突然ですが
その土地を使用する権利を有する。
と 法文化されているとのこと>
突然ですが
言うまでもないことですが 自身が生業をいただけているのは 先人の方々
がつくりあげてきた 学術の思想 を利用させていただけているからであって
生業の過程に使っている自身独自の創作物などというものは それこそ この
地上の一砂にもなり得ないものでしょう
久しぶりに 著作権法に関する相談があり 自身の業務にも関するところが
あるので イロイロ 点検してみたりしました
<著作権法>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・省略アリ
会社・各種法人関係の相談も トキドキ あります
さほど コミイッタことではなく 設立関係が多いのですが
ときには 詳しく調べてからでなくては トテモトテモ 自身の
力量では 即答できない相談もあったりします
通常 いわゆる基本書と呼ばれるもので ナントカ 間に合うのですが
不安を覚えてしまうような場合は ヤハリ といってはなんですが 権威のある
説をさがすこととなり その 権威のある著書を傍におきたくなります
会社法関係の基本書では 自身の場合は 手もとに 著名なもの数冊
そのなかで 最後の砦 としての頼りは 江頭先生の 「株式会社法」
1000ページを超える分厚さに圧倒されながら アーダコーダと悩まされながら
なんとかくらいついて 参考にさせていただくのです
この最後の砦に応援していただくレベルの相談というのは おおよそ 年間 2件ほど ?
なにしろ高価 なので 新しい版が出てもチョットバカリ ためらってしまうのですが でも
傍に無いと困る ということで 使用頻度対費用を度外視して 特別に傍に居ていただく
というところです
もっとも 倒されようが 討ちこまれ続けようが師範に挑み続けて ドンドン 高級理論に
日々ブチアタッテ 実務力を少しでも上げる努力をすればよいのでしょうが・・・力不足で
ナカナカ そうした格闘力は 身についてくれません
マンション法関係の 自身にとっての最後の砦は 「コンメンタール マンション区分所有法」
です
こちらは 週に一度は イロイロと 教えていただいている という感じで 実務上 頻繁に
お世話になっております
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国家資格といっても その資格を設けた主旨というのは それぞれ
微妙に ? 異なっているとも理解されることがあります
極くシンプルに 個人的な思いを述べさせてもらうと その資格は 巷に必須
というレベルの要請ということでもないが 国民の利便性からも
<制度を 設けてあったほうが 好ましい>
というもの
と
利便性を超え 程度はソレゾレ異なるとしても
<制度を 設けておかないと サマザマな不都合が発生する危惧があるので>
ということをも含んでのもの
とがあるのでは ということ
「マンション管理士」の資格は 少なくとも 後者の意味をも含んでの要請があり
制度化されたものであることに 異論は無いのでは と 考えられます
マンション制度における ひとつの危惧は ≪所有権絶対と私的自治の尊重とは
いえ 管理運営に特に知識を持つとは限らないマンション住人と それらに委託された管理会社
との管理運営上の知識の差による問題顕在化≫ ということあたりだった
そうした背景があり 基本的にマンション住人側に立って 社会的な資産という面を持つ
マンション制度の健全な維持の ある意味補佐役としてに行動するものとして 「マンション
管理士制度」を マンション政策施策者側が位置付けた はず
こうしたことに 国および地方公共団体も施策に当然加わり 推進役担当係り
としてスタートしている (マンションに住む各個人の私的財産への必要以上の干渉は排除しつつ)
ところが 資格取得者側にも サマザマな問題点があるだろうことは認めざるを得ない点もあるが
公的マンション政策推進者側にも 未だ ナントモ怪訝な面がある
マンション政策には 必須のバイブル
昭和37年法律第69号 建物の区分所有等に関する法律
の存在さえ 知らない方が 担当する役人さんのなかにおられたりする
“ 管理会社 と 管理組合 と マンション管理士 との それぞれの役目などが
どうにもワカラナイ ”
などと 役所内の 担当する部署の机の前で 平然と述べるような部署統括者
らしき方がいたりする
