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廿日市 手話では「20」+「場所」

2011-06-21 | 手話

先日書いた廿日市

廿日市市の概要
廿日市市は、広島県の西端に位置し、西に山口県、北に島根県、東に広島市と隣接しています。古くから西中国山地の豊富な資源を元にした木材集積・加工地で、材木商人が多く集まって東・西材木町を形成していました。

廿日市のあゆみ
廿日市は、奈良時代のころから広島県西部地方で一つの大きな宿場町を形成しており、津和野特産の和紙の積出が行われるなど、賑わいを見せていました。また、厳島へは海路で繋がっており、厳島神主家の居城である桜尾城の城下町でもありました。

桜尾城は厳島の対岸に位置し、広島県西部地域に所在した厳島神領地を支配するための本拠地でした。厳島神主家の藤原氏は1221年、鎌倉幕府から神主職を任命されましたがすぐには当地に下向せず、数代後に下向して活動し、西の大内氏の庇護を受けながら国人領主化していきました。その後、大内氏を離反した神主友田興藤は大内氏に滅ぼされ、約320年間続いた厳島神主家の藤原氏は滅亡し、大内氏が桜尾城に城督を置いて神領地の支配及び厳島に対する管理監督的な側面をもつようになりました。

戦国時代になると、大内義隆を討った陶晴賢と毛利氏が争い、市域は戦場となります。そして陶氏を破った毛利氏は桜尾城に重臣の桂元澄を置き、防長進出の拠点としました。1587年、豊臣秀吉の島津討伐により、兵站路及び連絡路として山陽道の整備が行われ、毛利氏によって町屋の入口を含め改修が行われます。しかし江戸時代になると毛利氏は防長に移封され、桜尾城は廃城とされました。その後、宿のほぼ中央に本陣が置かれ、本陣役として山田家が勤番するようになりました。

この地はむかし、種箆郷と呼ばれていましたが、時代とともに町村合併を重ね、市制が施行されて廿日市市が誕生したのが1988年のことです。その後、2003年に隣接する佐伯町と吉和村を編入合併し、現在の市域となっています。


廿日市の名前の由来
古くから毎月20日(廿日)に市場が開かれていたことに由来しています。

市のHP見ていたら、おもしろいやら おかしいやら…こんな記事がありました。

嚴島神社、大鳥居、五重塔、多宝塔の「七夕ライトダウン」について

2011年6月15日


 環境省では、温暖化防止のためにライトアップ施設や家庭の消灯を呼び掛ける「地球温暖化防止のためのCO2削減/ライトダウンキャンペーン」を6月22日(水曜日)から8月末日までの間、実施します。
 これは、電気を消すことで、日頃いかに照明を使用しているかを実感し、日常生活の中で温暖化対策を実践するきっかけとなることを目指す取り組みです。
 宮島においても、7月7日(木曜日)の午後8時から午後10時まで、嚴島神社、大鳥居、五重塔、多宝塔において「七夕ライトダウン」を実施します。
 なお、午後10時から午後11時までは通常どおりライトアップしています。
 
本キャンペーンについての詳細は、ライトダウンキャンペーンホームページをご覧ください。
http://coolearthday.jp

【問い合わせ先】廿日市市役所 観光課 観光施設係 電話:0829-30-9142(直通) FAX:0829-31-0999

一晩のみ、しかも2時間…こんなけちなことやらずに、ライトアップは毎日 午後9時まで…とかにした方がよほど「ライトダウン」になるんじゃないの??

 廿日市 手話では いとも簡単に「20」+「場所」と表してきました。

廿日市の歴史探訪〈5〉
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