19日・20日の広島県手話サークル連絡協議会の一泊研修会に少しだけ参加をして、
改めて手話通訳者はろう者の代弁者であってはならないと強く感じました。
手話通訳が、聴覚障害者の福祉から始まった(40年あまり前にはそれがとても必要だったのですよね)こともあって (いや今もそうなんですが)聴覚障害者と健聴者のコミュニケーションの仲立ち=通訳者との位置づけにはなかなかなっていません。
さまざまな福祉制度が、やれ「契約」だとか「対等だ」とかいわれながら実は障害者の金銭的負担を強いる中になって、その時だけは「通訳によってメリットがあるのは聴覚障害者だけではない」と言われるのです。
と書いていたら 医療通訳研究会のブログに、板挟み通訳と書かれているのが目に付きました。
通訳を利用する双方が自分の都合のいいように使おうと思っている。
そんな中やからこそ、手話通訳者はしっかりと自らの立つ位置を持たんとあかんで…と思うたんです。