tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

これでは戦争犠牲者が現実になりそうですが

2023年01月25日 13時26分02秒 | 政治
今日、参議院の本会議で、立憲民主党の水岡氏の行った代表質問の中で、耳に止まった一言がありました。
「戦争は絶対しないとはっきり言ったらどうか」
という趣旨だったと思います。

これは大変大事なことなので、総理の答弁を聞いていました。聞こえたのは
「戦争がやむを得ないとは考えておりません」
というものでした。

はっきりしたのは「戦争は絶対やらない」とは言わなかったという事です。
それに代わって使った「やむを得ないとは考えていない」という日本語は一体どういう意味なのでしょうか。

これは総理にきいてみないと解らない事ですが、一般的な日本語の解釈としては、
「事情によって必然的に戦争になるとは思っていない」という事でしょう。

では「絶対に戦争はしない」という表現との違いは何でしょうか。
「絶対に戦争はしない」というのは自分の意思決定についての発言です。

「やむを得ないとは考えていない」というのは。自分の意思決定を述べているのではなく他者の事情によって、戦争になることについて「仕方ない」と考えているわけではない、という事でしょうか。

つまり、「戦争はしない」と言い切れない。かといって「戦争します」とはとても言えない。という事で他者を主体にして自分の意思を表明しないという用語法でしょう。

こうした、正面から答えない答弁は、安倍元総理も得意で、すれ違い、はぐらかし答弁は「ごはん論法」などと揶揄されていましたが、総理の知恵か作文する官僚の繰り返された経験の成果か解りませんが、国会論戦を中身のないものにする原因の1つしょう。

総理は、後から、国際法に認められた範囲で、攻撃を受けた場合、最小限の反撃をするなどと補足をしていましたが、憲法に書いているように「戦争はしない」と明言しても、国際法上「正当防衛」は本来認められているわけです。

勘繰れば、先日アメリカに行って、バイデン大統領と話してきたことが気になり、こうした表現になるのでしょう。

確かに、客観的に見ても、主導権は他者にあります。
想定しているのは、多分、台湾有事でしょう。これは習近平さんの「心」(ユネスコ憲章前文参照)の中で決まることですし、それに対して、アメリカがいかなる対応をするかはアメリカが決めることです。

しかし日本は今、「正当防衛」を思い描いて、大量の武器をアメリカら調達しようとしていますし、アメリカはそれを熱望しています。
その結果が防衛費の大幅増額、それを賄う増税や国債発行論議になり「新しい戦前」などという言葉を生んでいるのです。

日本列島にミサイルが次々飛んでくる姿は、アメリカのシンクタンクのシミュレーションの中にも見られますし、ミサイルを全部撃ち落とすなどという事は不可能という事がウクライナの経験から明らかです。

米軍基地やその周辺では、ミサイルの直撃を受ける人も多いでしょう。
ミサイル戦争の恐ろしさは、ウクライナが、その現実を見せてくれているのです。

自分で意思決定できない結果がそんなことになる可能性がゼロとは言い切れないというのが今の日本国民の危惧する状態でしょう。

岸田総理の「やむを得ないとは考えているわけではない」という曖昧な発言の中の僅かに存在するかも知れない「平和維持への努力」に頼らなければならないというのが現状なのでしょうか。

「企業は多目的組織」経営者の自覚

2023年01月25日 13時26分02秒 | 経営
企業、今は典型的には株式会社ですが、これは,人間に役に立つようにと人間が考え出したものです。

では企業は何をしているのかと言いますと、人間が資本を使って「付加価値」を生み出しているのです。
付加価値というと解りにくいかもしれません。ご承知の方には不要な説明ですが、日本中の企業や個人が生み出した付加価値の合計がGDPだと言えば一番はっきりすると思います。

企業がそれぞれに付加価値を増やせばそれだけ経済成長するのですから、企業は国のため社会のために付加価値を作って貢献しているのです。
そのために必要な人と資本は、広く社会全体から集めることが出来るのです。

広く社会から生産要素(=生産手段=人間・資本)を調達して社会のために付加価値を創る企業は、前回指摘しましたように「公器」と考えられ、欧米ではCSR(企業の社会的責任)という概念が生まれています。

こうして、企業は付加価値の生産だけでなく付加価値の分配についても広く社会全体に対して責任を負うという考え方が、今日の企業についての基本的な見方になっているのです。

これは単に労使間の賃金・利益の分配だけではなく、製品価格を引き下げれば、それは企業の生産した付加価値の一部を消費者さに配分したことになります。

こうして企業の存在は社会で高く評価され、同時にその一方で広い範囲の責任を果たし配慮をしなければならない存在に成長してきたのです。

そこで、企業というものの関係する分野や役割を一覧表にと思って以前作ったトータル・マネジメント・システムの図を下に載せます。



左の箱は生産要素である人間と資本で、これとの協力(配慮)の内容が人事管理以下の項目です。
真ん中の縦長の箱は企業で、経営者と従業員が協力してVA(付加価値=富)を生産するシステムです。
右の箱は外部の関係者(ステイクホルダーズ)と。それらにたいする企業の行うべき配慮・対応・責任などです。

「公器」である企業は、生産要素と外部のステイクホルダーに、適切に対応しつつ永続的に、より大きな付加価値を生産し続ける社会的な役割(責任)を持っているという図です。

その活動を支えるのが経営計画で、それぞれの4つの角にあるPLANーDOーCHECKーACTIONのサイクルという事になっています。

単純な図ですが、これだけ見ても、企業は内部、外部の関係者、更に社会全体に対して果たすべき多くの役割を持つ「多目的」は組織である事がはっきりします。

経営者は、それらを統括し総合的配慮のもとに、企業というシステムが最も効率的に社会全体に役立つように運営(経営)するのが役割だという事になるのです。

何に重点を置くかは環境変化の中で多様に変化するでしょう。例えば。今年の春闘では特に「賃上げ」という期待が企業にかけられているようです。これをどう判断するかはそれぞれの経営者の当面する重要課題でしょう。

「多目的の存在」である企業を預かる経営者としての行動の選択は容易ではありません。前回も触れましたように、松下幸之助や桜田武をはじめとした日本の経営者は、企業を預かって果たすべき役割の重要性を「公器」という言葉に込めたのではないでしょうか。