これでは その部署全体のマンション政策への熱など 発生しようも無いかもしれない
(とても学習熱心な 役人さん も おられますけれど・・・)
という自身も なんとかして マンション管理士の存在意義のさらなるアピールに努めなければ
と 日々 思っている のだが・・・
資格取得後 10年を経たが
いまも アレコレ 「 使用独占 の マンション管理士 という名称 」アピールの特効薬を求め
て 彷徨っている
相談を終えて 管理運営上の疑問点を解明できて喜ぶ管理組合員さんと出会えた
喜びを思い出しつつ 行動し続けさせていただきます
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《区分所有法における 団地》 ということの理解に
利用している 自作の写メールアルバムの一つです
チョット見づらくて ゴメンナサイ
IT技術の日々の進化 (?が付く点もあり なにからなにまで そうしたものの利用を
手放しでは喜べ難い面にも注意しなければなりませんが) も現実にあり リモート
型の業務推進のことも アレコレ 自身なりの姿勢を整理したりしていますが 考え
させられること 多し というところです
本日は 久しぶりに やや当事務所から遠距離にあるマンションでの 管理運営
チェックのお仕事
マンション保険にも関することで 現地で イロイロな判断材料・資料の存在をも
確かめながらの作業となります
可能な限りの外出規制を貫いてはいますが 今回は 慎重な手配を尽くしながら
伺うこととさせていただきました
リモート方式のことも 一応 自身の個人的立場の許容範囲内のことで 検討など
想定だけはしてみましたが ヤハリ 無理があると判断されます
ので 個人的提言は控え 感染の情況などからの危惧はあるのですが・・・要請も
あり 外出のうえ 現地実行させていただくこととしたのでした
率直に言うと あくまで個人的見解ですが( ときには 組織上の立場を捉えられて
“それは あなた方の会の公式見解ですか ?” などと問われることもあるので )
マダマダ 生業活動も自粛しなければならない という情況と いつまでもそうしては
いられない との確執に悩むことがあります
『外出してのお伺いは 控えております』 との言葉に 「それでは こちらから 事務所に
出向きます」 とまでおっしゃってくださる方もおられ ナントモ ムズムズと心が蠢いてしま
うのです
こんな情況下ですが 生きていく上での サマザマな検討・悩み相談は 巷に 今までと
なんの変わりなく あります
梅雨明けを これほど待ち遠しく思ったことは ありません
そうして なにより 今の異常さが ナントカ 少しずつ 落ち着いて
いってくれることを祈るばかりの日々です
自身の業務上 特に 民法の学習継続は欠かせません
会社法のポイントの学習も 継続する 必要があります
双方 目次を眺めるだけで その学ぶことの膨大さがわかります
民 法 附則前の最終条は 1050条
会社法 附則前の最終条は 979条
しかし
条の挿入による枝番号付与などというものもあります
ということなので 実際は 最終条の数字よりも そうとうに多いのです
あたらしい仕組みができたりしたとき どうしても こういう枝番号条文が登場するということに
なりますね
民法では
根抵当 ・ 債権者代位権 ・ 詐害行為取消権 ・ 保証債務 ・ 有価証券 ・ 賃貸借の効力
保佐及び補助 あたりに枝番号条文がみえます
込み入っている という点からすると 会社法の入り組んだ迷路のようなところの理解は サスガに
疲れきりますね
そういう折に 特に 思うこと
制度がどれほど微細重層となろうと 要するにそれに相対する人が正しい運用をしないとすると
その効用はナカナカ発揮されない
制度が少しばかり粗めのところがあったとしても 正しい運用がなされるなら 公に資する効用が
さほど傷つけられないことが多い のでは・・・
要は つまるところ 「人」 なのだろうから
そういうことなのだろうな と つくづく 思われてしまうのですが
特に 会社法などは 法の隙間を悪用するようなエネルギーと それらの芽を さらに防ぎきろうと
する防護壁との ぶつかり合いの歴史のようにも思えて・・・よくもまあ ここまで長文の一条の
連続になるものだな と 愕然としたり・・・
ということで 調べものがあって ホボ 半日 条文とニラメッコ のようなことで もう 15時も過ぎ
コーヒーを飲み続けのわりに 仕事のはかがなかなか行きません
