tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

EUと縄文

2023年01月14日 14時22分50秒 | 文化社会
今日は土曜日ですので、少し奇想天外に類する話になるのかもしれませんが、表題のようなことになりました。

今、ヨーロッパはロシアとの対立で大変ですが、この問題もいずれ終わるでしょうし、そうすればEUはヨーロッパ全域の平和共存と経済・文化の発展を目指した安定した地域に戻るでしょう。

EUの始まりは、ベネルックス3国の関税同盟でしょう。それがEECになりEUになって、今では27か国に拡がっています。

フランスとドイツにしても、ついこの間まで戦争をしていたのです。
もともとヨーロッパは沢山の国があって王様がいて領土拡張などで戦争をし、興亡を繰り返していたのです。

第2次大戦後は全く変わりました、ドイツとフランスはEUの核という感じで、強い絆で結ばれた間柄のようです。

将来、ロシアが民主国家になれば、EUはユーラシア大陸に拡がって、ユーラシア共同体が出来るかもしれません。

戦争はなくなり、経済や文化の発展にそれぞれの国がその特徴を生かしながら協力する、こんな世界が広がってくるのでしょう。

正に理想郷のような話ですが、長い争いの時代の果てに、そうした事が当たり前になる、、という可能性をEUは示しているのではないでしょうか。

こうした動きは「素晴らしい」の一語ですが、日本人として振り返ってみるとどうでしょうか。

日本には1万何百年かの縄文時代があります。
氷河期代が終わり、日本海が広く深くなって、日本列島はユーラシア大陸から切り離され、そこに取り残された、多様なDNA、生活習慣(歴史)、言語、肌の色などの人々は、それぞれの集落をつくりながら、交易をし、交雑をし、1万余年をかけて「日本人」になったようです(混血の純血化:薄衣説)。
注:日本人は世界でも最多のDNAの混在する国民だとのことです。(崎谷説)
その間、専門家の研究によれば、戦争がなかった、征服・被征服もなく奴隷制もなかった、
一方、交易は列島の中を縦横に進められていたようです。
糸魚川産の翡翠が三内丸山遺跡で発見されるなど、翡翠の道、信州産の黒曜石の道 などが推定されています。

縄文時代の日本列島は、いわば、今のEUの様なもので、人口密度は違うかもしれませんが、それぞれの生活手段(産業)を生かして交流をしながら、多様なルーツの人達が平和共存をしていたという姿が浮かび上がってくるという事になるのです。

21世紀の今、人類が求めている多様性の平和共存が、縄文時代の日本で実現されていたという事は、人類の本質の中に、本来、多様性の平和共存を是とする因子が組み込まれている事を示すものではないかと考えるところです。

EUも縄文も、その因子を生かす社会の在り方を実践しているから、平和共存が可能になっているという事なのではないでしょうか。
(さて、その「あり方」とは何でしょうか)

中国と少し腹を割って話せないものか

2023年01月12日 19時56分08秒 | 国際関係
一衣帯水の隣国中国と友好親善に努めるのは日本のリーダーの主要な仕事の一つではないでしょうか。

遣隋使、遣唐使以来日本は中国に学び、日本の諺の7~8割は中国の故事にちなんだものではないでしょうか。

日本の思い上がりによる戦争を挟みますが、戦後は田中角栄と周恩来の話し合いから関係改善が進みました。
ピンポン外交、バレーボールの大松監督の中国指導などに始まり改革開放後は、多くの企業が中国に進出、QC活動、5S、カイゼン等技術移転に貢献してきました。

こうした中で、日中の協力関係が双方に大きな果実を齎すことが広く理解されるようになりました。

こうしたwin=winの関係が、中国経済の急速な発展とともに、何となく変質してきたのは米中関係の影響が大きかったということが出来るようです。

アメリカにとっては中国の台頭は覇権への挑戦と意識されたのでしょう。アメリカは中国に対し、繰り返し人民元高を求めました。
これは日本がアメリカに次いで世界第2位の経済大国になった時、日本経済のさらなる成長拡大を恐れ、日本に円高を求めたのと同じ行動です。

