昨年末に逝った母を偲ぶ会(世間では 一周忌 とでも
言うのでしょうが)を持ち
兄弟と その相棒(奥さん)が集いました
その館に在った カラオケルームを借り切って
芸事が好きだった母を偲んで(父をも思いつつ)の
41年ぶりのセッション
昭和46年 北海道室蘭市で私の結婚式での演奏が
3人そろってということでは最後になっていたのを
復活したのでした
実は3人とも ミュージック好きが高じて 学業そっちのけ
の部類の青春時代経験者
その責任?の おおいなる張本人は 長男たる私め?であるような・・・
そんな状況下でも 母は 一切 小言を発したことがありませんでした
ああしなさい こうしなさい という類の言葉を両親から聞いたことがないのです(私は間違いなくそうでしたし おそらく 弟たちも)
貧乏なんてもんじゃない境遇にありましたが
実に 素敵すぎる自由がありました(人格形成上は やや?問題があったかもしれませんが・・・権威に服したことがないので 殻にしばられることができそうもない という生き方になってしまっていた<私の場合は>)
(奥さんたちも同席でしたが このショットになってしまいました・・・残念)
将来は オールディズでもひっさげながら いろいろな施設などを巡らせて
いただこうか とも 考えてはいますが(弟たちが現役を続行中なので 時期
不確定ですが)
さて 地道にこなさねばならぬ案件が 重なっていますが
頭の回路を切り替えながら
お仕事 お仕事 に 突入します
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