さいわい 当地は 今日は湿度がさほどでなく ありがたいのですが・・・
被災地の方など タイヘンナ思いを為されている方たちのことを思えば なんとゼイタクなことを
させてもらっているのか ということ なのに・・・・スミマセン
もうすぐ 〔 七月 文月(ふづき・ふみづき) 〕 も 半分が過ぎようとしているのですね
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本が ダイスキ です
読書が好き ということも ありますが 本 そのものが好き という面もあります
読みもの系は 文庫サイズ が好き
保管の場所をホボ 気にすること無しに 手もとに置けるし 値段も廉めであるし
気に入ったものなら 複数出版元から同一本を手に入れたりしてしまうこともあります
〔装丁の違いを眺めるのことが とても 楽しかったりする〕
どうも 電子書籍では 楽しむのが 窮屈 (モチロン 私の 勝手な好み)
実務書は さすがに 版の大きさの異なったものを複数出す というものには
お目にかかったことが無く 文庫本サイズのものは 簡易条文集くらいで
使用させてもらったのが 唯一 かな ?
実務書についてですが
選択の規準は 利用者各々の好み というものもあるでしょうが
「総合して好ましい本 特に 内容の充実度が決め手」 と それは当然でしょ ということ
なのですが
本屋さんで軽く立ち読みして それから購入を検討するのが無難 ですが
今は ナカナカ そうはいかない情況があります(都会を除くと 実務書を選びながら買える
書店というものが まず 無い という実情)
ネット書店で おおまかな紹介文と体裁だけで判断ということが多く 内容の実務力
の無さ過ぎさにガッカリ感を 何度か味合わされました
案の定 そういったものは 版を重ねるようなことは無く 初版本でオサラバになっている ?
ことが 自身の知る限りでは 多い
受験生さんなどは いわゆる基本書を選ぶにも ナカナカ タイヘンな思いをするでしょう
大手受験専門予備校などが出しているものは さすがにそれほどの差はないかな?
という感がありますが
受験専門書というより 参考書レベルのものの価値は ケッコウ 質の差があるように
思われます
とは言っても いわゆる初心者の方には 特に選択が難しいことでしょう(自身にとっても困難なこと
なのですが)
そういったときは 一つの目安として 版の改訂の度合いを見てからということも大事
良い実務本 というのは 利用されてナンボ という厳しいレベルチェックが利いている
と一応言えるので 自身は 初めての実務知識を要する範囲の参考本を選ぶときなどは 改版が
どのくらい続けられているのかは 必ず見ます
著名な学者さんのものでも その場面場面で 著作物への熱の入れようのレベルが
違っているようなこともあり得るので 著者だけを規準に選んでしまうことには 賛成できません
それと 自らの論の整合性を とても重んじる著者さんと それほどでもなく筆を進めていくタイプ
さんとかおられるようなこともあるので そういう点が とても読み進める上で気になってしまう
方は 著作者さんの個性を知るまで タイヘンでしょう
共著のとき 章ごとの担当のとき 単独記述のときとで なんとなく論述の姿勢が微妙に
違うのでは ? と思えることもあります
概してですが 編著(一部一部を各々受け持っての著述)ものは 自身は チョット苦手です
なかには 高名な実績を持つ大学者さんの監修となっていても 率直に言ってイクラナンデモ
編著メンバーとしてはいかがなものか という方が登場していたりする実務本があります が
そんなことを言っているようだと 共著ものなどにも 手が出しにくくなってしまいますが・・
監修・編著・共著 といった表記にも 注意して検討すべき と 思われます
監修者は実務上の一般的評価は ソコソコの方 であるが 編著者として参加
なさっている面々は 率直に言って 筆力など判断のしようがない というメンバー という
高価なものについては それこそ 立ち読みでの検討必須 としています
使ってみて まるで ピンとこない(誤っているということではなく 内容があまりに平易すぎるというような)
書物(行政部から公表されている内容を ホボそのまま羅列しているだけ のようなものさえ 特定著者名
付きで出版発行) などというものもあったりします
案の定 版を改める前に初版のまま か 書籍案内から姿を消している?
今 手もとにある実務書なども 実務書ではナンバーワンクラスの出版関係法人の販売もの
だが 内容は お粗末(法学関係の極くシンプルな基本事項を並べて450ページにして5000円で というもの)
で ガッカリ感は そうとう強かった
ということで このブログの結論とは
<好ましい評価を受けるものは 売られ買われ続けられる>
という極く シンプルなことで 発行部数との関係もありましょうが 手に入れるべきでは無い実務本
というのは 初版のままの姿で 増刷も改版もないようなことが多い と思われるので
発行日など と
ISBNの載った
最終ページ上の改版情報など
をジックリ眺めて 気にしてみる ことも
学習参考に高価な実務本を手に入れようとするような場面では 特にタイセツなことなのでは
というお話をさせていただきました
『そういったことは 当然でしょ』 という方には それこそ 平易すぎる退屈なことでしたでしょう
ゴメンナサイ
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〔業務エッセイ とはしてありますが なんらかの参考になるもの
という内容ではなく 業務上のことにキッカケをいただいて 私的
な思いを記しているだけのものです
ブログを訪ねてくれる方の貴重な時間をいただいているのですか
ら どのようなタイトルのものであっても 少しなりとも役にたつも
のを という思いはあるのですが 記事によっては ただ単に私事
そのもの というものも登場したりしています どうぞ ご容赦を〕
2020年も ほぼ 半分が過ぎようとしている
トテツモナイことが起こってしまい 今までにない経験を 世全体で背負ってしまっている
自身の実務も どことなく落ち着くことができず どこまで流れて行くのやら・・・という感もあるが
今年の実務の特色らしいことが 連続していて
不思議な感覚
ナントナク・・・なぜなのか 不思議 ??
ホボ 10年近くご無沙汰してしまっている顧客さんから 突然電話があったり 思いもかけない
折の再会があったり
そうして 実務半分 あと半分は述懐らしきことの聞き役に回っていたり・・・
そのようにして その方々が なんと変わりなく元気なことか 年齢からすると意外とも思えてし
まうほど若々しく闊達な会話をこなし
人生の大先輩の方々の そうした様子に 驚きさえ覚えて
どうも 自身の人生において 活発さに欠けるところがあるようで 営業 というのが 大の苦手
売込みが 下手 というより そうしたことの経験が無い というか 実務人としては好ましいことでは
ないのだろうが
してこなかった というか
そんなようなことで
思えば いわゆる顧客さん方が 長い間 折りに触れて実務上付き合ってきてくれたようなもの
そのお陰で ナントカカントカ 生業を続けさせていただいたようなことで
ツクヅク ありがたさを思う
今年は そのインターバルの長いほうの顧客さんたちからの問い合わせが ポツンポツンと
銀色の雨粒のようにふりそそいでくれていて ありがたく そうして とても うれしい思い
・起業のときの 組織のアレコレの特徴〔特長と捉えられる点など〕のこと
・経年が増すマンションの サマザマな管理の手強い問題点のこと
・利用していない不動産の 整理の手法に関すること
などなど
当然のことだけれど ベストを尽くして
すこしでも好ましい感謝を表せる生業となるようにしたいもの
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<アジェンダ> <ペンディング> などなど
これらの言葉が いわゆる会議のなかで いつ頃から使われようになったのか
自身のビジネス経歴においてはどちらかというと ここ10年ほど前あたりから ?
という感があるのだが モットモット 以前から ある意味 普通に 使われていたのだろうか?