日本の場合はそれをプラザ合意で受け入れた結果、長期の円高不況に苦しみ、ゼロ成長に転落、アメリカの心配は消えました。
しかし中国は日本の例を十分に研究、人民元高の要請を拒否し続けたのです。その結果はトランプさんの仕掛けた関税戦争でしたが、これは米中双方にマイナスでした。

勿論日本の立場はアメリカと違います、日本にとっては、米中が共に成長してくれることが最も望ましい事は明らかです。

そして今、中国は、共産党一党独裁と市場経済の組み合わせの矛盾の中で、呻吟しているようです。地価上昇をベースにした経済成長の部分は行き詰まり状態のようで、経済活動の新分野を後発国に求めているようですが、これは容易ではありません。

独裁政治は、かつての植民地政策のような形になりがちのようですが、今日の世界経済社会では、それは結局コスがかかって成果が少ないものにしかならないようです。

一方、アメリカは覇権国という立場のせいか、中国の成長を過度に警戒し、win=winの関係を崩すことで中国の経済発展ブレーキをかけようとし、その結果が米中関係の急速な悪化を招いたのでしょう。

そして、この米中対立は、戦後一貫して中国の主張であった台対中問題を、これからの長い歴史の中で解決していくという望ましい状態から、差し迫った紛争(戦争)問題にしてしまったようです。これはアメリカ中国双方にとっての失敗でしょう。

ところで、この状況に対処する日本の課題は何かという事が、今後の日本にとって最重要の問題になりつつあるようです。

そうした中でいま中国と腹を割った話が出来る国があるとすれば、それは日本をおいてないのではないでしょうか。(もちろん周到な準備は必要でしょう)
平和憲法を持つ日本は、日本としての独自の識見を持って、日中関係千数百年の歴史を背景に、中国と積極的に話し合うべき時でしょう。

それこそが、日本が世界に役立つ国として、その責任を果たす道に通じるのではないかと思っています。

日本まで道を誤ってしまえば、一体誰が問題解決の役割を果たせるというのでしょうか。
世界は日本に期待していると覚るべきではないでしょうか。


ロシアがウクライナに 侵攻したから

2023年01月11日 11時26分50秒 | 国際関係
この表題に続けて「日本も防衛力強化が必要」、あるいは「日本も集団的自衛権や敵基地攻撃能力が必要」というという事になるようです。

これで「そうだ、そうだ」というほど単純な人は日本人には多くないと思いますが、現実の自民党あたりの意識の構成過程を見てきますと、結局は、極めた単純に、上のような繋がりになっているのではないかと感じでしまいます。

ウクライナについてロシアが持っている意識は、歴史的な民族や言語の背景があってのことのようですが、そうした関係の認識はどこかに飛んでしまっているようです。

つまりは、ロシアのウクライナ侵攻のような形で日本に侵攻してくる国があるから防衛力強化を言うのだろうと思うのですが、そんな国があるでしょうか。

ロシア、ロシアがまさか日本をウクライナと同じように考えるとは思えません。日本の方で一方的にそんなことを考えても、ロシアは多分そんな気はないでしょう。

中国、中国は台湾に侵攻するかもしれないといわれています。中国も台湾は中国の一部と言っています。平和的解決を願いますが、場合によってはこれは有り得るかもしれません。しかし、中国はこれは「国内問題だ」と言っています。
日本に対しては、「これも国内問題だ」と言って侵攻するとは考えられません。

北朝鮮、北朝鮮が韓国を飛び越えて日本に侵攻する。そんなことも考えることではないでしょう。

未だ他にあるでしょうか。アメリカ、まさかアメリカが日本に侵攻するなどと考える政治家はいないでしょう。

今の政権は、早速に国民から税金を取って、場合によっては国債を発行して飛行機や艦船や、無人機やミサイルその他の装備を大幅に増やすと言っています。

自然災害なら、いつ起きるか解りませんけれども、対策を国民は認めるでしょう。自然現象は交渉の余地がないからです。交渉の代わりに研究費が必要で、これも国民は認めるでしょう。

国家間の関係は、自然災害と違って、お互いの話し合いによって結果をいかようにも変えられます。友好関係か敵対関係かは普段からの相互理解の積み上げによって決まってきます。

