「中間省略登記通信の席亭」さんからのコメント
(平成17年7月30日付「中間省略登記論争再燃々」)。
『只、少々異論があります。「中間者の利益追求的発想であり、本来保護されるべきエンドユーザーの利益を保護する視点はないように見える。」と仰っていますが、流通過程でのコストは、最終売価に転嫁されますから、中間者のコスト削減は結局「エンドユーザー」の利益保護のためでもあるわけです。事実、旧法下での中間省略登記についてエンドユーザーに説明するに際して、売買代金額を抑えるためであるという説明がされています。』
【私の意見】
「中間省略登記を行うことによって、売買代金額が抑えられる。」という説明は、中間省略登記に違和感を持つ買受人を納得させるための方便のように思われる。この納得というのも、「安くなる」に釣られているだけで、充分な説明の下に同意しているわけではないのが実態ではないだろうか。バブル期にも中間省略登記は横行したようであるが、「売買代金額が抑えられる。」が目的ではなかったはずである。
中間者の経済合理性としては、「取得価額+適正利ざや+取得費用(中間の登記費用等を含む。以下、同じ。)」=転売見込価額ということになるが、最終的には買受人とのバーゲニング(価格交渉)により決定されるのであり、「取得価額+適正利ざや+取得費用」は単に目安に過ぎない。最終売価は、「取得価額+適正利ざや+取得費用」よりも高いに越したことはないが、低くなることも往々にしてありえる。上記転売見込価額に拘ると売買が成立し難くなるし、回転率を高める方がよいからである。この場合、中間者が中間の登記を行うことによって生じる諸費用を負担すると、その分利ざやが圧縮されることになってしまう。結局、最終売価如何にかかわらず、中間の登記費用等は中間者の負担に帰すべきものであり、中間省略登記のニーズが生まれるのである。
「中間者のコスト削減は結局「エンドユーザー」の利益保護のためでもある」は理屈のようだが、その実、「利益の極大化(自己負担コストの削減)」、「最終売価を抑えて売買を成立しやすくし回転率を高める」、という中間者の経済論理(利益追求)でしかなく、エンドユーザーの真の利益は一顧だにされていないように思われる。