松たか子ファンクラブの「会報」と映画「大鹿村騒動記」のチラシが届いた
松たか子ファンクラブ「club M」のHPに、「会員へ年2回発行する、写真&エッセイ形式のclub.M『オリジナル会報』第20号を発送した」との記事がアップされたのは、今月10日(金)のことだ。
そこで、郵便が我が家に届くのは昨・13日(月)だと思い、「今号はどんな内容だろうか」とワクワクしながら土・日を過ごした。そして、昨日は勤務日であり、帰宅は夜となった。しかし、郵便は届いておらず、少しだけしょんぼり気分となった。
そして今日、会議を終えて帰宅すると、やっと届いていた。「20号」の節目の今号は、「4月に開催された町田市の骨董市体験」が写真とエッセイで報告されている。とても気持ちよく体験したようで、紙面にもそれが現れており、読んだ私も少しだけ心が和んだ。
そして、今回の「会報」には、松たか子も出演する「大鹿村騒動記」(来月16日(土)全国ロードショウ)のチラシが同封されていた。同日から公開される「東宝シネマズ岡南」にも、このチラシはまだ置かれていなかったので嬉しい。
ところで、大鹿歌舞伎を舞台とした映画は、片岡愛之助と片岡孝太郎が出演した映画「美しきもの」で既に観ているが、今回もまた観ようと思っていた。それが、松たか子が出演するのだからなおさらだ。今から、ワクワクしながら公開を待っている。
昨日・今日と太陽が顔をだしてくれた、お野菜も喜び大きく育ってくれている
何しろ5月に梅雨入りとかってない状況の中で、実によく雨が降り続いている。そんな中で、昨日・今日と太陽が顔を出してくれて、とても嬉しい。少し暑くはあったものの、とても心地よかった。
それは、野菜畑のお野菜たちでも同じことだろう。ぐんぐんと大きく育ってくれている。サニーレタスなど小さな苗を植えてから、約50日だが、もう毎朝採って食べている。
同じくキューリは今朝3本、明日朝は4本収穫予定としている。ネギやブロッコリー、そしてオオバも時々食べている。またトウモロコシの苗を植えたものは、もうトウモロコシが育ってきている。なすびやトマト、そしてピーマンも、もう少しすると収穫できそうだ。つい最近種を蒔いたベビーサラダミックスも、もう芽を出してくれている。人参やサツマイモは、これから大きくなってくれるだろう。
問題なのは、いつも書くがカボチャ、スイカ、そして瓜だ。花は咲くのだが、実になっていない。わが人生は実るどころか、花も咲かないが、カボチャなどは大きな花が咲いているので、なんとかならないかという思いだ。
野菜づくりを始めると、畑の草を抜くようになった。これまで、庭の草等抜くことはなかった。そしてまた、庭木にも目が行くようになった。これまでは予防などしたことがなかったが、今年は予防もしようと思っている。人間、いくつになっても変化・進化することを実感している。
角田光代の小説を原作の映画「八日目の蝉」を観た、永作博美の笑顔に救われた
「直木賞作家・角田光代の原作小説を、井上真央、永作博美の主演で映画化したヒューマンサスペンス。監督は『孤高のメス』の成島出。1985年、自らが母親になれない絶望から、希和子(永作)は不倫相手の子を誘拐してわが子として育てる。4歳になり初めて実の両親の元に戻った恵理菜(井上)は、育ての母が誘拐犯であったと知り、心を閉ざしたまま成長する。やがて21歳になった恵理菜は妊娠するが、その相手もまた家庭を持つ男だった……」。
坪田譲治文学賞も受賞した角田光代。岡山市役所のロビーで、トークショーを展開もしてくれた小説家。その角田光代の新聞小説で、ベストセラーになった『八日目の蝉』。それを原作とした映画「八日目の蝉」を、やっと今頃観た。
さて小説『八日目の蝉』を原作として、既に壇れい主演で、NHKテレビでドラマ化されている。余談だが、壇れいは山田洋次監督の「武士の一分」の撮影現場で、キムタクとともに、生で観たことがある。とても美しかった。
それでも、そのテレビドラマを一度も観ることはなかった。壇れいであり見たくもあったが、ある種私の苦手な作品で避けた。
そんな「八日目の蝉」を、今頃になって何故見たのかと言えば、「そうは言っても、観ておくべきか」みたいな感じで考えていたら、親しくしていただいている方から、「迷ったら観るべし」と背中を押されたからだ。
私は正直「暗い映画」が苦手で、サスペンスものもまず見ない。温かい家族や人情を描いた作品やラブストーリーを観たいと思っている。もちろん、前提は好きな女優が出演することなのだが。
さて、今回観た映画「八日目の蝉」の前半は、私の苦手の流れで、観ていて辛かった。ただ、後半の岡山や小豆島をさながらロードムービーになると、少しだけ雰囲気が柔らかくなった。そんな中で、時折見せる永作博美の笑顔に救われた。永作博美だから、観に行った側面もある。
ところで、タイトルとなっている「八日目の蝉」だが、「蝉は七日で死ぬんだって。八日目になって一人だけ生き残るのは辛いな」(希和子)というセリフと、「八日目の蝉は、ほかの蝉が見られなったものを見られるのはいいかも」(千草)と二つのセリフが登場する。究極の選択を迫られるならば、私は怖さはあるものの、「八日目の蝉」になることを選ぶかも・・・。