ですから国家間の問題は、戦争に至らない様な国家関係を、外交交渉、国際交流などの多様なかたちで、常に構築する努力が必要です。

この努力は、相手がどんな態度であっても常にしっかりやらなければなりません。
「相手が気にくわないから、交渉も交流もやめた」という事になれば、個人でも、国でも「喧嘩の始まり」です。

「喧嘩をするための道具をそろえよう」などと本気で言い出すと、聞いた相手は「やる気か」と身構え、次第に「交渉から口論」に入るでしょう。
戦争の始まりは常にそうした所にあることは、誰も知っているはずです。

そして「もうそれでいいのだ」と考えてしまえば、それはすでに戦争の入り口でしょう。
そうした所に行く以前に、国としては「戦争準備より真剣に外交交渉を」するべきでしょう。

今の政権からは、本当に必要な外交交渉への真剣な努力が見えません。仮想の相手国が本気でどう考えているかなど直接的な相互理解促進の努力があるのでしょうか。
相互理解の不足、そこに、いわゆる「疑心暗鬼」の源があるのではないでしょうか。

2022年11月「平均消費性向」反落

2023年01月10日 14時24分12秒 | 経済
今朝、総務省統計局から昨年11月の家計調査が発表されました。
早速ネットで開いて見てみましたら、11月の消費は不振だったようで、残念ながら、勤労者世帯の「平均消費性向」も前年同月比でマイナス1.7ポイントという状況でした。

平均消費性向の対前年同月比の推移(%)

              資料:総務省「家計調査」

長期に亘って不振だった「平均消費性向」が昨年からは3月を除いて対前年同月プラスで推移してたので、11月、12月も上昇基調を保つかと注目していたのですが残念でした。

今日の発表で、2人以上全世帯の消費支出の状況を見てみますと。何となく全般的に控えめの状況です。マスコミは、消費者物価上昇で、実質値は対前年マイナスと強調です。

消費全体では名目値で対前年同月比で3.2%の増加ですが、
最も増えているのは、住居22.1%、水道・光熱12.3%、教養娯楽7.4%となっています。
住居は維持修繕や家賃地代ですが、首都圏のマンション・アパートの家賃の上昇が10、11、12月にかけて見られるようですし、より良い所への住み替えの影響もあるようです。

水道・光熱については、電気・ガス代の値上がりの影響と考えられ、実質ではマイナスになっています。 

教養娯楽は、旅行、外食、イベント参加などですが、ここでは値上げはほとんどなく、実質の伸びとなっています。

支出が名目値で減少したのは、被服履物、交通通信、教育の3項目で教育の11.%が目立ちます。授業料、補習教育などですが、リモート授業の影響などもあるのでしょうか。

こう見て来ますと、特に消費が差し控えられたという感じはないのですが、消費者物価の上昇が大きく報じられる中で、の節約志向もあったのかもしれません。

このブログで問題の「平均消費性向」の対前年の低下ですが、一昨年の場合、11月は77.2%でそれまでずっと低下気味だった数字が一昨年は10月、11月と対前年プラスになり、政府がGoToに力を入れた効果と昨年1月のこのブログで書いています。

昨年の11月が残念ながら75.5%で一昨年比1.7ポイントのマイナスになったのは、一昨年のGoToキャンペーンの反動と新型コロナの第8波への警戒の意識が大きかった事もあるように思われます。

歳末商戦もあまり盛り上がらなかったようですが、コロナについての規制解除もありこれからが注目です。(上昇を期待したいところですが・・・)

消費者物価の動向、コロナ第8波の今後、その中での規制解除の動きといった状況の中で、、春闘の動向もあり、平均消費性向の動きがどうなるか、日本経済活性化の鍵でもあるこの指標に当面、一層の注目が必要のように思っています。

今日は成人の日です、成人になるとは・・

2023年01月09日 14時07分53秒 | 文化社会
日本の「国民の祝日」は年に16日で、国民の祝日が多い方の国になるようです。最近増えたのは「海の日」と「山の日」でしょうか。まだ増えるかも知れませんね。

「有給休暇があっても半分ぐらいしか取らない日本人だから、みんなが安心して休める国民の祝日が多くてもいいんじゃないの」なんて意見も聞かれます。

話を戻して「成人」ですが、今迄の20歳が、昨年から18歳になりました。
20歳から2歳繰り上がったのですが。心身ともに日本人の成長も早くなったという事でしょうか、「成人の日」の趣旨は「社会人としての責任感を持って生きていく青年を祝い励ます」という事だそうですから2年早めるのもいいのではないでしょか。

