降って来るもの

写真と散文とぽえむ

LUMIXとCOOLPIX

2017-09-13 06:44:35 | 随想

                LUMIXとCOOLPIX

 

           ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ 

 濃く深い霧が立ち込めて、何時ものblueを撮る東の空は乳白色に閉ざされている、9月13日午前5時42分デス。もう少し時間がたって(今日はの予想でしたから)朝陽が届くようになったら、若しかしたらいい”しずく”が撮れるかもしれないとワクワクしながら胸算用しているmanboです。

 それにしても、何時頃から撮ることにこんなに霧中になれるようになったんだろう?と、つらつらと来し方を回顧してみるに、そうだ!あの時からに違いないという出来事に想いが収束する。

 そうそう、あれは〇年前の還暦の誕生日の事だった。その日、子供たち三人で出資して買ったというカメラ「ルミックス」をプレゼントされたのだけれど、それから2~3年はまだお出掛けの友にしたり、記念のイベントを撮ったりのごく有り触れた使い方しかしていなかったが、5~6年前に女房に手伝ってもらってブログを開設したそのことが、撮ることに飛躍的にのめり込む契機になった。

 文章と画像で体裁を整えて一つのブログを投稿する機会が増えてゆく度に、カメラを持つと意図して対象に近づく様になった。撮り方や操作、その機会や相手を厳選してより良いものを撮りたいと思うようになったのだ。翌々年の記念日には子供達におねだりしてclose-upレンズを買って貰い、ますます不思議の世界にのめり込むようにもなった。

 一言で表現すれば“撮る行為”とは(瞬間の保存)と(輝きの定着)とも言えるだろうか。つまりは輝きの瞬間を切り取ってあげる事に他ならないと思う。記憶ではなく記録に残せる、或いは記憶と一体となった瞬間を永久保存できることが最大のメリットでは。

 書くと撮るで続けているblogは、その折々の移ろいを記録して最早5年目の秋に入ろうとしている。文章と画像に記憶してゆくことで、僕の膨大な過去達も其処から鮮やかに再生するイノチを付与されてゆく。

 無に溶け出そうとする、虚に引き擦られてゆく、止まらない時間の旅を続けながら、僕は書く事と撮ることの二刀流を駆使して消えてゆく出来事から色彩を取り出し、感慨を抽出し、熟成し醗酵し、其処に更なる滋養を内包してゆくのだ。やがて何時か、その宝物たちは疲れ切った僕の心身を、過ぎ去った日々を切なく回顧する僕の心情を優しく愛撫し癒してくれるだろうと確信している。

 Panasonicの”ルミックス”の画素数にほんの少し不満を抱き始めていた僕は、今年に入って女房におねだりし、結婚記念日に画素数がおよそ3倍のNikonの”クールピクス”を買ってもらい、その二機を自在に操って”撮る”ことの楽しみに浸っている。何と言っても「好きこそものの上手なれ!!」なのだから。

09/13 06:44 まんぼ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする