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通信の原稿うちをしました。

2011-06-03 | まいにち

今日は暑い一日でした。

マツダスタジアムからは大きな歓声が聞こえてきますが、今のところどうやら負けている模様です。

あすは、ピンクリボンDEカープ。勝ってくれたいいけれど…

 

(konomigihasinooneesamaha我が広通研の理事でもあらせられます)

夕方から NPO法人広島県手話通訳問題研究会の機関紙『通信』への原稿を書きました。 この7月30日平和記念資料館で 平和と手話通訳を考えるつどい2011が開かれますが、それへ向けての記事の一つです。

 

 1999 年秋発行の研究誌69号、えっふるーいと思われるかもしれませんが、とても読みごたえのある号です。

 

特集は《聴覚障害者と戦争》。

 

 根こそぎ動員の中で

   沖縄国際大学教授の阿仁屋政昭(現在は名誉教授)さんが、第2次世界大戦での沖縄根こそぎ動員の中で「戦場において、耳が聞こえないということは、コミュニケーションがないことを意味する。大声で怒鳴る軍隊の命令も聞こえず、人々の叫びにも『耳を傾けず?』、砲爆撃の轟音にも平然としている聴覚障害者は『不逞の輩」・スパ イとみなされたのである。疑いをかけられて尋問された時の『身ぶり手ぶりの応答』は、ますますスパイの容疑を深めることになった。聴覚障害者の場合、戦場の客観的な状況は、ほとんどつかんでいない場合が多い。その概況をまず掌握し、記録する側と証言をする聴覚障害者が相互に学習を積み重ねる中で、事態の客観的な意味をつかんでいく必要があるだろう…』(私は轟音にも平然としていたとは思いにくいのですが)

 

  全通研各支部の取り組みも紹介されています。

 

 静岡支部は「学徒動員された聞こえない子どもたち」

  「動員学徒の碑」に浜松聾唖学校の名前があるのを御存じですか?

亡くなられた全通研元委員長の伊東雋祐さんからこのことを伝えられた浜松市の手話通訳者・柴田敬子さんが調査を始め、浜松市や浜松ろう学校の記録にもそのことが載っていなかったが、二人のろう者の名前を確定したことなどが書かれています。

 

   広通研からは「平和と手話通訳を考えるつどい」の報告がされています。

 9683日、『青い空は』『ひろしまのある国で』の手話表現と浜田芳子さんの『広島の証言‐被爆者は語る』で始まったこのつどいは今年730日に平和祈念資料館で映画『ミツバチの羽音と地球の回転』上映と中国新聞論説委員の江種則貴重さんのお話「ヒロシマからフクシマへ」で開かれますが、99年のつどいは広島市ろうあ協会・広島市手話サークル連絡協議会と広通研がはじめて合同で平和集会を開いたことを伝える7月26日付の中国新聞が掲載されています。

 

   長崎支部からは

「ろうあ者の被爆体験聞き書きの取り組み」の様子が報告されています。

 

 継続した長崎支部とろうあ協会の取り組みの中で長崎市主催の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」中央ステージに手話通訳者が配置されてことが書かれていますが、この取り組みが、手話による被爆者代表としてろう者の山崎栄子さんが「平和への誓い」を発表することにつながります。

 

 はだしのゲン作者中沢啓治さんへのインタビュー記事もありますが、編集部からの依頼で中沢さんのマンションへ原稿の校正記事を頂きに伺った事を思い出しました。

 研究誌69号は特別価格300円でNPO手話センターで販売中   

 

とまあ、写真を入れての2ページです。

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