通の食事がでる。もちろん、高齢者の場合は糖尿などを患っているから食事制限が必要なのだが、
ぼくのようにスポーツで怪我をしたなどという希少な患者に対しては、体力を維持するための献立にしてくれているようだ。
この常食がうまい。先にも書いたが、普段、家で食べていた粗末な食事よりも味が濃く、エアコンで乾燥した病室内の空気と相俟って、入院中はしきりに喉がかわく。

普通の入院患者は、常食を毎食残さずに食べていても体重は減るものらしい。入院中は無分別に間食ができないこともその理由のようだ。また、アルコールはご法度なので、病院食で摂取するカロリーは必然的に少なくなるのかもしれない。
ところがぼくの場合、入院5日目に体重を計ったら、体重が人生最高値を記録したからあわてた。
昨年、10数年ぶりにスキュバダイビングに復帰した際に、若い頃作ったウエットスーツがきつくて、なんとか当時の体型に体を戻そうといろいろ努力をした。段々だった腹筋は脂肪に変わっているが、どうやら減量には成功し、サイズ的には当時と同等になったと喜んでいた体重を5kgもオーバーしていた。それも、入院してたったの5日間で。
骨折した足を直すため、病院での食事をすべて完食しようと思っていたのだが、こうも太りだしたらたまらない。
ぼくはナースにお願いして、食事の量を半分にしてもらえるように頼んだ。そして、鶏肉以外の肉は摂らないようにダイエットを開始した。病院側でも、ダイエットメニューのリクエストはある程度聞いてくれて、メニューのアレンジが可能なようだった。
こうして、ぼくは食堂の隣の席で食事をする60歳代の男性と同じ食事のメニューながら、ご飯の量は半分で入院生活を続けることになった。また、味が濃すぎる食事については、今後の体調を見てどうするか決めることに。

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整形外科というところ

2008-03-22 14:58:08 | 日記

ぼくが入院していた整形外科病棟には、骨折も含めて40数人の入院患者がいたのだが、毎週末ともなれば何人かの患者が松葉杖をついて、あるいは車イスに乗ったまま退院していった。彼らは社会復帰には程遠い状態で出て行った。残された長期の入院患者たちは、退院していく患者達を複雑な気持ちで見送ることになる。
そして週明けになれば、次から次へと新しい入院患者たちがやってきた。
雪で転んだり交通事故で怪我をした人たち、脊柱管狭窄症で手術を受ける人たち、手術を前提とした検査入院の人たち。ぼくは入院中に何人もの人たちと親しくなって、そして何人もの人たちを見送ることになった。みんな笑顔で退院していくが、彼らは一様にこれからの生活に不安を隠しきれないでいた。

入院患者は、下は3歳から上は90歳を越える高齢者までいるのだが、平均すれば60歳代ということになろう。日本の高齢化社会の一面がこの病棟の平均年齢に現れている。そして男女の比率は4:6で女性が多い。入院患者に年配の女性が多いことから、病棟内の雰囲気は推して知るべし。女性の病室は4人部屋であれ、6人部屋であれ、ベッドのまわりのカーテンは日中は開けっぴろげで、彼女たちはベッドに横になっている。
だから、病棟内の廊下を松葉杖をついてウロウロ歩き回っていると、女性たちが入居している病室の入り口から一斉に注目を浴びてしまうことになる。
一方、男性の病室はベッドまわりのカーテンが締め切られ、ひっそりと静まり返っていて話し声すら聞こえない。
病室には、見舞い客達がそれぞれの知り合いの患者の元へ押し寄せるのだが、他の入院患者に気遣うことは少ない。すべての見舞い客がとは言わないが、彼らは見舞いに来た患者を元気付けるためか大声で喋り散らし、病院の食事の時間も構わずに通路をふさいでナース達の仕事の邪魔をしたうえで自己満足して帰っていく。
病院には見舞い客用に談話室(兼食堂)を用意しているのだが、そこでたむろする見舞い客たちは、入院患者の食事の時間でもそこに居続けようとする。このため、患者同士で会話をしながらの食事をするささやかな楽しみを奪ってしまう。
見舞い客にすれば忙しい時間を割いてきたのだから、面会中に患者を一生懸命元気付けようとしてのことなのだろうが、無関係の人間からみれば邪魔くさいことこの上ない。

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