ただ行事としての「成人式」は学齢方式で4月を境に20歳になってという自治体が圧倒的なようですし、若年者の心身の健康に取って時に有害でもある「酒やたばこ」は従来通りとか、刑法の規定などは「特定」措置をおくとか、事と次第によって色々あるようですが、それはそれで、それぞれ合理的な方がいいでしょう。

基本的な問題というのは、個人の事情によっていろいろと異なるでしょうが、人間何時かは親などの庇護(扶養)を離れて「自立」しなければならないのですから「依存から独立へ」という通過点は必ずあるという事です。

これがキチンといかないとマスコミの言う「80:50」問題などが起きることになります。
人間何時かは自立し、子供の扶養を受け入れて支え、その子供も、いつか自立して次のサイクルに続くという「世代循環」が順調に回ることで社会は安定した社会という事になるのでしょう。

そういう意味で考えれば、「成人の日」社会にとっても個人にとっても大変大事な重要なエポックを自覚する日という事になるのではないでしょうか。

また少し話が変わりますが、このブログとして、この問題について最も重要な点を考えるとすれば、それは、「若年層の失業問題」でしょう。

OECD主要国の失業率の統計を見ますと、若年層(15~24歳)の失業率(2017年)は
日本:4.7%、ドイツ:6.8%、アメリカ:9.2%、カナダ:11.2%、イギリス12.1%、フランス:22.3%、イタリア:34.8%(資料:OECD、厚労省)
となっています。

日本とドイツの低さが目立ちますが、ドイツはデュアル・システムと言われる働きながら職業訓練をするシステム、日本は新卒一括採用で採用してから企業内訓練というシステムの効果が大きいからです。

政府の働き方改革では新卒一括採用はやめるべきだという事になっていますが、これは政府の働き方改革が現実を無視している事の典型と言われているようです。

賃金統計の長期的推移の示唆するもの 4

2023年01月07日 14時36分35秒 | 労働問題
賃金統計の長期的推移の示唆するもの 4
前回は、常用労働者の所定内賃金の平均が1995年から最近時点までの推移で多少の波はありますが、基本的に緩やかな上昇基調にあること、それに対して日本の雇用者全体の一人当たり人件費の平均は、景気の波に揺られながら今に至る1995年の水準に達していないことを見てきました。

 常用労働者所定内賃金と1人当たり雇用者報酬の推移 (指数:1995年=100)<再掲>

                 
これが何を表すかですが、既にお気付きの方も多いと思いますが、長期の円高不況の中で企業のコスト削減の中心であった賃金・人件費の削減は、雇用している従業員の賃下げではなく、賃金の安い非正規従業員の比率を増やす事で行われたことを示します。

正規従業員の数は、定年、自主退職、退職勧奨などの形で出来るだけ減らし、新しく採用するのは非正規従業員という形です。これが就職氷河期の実態です。

結果的に1995年ごろには15%程度だった非正規従業員は40%に近くなりました。

非正規従業員の平均賃金(現金給与総額)の月額は、厚労省の毎月勤労統計によれば、「一般労働者(主として正規)」35万円、パートタイマ―(1日あるいは週の所定労働時間が一般労働者より短い者)10万円という差があります。

こうした人件費削減策は、$1=240円が120円に、更には80円、75円になるという円高で、日本産業の国際競争力がほとんど失われた時期には「緊急避難策」として「失業よりパートでも仕事があった方いい」という意味でやむを得ぬ面もあったでしょう。

しかし問題は、こうした労働力の有効活用を犠牲にしたコスト削減策が長期に続くとき、社会は急速に劣化現象を起こすという問題があることです。
典型的には就職氷河期の新卒者の家庭では、いわゆる「80:50問題」などが見られます。

産業界に問われるのは、今の日本経済社会の主要な問題の原因を為替レートの正常化後も放置した責任です。

・非正規従業員の教育訓練が行われなかったための生産性低下、事故の多発。
・非正規の増加による低所得家庭の増加、格差社会化の深刻化。
・定年退職者の将来不安の深刻化が若年層にまで波及した将来不安。
・将来不安の深刻化による貯蓄志向と消費不振による経済成長の阻害。
・非正規の雇用不安定と低所得家庭の増加による少子化の傾向の増幅
・日本経済不振による国民の自信喪失。
数え上げればきりがありません。