特にこの二つの言葉は それぞれ あまりよい思い出ではない場面で登場し その言葉を
理事会で多用していた人物にも 好い印象がない という 寂しい経験がある
モチロン それらの語彙そのものに なんら意地悪い心を抱いているわけではないが
横文字会話を 一概に排斥する考えではないが やはり 空気を読めよ と いわざるを得ない
ような場面はある と思えた
そうした言葉を使うべきと考えるときは
『アジェンダ つまり 会議進行書 です』 『ペンディング つまり 保留 です』という類の説明の
配慮を加えればよいだけ と 思われるのだが・・・
『アジェンダ』 との語を サッソウと発音することが大好きオジさんは 某マンション理事会のメンバーだった
某教育機構の それなりの立場にいる人物で とにかく 目立ちたがり屋さんという印象があった
率直に言って イヤミ満載男子 だった(ハッキリ言って まさしく自意識超過剰気味人と見えてしまった)
案の定 といってはなんだが アドバイスを無視し続け 失態をも現したりしたのでした
ペンディング という言葉 愛用オジサン も 同様のタイプ で 別マンションの理事会の中心メンバー
双方の場で顧問として関わらせていたのだったが 会話の場に そうした言葉が なんとも不似合いに
変に宙に浮いて漂うような
キョトンとした貌が並んでいるのだが 「そのカタカナ語の意味は ?」 との言葉を発するのを
なぜか タメラッテしまっているしかないような
(今にして思えば 専門的すぎるかもというようなカタカナ語を避けるよう とにもかくにも
提案してみるべきだった・・が)
学習に有用な 自身も使用した基本書を紹介したことがあったのだが
『あれほどまでに カタカナ語が登場するとは思わなかったので 少々 読み続けるのが苦痛でした』
との感想をもらってしまったりしたことがあった
申し訳ないとも思い しかし それほど多くのカタカナ語が載っていたかな? と400ページもの2冊から
確かめるため ひろってみよう と
それこそアット ランダム(手当たり次第)に抜書き並べてみると
ダイレクト メカニズム スムーズ カテゴリー ルート レベル
アクション バランス スローガン アンバランスド プロセス
バリエーション フィクション ニュース・ソース ファイル マニュアル
ニーズ タイト アプローチ ハンディキャップ タイムラグ マクロ
ミクロ フリーハンド
あたりは 今時 ある程度 違和感無く ? 通常の会合でも使われるかな ? という感もあろうが・・・
実務書・専門書とはいえ 登場の以下の言葉には たしかに カッコ書きでの案内が欲しい むしろ できる限り
和訳を試みてほしいものだな と 思われた のだが・・・ローマ字学習の経験もホボ無かった世代など
サマザマな読者利用者・参加者がおられるのだから・・・
アジェンダ
ペンディング
トートロジー < 同語反復 >
コロラリー < 帰結・必然的結果 >
カズイスティッシュ < 個別事例的 >
パラレル
メルクマール
パラドキシカル < 逆説的 >
シチュエーション
テーゼ
アナーキー
カテゴリカル < 分類別の・断定的な >
ミスリーディング
ドグマ
マジックワード < 呪 文 >
プリミティブ < 原始的な >
インセンティブ
パースペクティブ
ア・プリオリ < 先験的な >
リーディング・ケース
アカウンタビリティ
ロジック
・・・・
ということで 分野独特専門用語でカタカナ表記もいたしかたないのだ ともいえないものを多く含んで?
