この表題に続けて「日本も防衛力強化が必要」、あるいは「日本も集団的自衛権や敵基地攻撃能力が必要」というという事になるようです。
これで「そうだ、そうだ」というほど単純な人は日本人には多くないと思いますが、現実の自民党あたりの意識の構成過程を見てきますと、結局は、極めた単純に、上のような繋がりになっているのではないかと感じでしまいます。
ウクライナについてロシアが持っている意識は、歴史的な民族や言語の背景があってのことのようですが、そうした関係の認識はどこかに飛んでしまっているようです。
つまりは、ロシアのウクライナ侵攻のような形で日本に侵攻してくる国があるから防衛力強化を言うのだろうと思うのですが、そんな国があるでしょうか。
ロシア、ロシアがまさか日本をウクライナと同じように考えるとは思えません。日本の方で一方的にそんなことを考えても、ロシアは多分そんな気はないでしょう。
中国、中国は台湾に侵攻するかもしれないといわれています。中国も台湾は中国の一部と言っています。平和的解決を願いますが、場合によってはこれは有り得るかもしれません。しかし、中国はこれは「国内問題だ」と言っています。
日本に対しては、「これも国内問題だ」と言って侵攻するとは考えられません。
北朝鮮、北朝鮮が韓国を飛び越えて日本に侵攻する。そんなことも考えることではないでしょう。
未だ他にあるでしょうか。アメリカ、まさかアメリカが日本に侵攻するなどと考える政治家はいないでしょう。
今の政権は、早速に国民から税金を取って、場合によっては国債を発行して飛行機や艦船や、無人機やミサイルその他の装備を大幅に増やすと言っています。
自然災害なら、いつ起きるか解りませんけれども、対策を国民は認めるでしょう。自然現象は交渉の余地がないからです。交渉の代わりに研究費が必要で、これも国民は認めるでしょう。
国家間の関係は、自然災害と違って、お互いの話し合いによって結果をいかようにも変えられます。友好関係か敵対関係かは普段からの相互理解の積み上げによって決まってきます。
ですから国家間の問題は、戦争に至らない様な国家関係を、外交交渉、国際交流などの多様なかたちで、常に構築する努力が必要です。
この努力は、相手がどんな態度であっても常にしっかりやらなければなりません。
「相手が気にくわないから、交渉も交流もやめた」という事になれば、個人でも、国でも「喧嘩の始まり」です。
「喧嘩をするための道具をそろえよう」などと本気で言い出すと、聞いた相手は「やる気か」と身構え、次第に「交渉から口論」に入るでしょう。
戦争の始まりは常にそうした所にあることは、誰も知っているはずです。
そして「もうそれでいいのだ」と考えてしまえば、それはすでに戦争の入り口でしょう。
そうした所に行く以前に、国としては「戦争準備より真剣に外交交渉を」するべきでしょう。
今の政権からは、本当に必要な外交交渉への真剣な努力が見えません。仮想の相手国が本気でどう考えているかなど直接的な相互理解促進の努力があるのでしょうか。
相互理解の不足、そこに、いわゆる「疑心暗鬼」の源があるのではないでしょうか。
これで「そうだ、そうだ」というほど単純な人は日本人には多くないと思いますが、現実の自民党あたりの意識の構成過程を見てきますと、結局は、極めた単純に、上のような繋がりになっているのではないかと感じでしまいます。
ウクライナについてロシアが持っている意識は、歴史的な民族や言語の背景があってのことのようですが、そうした関係の認識はどこかに飛んでしまっているようです。
つまりは、ロシアのウクライナ侵攻のような形で日本に侵攻してくる国があるから防衛力強化を言うのだろうと思うのですが、そんな国があるでしょうか。
ロシア、ロシアがまさか日本をウクライナと同じように考えるとは思えません。日本の方で一方的にそんなことを考えても、ロシアは多分そんな気はないでしょう。
中国、中国は台湾に侵攻するかもしれないといわれています。中国も台湾は中国の一部と言っています。平和的解決を願いますが、場合によってはこれは有り得るかもしれません。しかし、中国はこれは「国内問題だ」と言っています。
日本に対しては、「これも国内問題だ」と言って侵攻するとは考えられません。
北朝鮮、北朝鮮が韓国を飛び越えて日本に侵攻する。そんなことも考えることではないでしょう。
未だ他にあるでしょうか。アメリカ、まさかアメリカが日本に侵攻するなどと考える政治家はいないでしょう。
今の政権は、早速に国民から税金を取って、場合によっては国債を発行して飛行機や艦船や、無人機やミサイルその他の装備を大幅に増やすと言っています。
自然災害なら、いつ起きるか解りませんけれども、対策を国民は認めるでしょう。自然現象は交渉の余地がないからです。交渉の代わりに研究費が必要で、これも国民は認めるでしょう。
国家間の関係は、自然災害と違って、お互いの話し合いによって結果をいかようにも変えられます。友好関係か敵対関係かは普段からの相互理解の積み上げによって決まってきます。
ですから国家間の問題は、戦争に至らない様な国家関係を、外交交渉、国際交流などの多様なかたちで、常に構築する努力が必要です。
この努力は、相手がどんな態度であっても常にしっかりやらなければなりません。
「相手が気にくわないから、交渉も交流もやめた」という事になれば、個人でも、国でも「喧嘩の始まり」です。
「喧嘩をするための道具をそろえよう」などと本気で言い出すと、聞いた相手は「やる気か」と身構え、次第に「交渉から口論」に入るでしょう。
戦争の始まりは常にそうした所にあることは、誰も知っているはずです。
そして「もうそれでいいのだ」と考えてしまえば、それはすでに戦争の入り口でしょう。
そうした所に行く以前に、国としては「戦争準備より真剣に外交交渉を」するべきでしょう。
今の政権からは、本当に必要な外交交渉への真剣な努力が見えません。仮想の相手国が本気でどう考えているかなど直接的な相互理解促進の努力があるのでしょうか。
相互理解の不足、そこに、いわゆる「疑心暗鬼」の源があるのではないでしょうか。