こうした中で、漸く今春闘では、政府も経済団体も口を揃えて「賃上げ」を連呼しています。おそらくある程度の賃上げ率の上昇はあるでしょう
しかし「その程度で事は済むのでしょうか。」

勿論賃金の引き上げは必要でしょう。しかし、日本経済・社会がこんな事になったのはこの4回連続の分析で見てきましたように、みんなの賃金を下げたのではなく、雇用者の4割という巨大で極めて低所得の非正規労働者群を創りだしたことにあるのです。

教育訓練の行き届いていない、その結果生産性の低い、単純、あるいは未熟練労働者を1人前の熟練労働者、高度技能者、高度人材に作り上げる努力が日本産業社会には必要なのです。

この努力は、2014年アベノミクスの初期、円レートが120円になった時から、緊急避難の解除、平常時への復元政策として、増加した円高差益を活用し、産業界が率先し、政府も協力して着実な復元の環境整備を取るべきだったのです。

このブログでは2013-2014年にかけて非正規労働者の正規化の問題を先ず取り上げることを繰り返し書いてきました。

残念ながら、この10年は無為でした。遅れた分時間はかかるでしょう。今年の春闘から始めて、最低5年はかけてこの問題を軌道に乗せれば、その上に新たな日本経済の力強い成長発展の時代を創りだしていく可能性は見えてくるのではないでしょうか。

賃金統計の長期的推移の示唆するもの 3

2023年01月06日 14時12分53秒 | 経済
前回は、1995年以降の1人当たり雇用者報酬の推移を見ました。    

 雇用者1人当たり雇用者報酬 (単位:万円) <再掲>

           資料:総務省「国民経済計算」、厚労省「労働力調査」

数字を追ってみて、予想外の低下に驚いたところです。当時、賃下げの動きはありましたが、2003年度にはピークの1998年度から9%の下げで、名目賃金でここまで下げているとは驚きでした。

さらにリーマンショック後の2012年には12%まで下がっています。
当時、多くの企業で「賃下げもありうる」といった言葉は聞きましたが、日本全国の平均賃金がここまで下がるとは、信じられない所でした。

同時に、これはまずいと思ったのは、2014年以降、為替レートが$1=120円と円高が解消した時点で、円安による巨大な為替差益も活用して1人当たり雇用者報酬に急速な復元(上昇) が起きるかと期待していたのですが、それが起きなかったことです。

確かに1990年代以降の長期不況の中で、賃金はが上げられないというのが常識のようになり、物価が上がると実質賃金は低下という分析は多くありましたが、雇用者一人当たりの名目賃金が、ここまで下がるというのは異常という感覚です。

そこで「賃金構造基本統計」で常用労働者の所定内賃金の平均値を調べてみました。
常用労働者はいわゆる正社員と1か月以上の雇用期間を定めた従業員で、所定内賃金は残業代の入らない、所定時間内の賃金です。従って金額は辞令記載のもの、従業員には一部非正規従業員も入るでしょう。
平均賃金の推移は下のグラフです。

常用労働者所定内賃金の推移 (単位:円)

               資料:厚労省「賃金統計基本統計調査」

統計は2019年までですが、下がってはいません。1995年291,300円、2019年307,300円で、最終的には5%ほどですが上がっているというところです。
よく見れば、2000年迄は何とか上げ、以降リーマンショックに向かって下げ、円レート正常化で何とか上昇基調といった感じです。

上がっているとはいえ、これでは消費者物価が少しでも上がれば実質賃金はマイナスという事になる程度でしょう。但しここでの問題は名目賃金の動きです。

雇用者1人当たり賃金として常用労働者の所定内賃金の平均と全雇用者の1人当たり雇用者報酬(人件費総額)の間にどの程度のギャップがあるか、双方の推移を1995年=100として指数で較べてみたのが下のグラフです。

 常用労働者所定内賃金と1人当たり雇用者報酬の推移 (指数:1995年=100)