上記のものなど 載っていました
自身 曖昧な理解のものを 改めて確認したりしました
みょうなカタカナ言葉など 正確さを無視したり徒に使ってしまっていないか 意識して注意しなければ
と 思ったことでした
(当然のことですが 自らも曖昧な理解のままで使うことなど 絶対に避けなければなりませんが)
それにしても
日常で マスマス カタカナ語が耳目に増えていくのも 止むをえないのでしょうね・・・
庭にあるドクダミを摘んで袋に入れ湯船に浮かべてもらって 午前中に薬草湯を楽しませていただきました
お風呂に使うと 独特の香りの強烈さがほどよいものになり 気持ちよかったです
もう五月も終わりなのですね
〔超個人的なことを書きなぐっていること多し の 本日の記事であります〕
この ささやかなブログをスタートさせたいという思いもあり
アレコレ 考えながら 知識ホボゼロ状態で パソコンを
いじくりまわしながら なんとか マイホームページを立ち上げたのだった
(なんとなく の記憶だが・・・タブン そうした流れだった)
そうして そのブログの初回日は 2008年(平成20年)1月12日 だった
外出を控える ゴールデンウィーク
まったくもって 想定外の日々
さすがに 事務所内で隙間時間が多い なので マイブログのことなど アレコレ 眺めたり
している
記事総数 1363
スタートから ホボ 4500日
ということで 10日に3個掲出 という割合で経過してきた
よくもマァ という思いもあるが さほどじゃないんだな という感覚もある
時の流れというものを思いながら ブログに登場のサマザマなシーンの背景などを
想いながら
頂いた タイセツな 時というものを想ってみたりしていたら
仮に80年間の人生だとして トータルでいくらほどの秒数を抱えることになりそうなのか・・・
などと たわいもないようなことまでボンヤリ浮かんできてしまって・・・・・・・ホボ 25億
それほどしかないものなのか それとも そんなにもあるものなのか ?
人として どちらの感慨を懐くものなのだろう ?
などという ある意味幼すぎるな とも思いつつも そんな問いを自分に向けながら
ブログを眺め返しもしながら なんどもアレコレ思っていたり の 今朝
無駄だな とおもえるような記事を整理するべきかな という動機もあって
トニカク 初回から読み返し始めたものの 本来自分の作り物への評価に甘い
こともあって
“ まぁ 今まで ここにチョコンと座っていてくれたのだし これからも
居てもらこととしようか ”
ということで 記事のカット・選択作業は 止めることとした
今の世界のことを思い 正直なところ やや 悶々ともしていたり なので
大変な思いで 日々過ごしている方たち(自身にしたって その ひとり ですが)と
ともに ナントカ 過ごしていきましょうね
という思い その言葉を発しながら 今事務所にいても 心は歩んでいる という
そのことにつきる 心境
なんとかできる という力を 悔しいけれど コレッポッチも持ちあわせていないという自身の現実
巷のために どれほど些細なことでもいいので なにかさせてくださいと 言いたくとも
何にもできない
外には出ないこと せめて それだけ
この なんとも表現のし様の無い心持をどうしたものか と 唖然 としている
だけれども 思い続けることはさせてもらいたい
一日も早く 巷に あの日常が戻ってくるように と さらに思い続け 心は歩み続け
さて
過去を想うばかりではなく こうした情況下であるからこそ これからの実務人としての心持を
整える資料の一部なりとも得たい という気持ちがあり その糧の一つとしてブログからも
今後 自身のなすべきことの指針を今日から数日は探り 築いてみようと 考えている
それとともに さらに 自身の実務知識の点検も モチロン 継続しなければと 肝に銘じている
今の時期
株式会社の株主総会 や 一般社団法人の社員総会 などもあろう
民法法人改革のときには 行政書士として移行法人への援助などで行政から協力するよう
お誘いなどあったり 大変な作業が遂行されたりしたことを思い出す
概ねのこととなることを許していただいてのことだが
これら組織の総会とマンション管理組合総会 との ある一面からの決定的な違い
それは 株主という地位を所持している者としての社員の集い・やむを得ない事由
があるときは いつでも退社可能な社団の社員としての集い というものとは違い
管理組合総会は 確固たる所有権を持つ一国一城の主の集いであるという
あたりに差異があるということ
安易に 他の団体論を借用してのIT関連仕組みの運用などには 注意が必要 と思える
のだが・・(当然だが 可能な範囲でのことは別論 として 曖昧不当な運用には慎重な検討
がなされるべきと思う)
そうしたことあたりから つくづく マンション学の 総論部の 奥の深さを 思うこと多し です