未だスマホも使えない絶滅危惧種に登録されそう、時代の変化を思い知った
私は未だ中折れの携帯を使用しており、スマホすら手に取ったことがない。ラインもクラウドもちんぷんかんぷんの、まさにアナログ人間だ。絶滅危惧種(人)に登録されるのではと心配もしている。
そんな私が麻生香太郎著『誰がJ-POPを救えるか?』(朝日新聞出版刊)を読んだ。私は歌謡曲は好きだが、演歌はそうでもない。洋画すら観ない私であり、洋楽など聴くはずもない。音楽をダウンロードしたこともない。だいたい今頃の歌手で、そのネーミングすらついて行けない。「もっと日本人らしい名前にして」と叫びたくもなる。
それ故音楽産業のことも、現代の電子機器と普及とその活用の状況についても、全くの門外漢だ。それでも、ソニーとitunes、ドコモとiphoneの関係、さらにはモーニング娘。を率いたつんくとAKB48の秋元康のこと等々、様々に学ばせてもらった。その麻生香太郎の著書の次のフレーズに、私は刮目した。
「新聞をとらないコドモたち。雑誌を買わないコドモたち。テレビを見ないコドモたち。スマホで見る、無料のユーチューブやニコニコ動画のほうが、既成のプログラムや記事よりもはるかに時代の先端をとらえていてライブ感があるからだ。(中略)新聞や雑誌の、映画評やテレビの番組評なんかは、60代以上の団塊の世代や、その上の年金世代しか、もはや必要としないだろう。コドモたちにとって、そんなものはSNS、ツイッターやフェイスブックの友人や信頼する有名人などのクチコミのほうが、よほど当てになる。しかも無料だ」。
今はそんな時代が到来しているのだと、改めて思い知らされた感じだ。そして同時に、名指しをされている「年金世代」としては、そうは言っても新聞や雑誌の大切さを主張せずにはいられない。時代とともに生きていく、そのことの難しさを痛感させられた一冊だ。
「たのたの庵」でランチ、ノンアル麦酒は「なんちゃって麦酒」とネーミング
もう一昨日のことになったが、その日のランチは「たのたの庵」とした。いつもは女性客がほとんどなのに、昨日は男性客の方が多かった。かく言う私もそうだが、男性客は多くはカウンター席に座る。何故なら、庵主さんとお話しできる機会があるかもしれないからだ。
ところで、一昨日の「本日の麦酒」の銘柄の中に、「なんちゃつて麦酒」なる札が下げられていた。聞くと、過日飲ませていただいた「ノンアルコール麦酒」だそうだ。「なるほど」とネーミングの妙に納得した。
それにしても、「たのたの庵」で過ごす時間は心地いい。その前提は、お野菜たっぷりでお料理が美味しいので嬉しいのだが。その「たのたの庵」で夜吉備土手下麦酒を楽しみたいのだが、今年は未だ実現していない。いつになることやら、だ。
その「たのたの庵」の玄関に置かれていたカーネーションのアレンジメントがとても可愛かった。5月9日に開催する「母の日のフラワーアレンジ」の会での作品だそうだ。私も誘われたが、それがたとえ庵主さんでも、流石に無理。