                 資料:上記2図表より

国民経済計算は年度で労働力調査と賃金構造基本統計調査は年統計ですから、厳密に言えばずれもありますが、長期推計ですと大きな影響はないと思っています。  

較べてみますと、山谷の多少のずれはありますが動きは似ていて、リーマンショック後が最低に、為替レート正常化以降の動きは両者ともほぼ同程度の角度で上昇というところでしょうか。

最終的に2019年の時点では、赤い線、常用労働者の所定内賃金は+5%、1人当たり雇用者報酬保マイナス5%でやはり合計1割の開きがあります。

この両者の最も大きな違いはなにかと言えば、調査対象の差、常用労働者と全雇用者という違いになるでしょう。

平均賃金の大きな差は、調査対象労働者の違いという事になるわけです。
言い換えれば、日本企業は、長期の円高不況の中で、サバイバルのためには最大のコストである人件費の削減が必須だったのですが、その手段として「賃下げ」ではなく「雇用の組み換え」(非正規労働の増加)を選択したという事だったのです。

次回はこの問題の深刻な影響について考えてみたいと思います。 

賃金統計の長期的推移の示唆するもの 2

2023年01月05日 16時05分24秒 | 経済
今朝からマスコミでは、岸田総理が、新年の記者会見で「インフレ率を超す賃上げをお願いしたい」と発言されたことを報道しています。

今日のこのブログでの問題も「賃上げ」です。賃上げは「労使の問題」と解っていて、それでも総理としえtの希望を述べたという事のようで、こうした客観的な発言が春闘の正常化にインパクトを持つものであってほしいと思います。

勿論、欧米主要国のように、黙っていてもインフレ率を超える賃上げをして、インフレが10%にもなり、慌てて金融引締めといった事には、日本の場合ならないから、こんな総理発言が出て来るわけで、まさに日本の「特殊事情」という事でしょう。

その日本特有の事情を「雇用者一人当たり雇用者報酬」のグラフで見てみましょう。

     雇用者1人当たり雇用者報酬 (単位:万円)

           資料:総務省「国民経済計算」、厚労省「労働力調査」

1995年というのは円高不況が本格的に深刻化した時期です。
「雇用者一人当たり雇用者報酬」は日本中の企業が1年間に支払った人件費を企業で働く者全て(社長からパートまで)の人数で割ったもの(日本経済全体の平均賃金水準)です。

ピークは1997年度の518万円です、バブル崩壊円高不況突入後も、未だ賃上げはあったのです。しかし1998年度からは、ほぼ下落の一途です。2003年度の475万円まで下げてその後「好況感無き上昇」と言われた時期多少持ち直しますが2008年のリーマンショックでまた大幅円高になり2012年度の456万円まで下げます。

その後は為替レート正常化($1=75円→120円)でアベノミクス時代に入りますが、2021年に至っても481万円と2005-2007年の「好況感無き上昇」の時期にも追いついていないのです。

円レートと、日本経済の競争力(例えば購買力平価)の関係は正確には計測不可能ですが、$1=110円でも、外国人が日本の買い物に来るのですから、日本の物価は割安なのでしょう。

そしてその割安を支えているのは、円安になっても賃上げをせず、低コスト、低物価を維持しているからという事なのです。

そのための当然、国際的に見て日本の賃金水準のランキングは下がり続け、賃金が上がらないので消費も伸びず、いわゆる「消費不況」になるわけです。

一方。円安でその分日本の企業の競争力は強くなりますから、企業収益は高水準になり、結果、経済は設備投資主導、海外投資増加で、「消費不足、投資主導」の片肺飛行になります。

アベノミクスが低成長に終わった最大の構造的原因は、円高の時には賃金水準を下げ、円安になっても賃金を上げなかったので、日本経済の消費と投資のバランスが円高以前のバランスに回復せず、消費不振経済になったことが主因だったことが解ります。

上のグラフで、2021年度の1人当たり雇用者報酬が「もし」550万円ぐらいになっていれば、日本経済は今頃長期不況前の状態に復元し健全成長の道を歩んでいたでしょう。

