私が育った町のニュースを見ていたらこんな記事があった。戦時中にあった武智造船所。ここは今広島安浦の港に防波堤として使われている、コンクリート船の製造元である。
私の母は河向こうが空襲にあっていても「負ける」なんて思わなかった、この町は空襲を受けなかったといっていたが、下の記事を見ると機銃掃射は受けていたらしい。 8月私たちが忘れてはいけない記録。
(写真をお借りしたのはこのページhttp://uroneko02.com/wp_takechi01.htm)
【高砂市】造船所跡で68年ぶりの同窓会
高砂市曽根町の山陽電鉄日笠山踏切を南へ渡った所に、大型のヨットがたくさん係留されているヨットハーバー「播磨マリーナ」がある。ここは戦時中に武智造船所があった所で、日本で初めてのコンクリート製の輸送船を作っていたドックの跡である。当時この造船所へ学徒動員で働きに来ていた3人が6月17日、68年ぶりに顔を合わせ、当時の思い出を語った。
3人は大塩町在住で岩城克己さん、八木恒男さん、湯谷豊和さん。昭和6年生まれの80歳だが、68年前の記憶を約2時間語り合った。日笠山で合宿生活をしたこと。溶接工や鉄筋工の技術を身につけたこと。必死で働いて完成した船が朝、突然なくなっていたこと。また、機銃掃射を受け山陽電鉄が被害を受けたこと。生々しい戦争の記憶が語られた。 (わが町リポーター・唐津哲男) (2011/06/26 12:32