ネットで浅野史郎さんの元気なお姿を拝見した。よかった!(毎日新聞から)
特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本よ! 前宮城県知事・浅野史郎さん
<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇「できる」確信が勇気に--前宮城県知事・浅野史郎さん(63)
「どうも、どうも。いらっしゃい」。横浜市の自宅で迎えてくれた浅野史郎さんは顔色も良く、すっかり元気そうに見えた。09年、成人T細胞白血病(ATL)を発症。闘病のため、公の場からしばし退いた。骨髄移植を受け回復、体調と相談しながらではあるが、この5月からは慶応大の教壇にも復帰した。
「東日本大震災には大きな関心、痛みを持って受け止めています」。被災地の宮城県は浅野さんの出身地であり、知事として3期12年、辣腕(らつわん)をふるった地でもある。早期復興を願う気持ちは強い。
「菅降ろしなんてやっている場合ですか。与野党抜きに震災対策・原発事故対応に力を合わせて協力しろよ、と文句の一つも言いたいですよ。まだ野党の立場なら、ここを先途と攻めるのは分からなくもない。しかし与党からも動きがあるとは何ですか。論評することすらばかばかしい。非常に憤ってます」
霞が関の官僚として、自治体の長として「中央」を見続けてきた浅野さんは語気を強めた。まさに火事の最中なのに、という思いがある。また、自分が現場で指揮を執れればという、じくじたる思いもそこにはある。
「被災地には行っていません。いや、行けないんです。治療中で公共交通機関にはまだ乗れない状態なので。思いがあるのに行けないイラ立ちと、申し訳ない気持ちはあります。が、こればかりは運命だから致し方ない。もし元気で知事の座にいたら、それは死にもの狂いでやりますよ。死に場所を得たというと、おどろおどろしい言い方だけど、そのためにこそ知事をやっているという場面がたくさん出てくるでしょうから」
「こじつけに聞こえるかもしれないし、自分でもそう思うんだけど……」。浅野さんは苦笑しながら、今回の震災と自身の境遇に「共通するものがある」と話し出した。
ATL発症の告知を受けたのは2年前の5月25日。青天のへきれきではなかった。
「知事だった時に、仙台で献血をしたのがきっかけで(ATLの原因である)HTLV-1ウイルスのキャリアーだということが分かっていたので、定期的に診察を受けていたんです。だから、全く予想もしてなかったところに突然見舞われた震災とは違う。けれども、死ぬか生きるかの大変厳しい病気だということを告知されたことは、私にとっては運命に翻弄(ほんろう)される出発点だったわけです」
告知から1時間後、傍らに付き添っていた妻の光子さんに宣言した。「おれはこの病気と闘うよ。だからしっかりと支えてくれ」
「言った途端に、気持ちが前向きになり楽になった。後になって『根拠なき成功への確信』という言葉を知ったのですが、まさにこの時の私です。病気と闘うぞ、勝つぞと思ったけれども、根拠なんてない。でも確信したんです、必ず勝つと。被災地の人たちも頑張るぞ、絶対復興するぞと言っています。それも言わば『根拠なき成功への確信』かもしれない。確信を持つことは勇気を与えてくれる。非常に大切なことなんです」
同じように難病に苦しんでいる人のために自分ができることをする--病を得て、人生の新しい目標を得た。同じ疾患に苦しむ「病友」との交流も広がった。支えてくれる家族との絆も強まった。
「病気で損ばかりしたわけではない。むしろ何かをつかんだ。被災地も同じではないでしょうか。ゼロベースでいろいろ考えられるのは、チャンスでもある」
身を乗り出す。知事時代の浅野さんの姿がだぶった。
「例えば行政組織。不要な部門は廃止して、必要なところだけ残す。機能していないと批判されてきた議会はなくせばいい。その後、議会がなくて困ることが出てきたら、改めてその『困るリスト』を解決してくれる議会のあり方を再考する。住民自らが考える、真の意味での地方自治の確立が震災を機に可能になる。復興とは元に戻すのではなく、全く新しい、他の地域のモデルになるようなものをつくり出すことです。その地点に立っているんです」
その復興を先導すべき政府は、内閣不信任案提出に始まり菅直人首相退陣後の「大連立」に揺れている。
今、政権にこう言いたい。
「国家公務員はすべて、世のため人のため役人になったんです。未曽有の大災害に見舞われた今こそ働き場だと、霞が関の心ある役人は思っている。菅さんのやり方は間違っています。具体的な施策がどうのこうのより、何でもっと役人をうまく使わないのか」
役人には経験と能力と組織がある。なのに「内閣参与が任命されるたび、何とか会議がつくられるたび、役人はやる気を失っていますよ」。
国がやるべきことは多い。一方で、国にやってほしくないこともある。
「自分たちの地域を、自分たちの手で望む方向に復興させるのが望ましい。国は口出しをしない方がいい。財政支援も、使い方を束縛する『ひも付き』ではなく、自治体の裁量を生かせるような支援にしてほしいのです」
「3・11」以降、日本人の考え方が変わったのではないかと考えている。
「不便、不足、不幸。被災していない人たちも、それらを我がものとして『分かち合おう』という心です。みんな同胞なんだ、苦しいときはお互いさまなんだと。元々、持っていたものが顕在化したというより、新たに意識として生まれたものだと思います。これから日本はどこへ行こうとするのか、というときに得た財産ですよ」
そこに自らの体験も重なるという。闘病中、勇気を与えられたのは「自分一人で闘っているのではない」と思えたことだった。名前すら知らない善意の「関東在住、40代男性」が骨髄バンクを通して骨髄を提供してくれた。
「知人・友人、名前も知らない多くの方からも励ましの言葉をもらった。逆に僕の闘病ぶりに勇気をもらったと言われたこともある。被災地でも、大勢のボランティアが行き、義援金が届けられていることが励みになっていると思います。被災地は復興を果たすことで、それに応える。私が病気から回復することが、支援者に対する答えになるのと同じように」
やればできる、とは限らない。しかし、そう信じて進むことが結果を生む。浅野さんの姿を見て強く感じた。【小松やしほ】
==============
「特集ワイド」へご意見、ご感想をt.yukan@mainichi.co.jpファクス03・3212・0279
==============
■人物略歴
◇あさの・しろう
1948年生まれ。東京大学卒業後70年、厚生省(当時)入省。93年から3期、宮城県知事を務める。現在、慶応大学総合政策学部教授(地方自治)。