長くなるので次回にしますが、この日本経済の「一人当たり雇用者報酬」(日本経済全体の平均賃金水準)の「引き下げの方法」にまた大きな問題がありました。

次回はこの点に焦点を当てて見ます。

賃金統計の長期的推移の示唆するもの

2023年01月04日 20時40分48秒 | 労働問題

今日は、標記のテーマで何か発見するところがないかと考えて、データを探していました。

いくつかの統計を組み合わせなければなりませんし、長期の時系列が取れないものもあって、試行錯誤を繰り返しているうちに、利用する統計については、ほぼ見当が付いて来ましたが、午後になってちょっと邪魔が入り、時間が無くなって、今日の段階では言い訳だけという事になってしまいました。
誠に申し訳ありません。

明日は何とか纏めてご報告出来るかと思いますが、具体的な数字を追ってみると、思っていたよりも、こんな酷い事になっていたのかといった感じがするのではないかと思っています。

今春闘が、日本経済の復活への転換点といった見方が一般的になって、ほとんどの学者・評論家の方がたが、そのように言われ、矢張りそうなのかといった雰囲気も出来つつあるような気もします。

連合や傘下の単産・単組にあっても「やっぱりそうだ! それなら頑張らなければ」という気持ちも出来つつあるでしょう。

経営者サイドでも、経団連の十倉会長の発言が多くの人の共感を呼んでいるようで、連合の要求は無理とった発言は、些か霞んでいるようです。

このブログの主張は、為替レートが120円になった時に(2014年)やるべきことをやっていなかった事がアベノミクスの消費不況を生み、その後の日本経済の停滞、予想もしなかった世界経済の中での日本の、種々のランキングの低下といった問題に繋がった、という長期視点に立つものです。

その辺の現実、その実態が、数字の中でどんな形で出て来るのか、「見える化」がどこまで出来るか明日にかけて頑張って見て、その結果を。明日中にはお見せしたいと思っています。

勿体を付けるつもりは毛頭ありません。結果が上手く出なかったら「ゴメンナサイ」ですが、半分期待して下さい。
改めまして、今日は「言い訳」だけで申し訳ありません。

民間の力で政府見通しを越える経済成長を

2023年01月03日 20時15分11秒 | 経済
昨日は年頭のご挨拶でした。
ご挨拶のメッセージは、今年の一番大事なことは日本が徹底して平和を望むという意思を世界に示し続けることで、世界にとって人畜無害の国ですが、頼まれれば役に立ってくれる国という認識をいつまでも維持する事でしょう、という趣旨でした。

現政権が、「日本も強いぞ」と粋がって、大怪我をすることがないようにとの警告です。

日本の大多数の国民は、本能的にそれが解っていますから、安心はしていますが、「おのおの方、十分お気をつけなされませ」というところです。

ところで、このブログは付加価値(豊かさと快適さの源)を中心に論を展開することを目的にしているので、年頭に当たり、今年は「政府経済見通し」(実質1.5%)より高い経済成長率を民間の力で実現しようという提言をしたいと思います。

経済成長率とは、ご承知のようにGDPが何%増えるかで、GDPは付加価値そのものですからその成長率は最重要です。

政府の見通しでは、今年度の成長率は2.1%ですが、来年度は1.5%しか増えないという事になっています。

そんな情けない事には多分ならないと考えています。だいたいコロナについての政府の規制もなくなり「自分で気を付けましょう」になりましたし、ワクチンの普及、簡易検査キットの一般化で、みんな気を付けるようになっています。

その結果、国内旅行はかなり復活し、各種のイベントも盛況を回復しつつあります。インバウンドも着実に増えています。

更に頼もしいのは昨年の1、2月から家計の消費意欲が復活してきて、節約一辺倒から、少し日々の生活を楽しもうという雰囲気が出て来ています。(平均消費性向の上昇)

産業界では労使とも従来より高い賃上げをした方が景気も良くなるという認識と機運が出ていますし、消費者物価の方は昨年より上昇率は下がるでしょう。

こうして消費が増えれば、物の生産もサービス業の活動も活発になり、海外情勢の不安定から企業の国内での投資も増える傾向にあります。

海外経済の不安定による不振が、日本経済の国際環境の悪化につながるというのが、政府の日本経済低成長予想の要因のようですが、国内の消費・投資が活発になれば、その方がずっと大きな力になります。

