地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

母の命日

2011年06月06日 | ひとりごと

 

母の命日の今日、畑でキューリを二本初収穫し両親の仏壇に供えた

 今日は母の命日だ。お墓に行って、少しだけ墓掃除もした。いろんなことを思い出したりもした。

 その日、入院中の母の見舞いを、午後から会議の後に行く予定としていた。が、思い立って会議に行く前に立ち寄った。パートナーや娘は午前中に行っていた。

 私が病室に入ると、もうお医者さんが心臓マッサージをしてくれていたが、戻ることはなかった。容態が急変したとのことで、パートナーや娘ともに、見送った。貧しい中で私たち兄弟を育ててくれたお礼を、一言も言わないままの永遠の別れとなった。今から14年前のことだ。

 父は入院中の昼間に、母と兄弟で見舞いに行った際には「退院したら温泉にでも行こう」というくらいに元気だった。その病院から夕方に呼び出しがあり、行ってみるともう白布をかぶせられていた。父にも、感謝の言葉を伝えられていない。それは、もう20年も前のことだ。

 ところで、母は近所の畑を借りて、たくさんの野菜を育ててくれた。朝一番に家を出て深夜に帰宅し、休みの日もほとんど仕事等をしていて、母の野菜づくりの手伝いをすることはなかった。そしてまた、今は朝は必ず野菜サラダを食べているが、当時は野菜をほとんど食べることもなかった。心から申し訳ないと思っている。母は花が好きだったし、野菜づくりも上手で、それらを使った料理もとても美味しかった。

 今、私もご縁があって、畑にお野菜を育てている。当時、少しでも教えてもらっておけばと悔やんだりもしている。

 そうした中で、昨日ウォーキングの途中にたくさんの畑を見たが、みなさん丹精込めてとても豊かに育てられている。ジェラシーを感じるとともに、恥じ入るばかりだった。(写真)

 そんな他の方の畑を見ていて、石川啄木の「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ」の句を思い出した。どの畑も、我が貧しい畑に比べると立派だ。少しだけ落ち込んだりもする。

 それでも今日、私が畑で育てているキュウリを二本、初めて収穫できた。早速仏壇に供えた。両親に心からの感謝込めて、今日一日を過ごした。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義援金

2011年06月06日 | ひとりごと

  

「(日赤の)義援金支給どうなんってんの」、大きな見出しに唖然とした

 今朝のスポーツ報知を見て、開いた口がふさがらなかった。その記事によると、日赤と中央募金会には2,513億円の東日本大震災に関わる義援金が寄せられた(6月2日現在)が、被災者に届けられたのはタッタ287億円だそうだ。

 「日赤の義援金は、被災者に届かない」という話は、いろんな所で聞いてきた。しかし日赤は「義援金の募金箱」を貸してくれるので、私も何度か利用させてもらってきた。

 例えば、「劇団若獅子&市川亀治郎in岡山」公演の際にも募金箱をお借りした。その義援金箱は鍵がかかっており、日赤にそのまま届け、後日10万弱の領収書が送られてきた。

 ともあれ、多くのみなさんの被災された方々のためにとの「善意が2,513億円集められたのに、被災者に届いたのはわずか287億円。未だ1,691億円が中ぶらりん」とは、呆れ果てると同時に、怒りが湧いてくる。

 3月11日から、もう三ヶ月が経過している。迅速に処理して、被災された方々の手元に届くよう、心から願う。東日本大震災に関しては、東電や政府の対応など、言いたいことや書きたいことが山ほどあるが我慢している。これまた、迅速な対応を願う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにぶん初めて

2011年06月06日 | 身辺雑記

 

昨朝も薬について「老人力」を発揮、「なにぶん老人は初めてなもので」悩む

 「星空まつり」について、事前にビールやフードを買える金券を購入していたのにも関わらず、開催日を間違えて、金券はパーとしてしまったことは既に書いた。

 前期高齢者の仲間入りした身であり、次第に「老人力」の発揮が頻繁となってきている。昨日の朝は、薬を間違えて飲んでしまったようだ。私は朝食後と夕食後に服薬しているが、その種類が違う。ところが昨朝は、夜の薬を飲んでしまったようだ。朝の薬は飲んだかどうか、定かではない。困ったものだ。

 ところで昨日は久しぶりの友人と、日曜の朝10時頃から廣榮堂でお茶をした。お店の中には、先にテーブルに座っていた四人組があった。私よりも一回り上の世代だろうか、まさに四方山話を楽しまれていた。私も、もう10年も経った頃にお茶を飲みに廣榮堂に行く元気はあるだろうか、それよりもお茶を飲む友人はいるのだろうかと、ふと不安がよぎった。

 どなたかの本の題名ではないが「なにぶん老人は初めてなもので」(中沢正夫著、柏書房刊)、いささかに悩んだりもする。そしてまた「発達途上にある」ので、これまた悩ましい限りだ。

 いくつかの「老人力」発揮はあるものの、まだまだ元気に過ごして生きたいと願う。その意味では、薬を間違いなく飲めるのは元気な証拠だと考えたりもする。

 ところで、昨日セリンセを話題にしながら、その写真を貼らなかった。なんとも恥ずかしい限りだ。お許しを。ま、これも「老人力」故なり。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする