地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

晴れの日には

2011年06月17日 | 野菜づくり

 

晴れに日には畑仕事が待っている、為す術を知らずお野菜がかわいそうだ

 梅雨入りしてから、お天気の日がとても嬉しく感じる。今朝も起きたら、少しだけ雨が降った感じだった。昨日の雨で、我が畑のサニーレタスは倒れてしまっていた。どうしたらいいのか、まったくわからない。キュウリなどは成長が早く、今日も4本収穫したが、少しだけ大きくなりすぎていた。

 ともあれ太陽が顔を出してくれた今日は、畑仕事が待っている。草抜きをしたり、セリンセの種を取ったりもした。

 さて、そのご縁をいただいた畑での我が野菜づくりは、これまで何度も書いたが、4月下旬から小さな苗を植えて開始した。が、何しろそれまで草一本抜かない暮らしであり、まさに暮らしが一変した。毎日、畑のお野菜の育ちを見ている。しかし、トマトなどは肥料のやり過ぎだろうか、葉っぱばかりが元気に生い茂っていて、肝心のトマトがなっていない。


 また野菜づくりでは、毎日素手で直接畑の土をいじっているので、好きな女性と手を繋いで歩くのに、恥ずかしいくらいに手が荒れてしまっている。以前の白いマシュマロのような手は、どこへ行ったという感じだ。

 それにしても、野菜づくりについては、まさに未知の世界であり、失敗を重ね続けている。知らないことばかりで、為す術を知らない。「三球三振、バットすら振れない」、そんな感じで、手も足も出ない。

 たとえばの話だが、恥を忍んで書くのだが、カボチャやスイカの花に雄と雌があるのを、最近初めて知った。花が咲けば、全て実になるものと思い込んでいた。そしてまた、トウモロコシは一本に一つだけしか実らせないことを、これまた最近知った。


 ところで、今日はご近所の方々育てているズッキーニが大変よく実っているのを見た(写真)。いつも書くのだが、「他人の芝生は青く見える」とはよく言ったもので、他の方の育てているお野菜は、みんな全て順調に思える。実際には、そんなことはないのだろうが。

 ともあれ、自分自身で育てたお野菜を、朝収穫して朝食のサラダで食べる。とても美味しいし、幸せを感じる。分からないままだが、野菜づくりはもう少し頑張って見ようと思う。

 さて、今日は今日は親しくさせていただいている方を訪れて、梅を収穫させていただいた。とても大きな梅の木で、スゴイ量の梅をいただいた。感謝。

 

コメント (6)
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麒麟カレー

2011年06月17日 | 食べ物

 

麒麟食堂のカレーとサラダ、まさに手作りの味でその美味しさに感動した

 過日はお休みだった「麒麟食堂」(岡町)に、今日行った。そう、畠瀬本店の店主さんオススメのお店で、注文はもちろん「麒麟カレー」だ。

 この「麒麟食堂」は、たくさんの張り紙がしてあり、その中の一つに次のように書いていた。「おいいしいを安く これが麒麟食堂のこだわりです」と。

 また「麒麟カレー」については、「自家製デミグラスソース、数年間継ぎ足しながらソースを作っています。野菜の甘味と和牛スジ肉のうまみが溶けて熟成」と書かれていた。

 そのデミグラスソースのカレーと添えてもらったサラダは、まさに手作りの味で抜群の美味しさだった。サラダはトマトもコールスローサラダも、そしてスクランブルエッグのどれもしっかりとした味で、感動すらした。美味しかった。

 カレー&サラダ、コーヒー付で980円(カレーのみだと730円)は、格安だ。また行ってみたいと思う、心地よいお店だった。

 

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雨の日には、その2

2011年06月17日 | 展覧会・講演会

 

雨の日は美術館に行こう、県立美術館で開催中の「横尾忠則展」に行った

 私にとっての横尾忠則は、東映任侠映画と深く結びついている。また寺山修司や三島由紀夫とも関連して、その名が刻まれている。

 とりわけて、横尾忠則は高倉健などの任侠映画のポスターを描いている。そうしたポスターが、あるオークションではとてもつもない高額な値段で取引されている。

 東映任侠映画が全盛の頃、つまり1960年代後半からの頃、高倉健や鶴田浩二、そして緋牡丹博徒の藤純子などの映画を深夜映画で観て、語り合う日々を過ごしたものだ。少しだけ遅い青春の時だった。

 そんな思いを持って、昨日は「横尾忠則展」を鑑賞した。雨が降ると、畑仕事ができないので、「雨の日は美術館に」とばかりに、県立美術館に行った。

 膨大な、そしてとても広範多岐にわたる展示作品群の中で、一枚の絵に目が止まった。ミーハーな私であり、原節子を描いた絵だ。「わが青春に悔いなし」(1994年)と題された作品だ。

 その絵には、「今にはじまったわけではないが、何十年も原節子に凝っている。肩凝りもかなりのものだ。肩の凝りが彼女だと思えばまた愉しとの言葉が添えられていた。彼にとって大切な作品なのだろう、「作家蔵」となっていた。私も「肩凝り」が相当なものなので、松たか子と思うことにしようと思う。

 さて、とてもたくさんの横尾忠則の作品群を楽しませてもらったが、私が是非に観たいと願った任侠映画のポスター群については、一枚の展示もなかった。わずかに販売されているたくさんのポストカードの中に、一枚のみあった。それを記念にと購入した。

 「人をびっくりさせる前に、自分がびっくりするような絵を描くこと。人のことは関係ないです」、と横尾忠則が自らの絵への姿勢を書いているように、これからも私たちを「びっくりさせる」ような作品を描いて欲しいと願う。

 ところで、昨日は和菓子の日で、イベントのある廣榮堂に行こうと思っていたが、完璧に忘れていた。手帳に書いていることでも忘れるのに、書いてないことをや、だ。悩ましい日々でもある。

 

コメント (4)
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