1980年代、欧米主要国がスタグフレーションでメタメタだったころ、日本は健全な経済成長で「ジャパンアズナンバーワン」と言われた時代をご記憶の方も多いでしょう。

今年は(政府の計算は年度ですが)、国民の気持ち次第で、国内経済が、消費と投資の両輪が回って順調に経済が成長する1年目になる可能性が大きいと思います。

最も大事なことは、経済成長が始まれば、国民の気持ちが明るくなり、それが消費・投資の活発化を引っ張るという好循環が見えてくることです。

世界で最も平和を愛する国に、ミサイルが飛んでくるようなことにならないように努力するのが、差し当たって、政府の役割ですね。

2023年 明けましてお芽出とうございます

2023年01月02日 20時48分01秒 | 国際関係
新年ですから恒例のご挨拶の言葉ですが、本当は言葉通りではなくて、ますます難しい年になりそうです。

日本では、近く始まる通常国会で、日本が戦争をする国になるのか、戦争はしない国として、その存在意義を世界に明示するのかが本格的に行われるでしょう。

もし戦争をする国と世界が日本を認識することになれば、日本国憲法の第9条は事実上死文化し、戦後70余年の世界平和への努力は雲散霧消でしょう。

日本が、国家権力によって国民に殺人を強制する国に戻るのだと、世界が日本を認識する事になれば、日本人は、これまでと全く違った思考方法を持たねばならないでしょうし、人生設計、生涯設計もこれまでとは全く違ったものにしなければならないでしょう。

今の日本人に、その認識と覚悟が本当にあるでしょうか。
多くの日本人は、そんな認識を明確にすることなしに、ウクライナの悲惨な画像もテレビの画面として一般化し、自分は勿論、家族や、更に子や孫に至るまで、戦争をする国の国民としての覚悟を持つ必要があるなどと考えてもいないでしょう。

恐らくこういっても、今の多くの日本人、その中で国会議事堂の中で、直接にこの問題について議論をする人達も、戦争という現実の中で、人間がどんな覚悟で、どんな気持ちで生活することになるのかを、実感として感じた経験はないでしょう。

偶々昭和1桁生まれで小学校6年まで生活の総てが戦争を前提としてたものだったという経験をしたものとして、1945年の8月15日を境に、自分の人生、その中での考え方が、いかに変わったかを経験することになりました。

その経験から感じ取った人生というものへの認識の変化を、きちんと、今の戦争を知らない人達に伝えて、戦争というものが、いかに人間という存在を蔑ろにするものかを知っておいてほしいと思うのです。

戦争の惨禍については知識としては情報化時代の人間は皆よく知っていると思います。
ここで確り記しておきたいと思うのは、そういう中でのそれぞれの人間の、人生に対する理解や意識の在り方の変化です。

戦争の中での、自分の意識というのは、基本的に自分の人生は自分では決められないという不安定感です。
何時かは戦場に立ち殺すか殺されるかの瞬間が来るでしょう。そして例え死のうとも、自分の死は戦争の目的のために役立ったという満足感をもつよう努力する、自分の人生がいつ終わっても、それは戦争の目的のためと信じる、これが人生の目的になるのです。

戦争が終わったと知った時の心の変化は、これまでの無理強いの信念、覚悟が、全く要らなくなった空白の時間がずっと先まで続いているという認識の変化でした。

考えてみれば、人間として生まれた時の状態に既に意識の在る自分が戻ったという感覚でしょう。

戦争がなければ、今後の人生は、自分で考えて自分で作って行くのかな。自分の人生は自分で考えて行かなければならないのだ。いや、自分の人生は本来、自分で設計し実践できるものだったのだ。つまり、人間の本来の在り方に気付いたという事でしょう。

全ての人間の持つ人権、その尊厳と独自性、生甲斐、その素晴らしさを、すべて「戦争の目的」という一色に塗り替えて、人間の生死まで国家権力が介入するのが戦争をする国という国の在り方だったのだ。日本はそんな国だったのかという思いに至ったのです。

戦争は、人間の「命と心」という尊厳を、冒涜し、破壊するものなのです。
日本を、戦争をする国にしようとする人たちは日本国民の「命と心」という尊厳を、冒涜し、破壊する国に、日本が改めて退化する事を、国として決めようという人たちだという事になるようです。