東京赤坂にある日枝神社・・・高層ビルに囲まれた中に鎮座されています。
その本社(ほんやしろ)が、埼玉県の川越市にあります。
本当に小さなお社です。
二礼二拍手一礼。
ここは、パワーを感じます。
本社の川越・日枝神社のちょうど「泰」・・・東南の方角に赤坂の日枝神社。
江戸の町、そして江戸城を造った太田親子・・・特に息子の太田道灌の働きかけがあったと言われています。
川越市の喜多院は、江戸の龍穴と言われています。
龍穴とは、風水でいうパワーが湧き出す場所・・・パワースポットです。
喜多院の「泰」・・・東南の方角に、江戸城を建築。
当時は、川越街道があり商流のメインストリーム・・・農産物や軽工業品などが、川越から江戸まで流れていました。
まさに、龍が通る道でパワーを流していたのでした。
風水地理学でも、西の白虎・・・広い道がキーとなります。
平安京・・・京の都では、山陰道が該当します。
さらに、川越の喜多院では、徳川家康公の軍師・天海僧正が、そのプレゼンスを発揮。
徳川家のブレーンとして、川越の地から江戸幕府をマネジメントしていました。
軍師であり、ブレーンであり、フィクサー・・・謎の人物。
生き延びた明智光秀だったのではないか、という歴史研究者もいるぐらいです。
僧侶でありながらも、陰陽師、風水師であったと考えています。
天海僧正のいた喜多院には、家光が誕生した部屋、春日局の部屋があり、公開されています。
質素ながらも武士らしい佇まいの喜多院。
織田信長公や豊臣秀吉公のような派手で贅沢な暮らしではなく、
質素倹約、質実剛健な指導・教育を家康公、家光公にほどこしたのではないかと推測しています。
世界にもあまり例を見ない、徳川300年の安泰の歴史を刻むことになります。
埼玉県川越市の日枝神社-東京赤坂の日枝神社
埼玉県川越市の喜多院-東京千代田区の江戸城・皇居
見事につながっています。
知人の社長は、会社を「泰」の方角に見る住宅を新築。
その後、10年にわたり増収増益を続けています。
経営、マネジメントに風水地理学を結びつける研究を続けています。