地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

何でもない一日

2011年06月12日 | 身辺雑記

 

今日も午後から雨、午前中に農作業をし午後はランチ&お買い物

 今日の天気予報は、まさにピッタリ的中した。お昼から雨の予報となっており、その通りとなった。そんな今日は、朝7時30分から畑やお庭の様々な作業を開始した。今日は日曜なので、孫も来ないので、8時30分から朝食の準備を開始する。

 一時間程度の朝食の準備&食事を終える。その後、また作業に戻るともうお昼。何とも時間が流れのが早い。今日は畑の草抜きをと思っていたが、そんな時間はなかった。セリンセの種は、午後から雨ということで、なんとか採った。

 そうこうする内に、娘が孫を連れてお昼を食べに行こう誘いにくる。それは、孫に言わせるのでノーとは言えない。つまりは、スポンサーになるということだ。

 食事後、孫がタカシマヤに行きたいと言い立ち寄る。そのタカシマヤでは、「東北支援フェア」をやっていたので、いくつか買い求めた。その後地下一階に行き、ケーニヒスクローネで「日曜限定」を買う等した。

 帰宅すると、もう夕飯を準備する時間となる。その間に、友人からの「お茶のお誘いメール」や、親しくさせていただいている方からの電話などもある。

 「毎日が時間豊か自由人」の身ではあるが、私にとっての土・日はそうした中でももっともゆっくりできる日な筈だ。しかし、なんだかんだの所用ができてくる。決して豊かではないが、それでも「何でもない日常」を送ることができるのを「幸せ」と言うべきなのだろうか。

 

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『生活の設計』、

2011年06月12日 | 読書

 

佐川光晴が「屠場」で働いた経験を素に書いた『生活の設計』、ひきこまれた

 今日も雨の予報だ。5月に梅雨入りして、何とも雨の日が多い。雨の日は読書に限る。昨日も公民館経由の図書館の本が3冊届いた。週に2回予約していた本が公民館に届くのだが、多い時には10冊以上もたまっている場合がある。「修羅場」だった先月は、読めずに返した本すらある。今朝は、そんな本の話題だ。

 「この松原の屠場では牛の頭数が多い日以外、昼間には仕事が終わる。(中略)人が自らの手で牛を殺す。それはぼくが初めて見る光景。Sさんのそのいのちと向き合う姿には威厳があった」。

 本橋成一が写真集『屠場〈とば〉」』(2011年、平凡社刊)に寄せて書いている言葉だ。本橋氏はチェルノブイリの原発事故後のベラルーシの人びとの生活を、静かなトーンで描いた『ナージャの村』や『アレクセイの泉』などの傑作を作った映画監督として知られている。


 「屠場」について、「屠場労働者は世界的に見て、肉体労働の中でも最底辺に位置付けられている」といった言葉に出会ったことすらある。そんな「屠場」で働いた経験を素に、今年の坪田譲治文学賞受賞作家の佐川光晴は小説に書いている。2000年の第32回新潮新人賞受賞作の『生活の設計』(新潮社刊)だ。

 佐川光晴は、大学卒業後就職した出版社が一年で倒産した後、一時「屠場」働いていたことがある。彼は坪田譲治文学賞受賞記念のトークで、「パートナーの両親に自分の仕事を説明するために書いた」と、『生活の設計』執筆の動機を語っていた。

 その言葉を踏まえて『生活の設計』を読むと、大変よく理解できた。ぐいぐいと引き込まれて読んだ。

 加えて、本橋成一の写真集『屠場〈とば〉』を見ると、その世界が余計に目の前に拡がり、作品世界に入り込むことができた。豊かな読書ができたことを、とても幸せに思った。

 

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