今日も午後から雨、午前中に農作業をし午後はランチ&お買い物
今日の天気予報は、まさにピッタリ的中した。お昼から雨の予報となっており、その通りとなった。そんな今日は、朝7時30分から畑やお庭の様々な作業を開始した。今日は日曜なので、孫も来ないので、8時30分から朝食の準備を開始する。
一時間程度の朝食の準備&食事を終える。その後、また作業に戻るともうお昼。何とも時間が流れのが早い。今日は畑の草抜きをと思っていたが、そんな時間はなかった。セリンセの種は、午後から雨ということで、なんとか採った。
そうこうする内に、娘が孫を連れてお昼を食べに行こう誘いにくる。それは、孫に言わせるのでノーとは言えない。つまりは、スポンサーになるということだ。
食事後、孫がタカシマヤに行きたいと言い立ち寄る。そのタカシマヤでは、「東北支援フェア」をやっていたので、いくつか買い求めた。その後地下一階に行き、ケーニヒスクローネで「日曜限定」を買う等した。
帰宅すると、もう夕飯を準備する時間となる。その間に、友人からの「お茶のお誘いメール」や、親しくさせていただいている方からの電話などもある。
「毎日が時間豊か自由人」の身ではあるが、私にとっての土・日はそうした中でももっともゆっくりできる日な筈だ。しかし、なんだかんだの所用ができてくる。決して豊かではないが、それでも「何でもない日常」を送ることができるのを「幸せ」と言うべきなのだろうか。
佐川光晴が「屠場」で働いた経験を素に書いた『生活の設計』、ひきこまれた
今日も雨の予報だ。5月に梅雨入りして、何とも雨の日が多い。雨の日は読書に限る。昨日も公民館経由の図書館の本が3冊届いた。週に2回予約していた本が公民館に届くのだが、多い時には10冊以上もたまっている場合がある。「修羅場」だった先月は、読めずに返した本すらある。今朝は、そんな本の話題だ。
「この松原の屠場では牛の頭数が多い日以外、昼間には仕事が終わる。(中略)人が自らの手で牛を殺す。それはぼくが初めて見る光景。Sさんのそのいのちと向き合う姿には威厳があった」。
本橋成一が写真集『屠場〈とば〉」』(2011年、平凡社刊)に寄せて書いている言葉だ。本橋氏はチェルノブイリの原発事故後のベラルーシの人びとの生活を、静かなトーンで描いた『ナージャの村』や『アレクセイの泉』などの傑作を作った映画監督として知られている。
「屠場」について、「屠場労働者は世界的に見て、肉体労働の中でも最底辺に位置付けられている」といった言葉に出会ったことすらある。そんな「屠場」で働いた経験を素に、今年の坪田譲治文学賞受賞作家の佐川光晴は小説に書いている。2000年の第32回新潮新人賞受賞作の『生活の設計』(新潮社刊)だ。
佐川光晴は、大学卒業後就職した出版社が一年で倒産した後、一時「屠場」働いていたことがある。彼は坪田譲治文学賞受賞記念のトークで、「パートナーの両親に自分の仕事を説明するために書いた」と、『生活の設計』執筆の動機を語っていた。
その言葉を踏まえて『生活の設計』を読むと、大変よく理解できた。ぐいぐいと引き込まれて読んだ。
加えて、本橋成一の写真集『屠場〈とば〉』を見ると、その世界が余計に目の前に拡がり、作品世界に入り込むことができた。豊かな読書ができたことを、とても幸せに思った。