能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

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加藤友三郎の銅像・・・広島出身の初の内閣総理大臣・・・帝国海軍出身、戦前の日本で軍縮に努力した軍人政治家

2021年08月31日 | まち歩き

広島市の中心部にある中央公園。

ここに3年後には新しいサッカースタジアムが完成予定です。

J1のサンフレッチェ広島のホームになります。

新しいサッカースタジアムを建設するということで調査をしていたところ、旧帝国陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊(輜重隊)」施設の被爆遺構が発見されました。

原爆ドームや被服廠建物と同様に、ヒロシマにとって大切にしなければならない遺産です。

その前に立派な銅像が立っています。

加藤友三郎(1861年~1923年)の銅像です。

 

父は広島藩士。

広島の藩校(現在の修道高校)を経て、明治6年(1873)海軍兵学寮に入学。

明治16年海軍少尉に任官。

日清戦争では巡洋艦「吉野」の砲術長をつとめ、日露戦争では連合艦隊参謀長として東郷平八郎を補佐しました。

第2次大隈内閣、寺内内閣、原内閣、高橋内閣の海軍大臣。

大正10年(1921)ワシントン会議に首席全権委員として出席。

11年高橋内閣退陣の後を受けて、首相兼海相に就任。

シベリア撤兵、海軍軍縮条約を履行。

1921年に行われたワシントン軍縮会議では首席全権として出席。

その2年後・・・62歳に逝去。

海軍出身・・・戦前の日本で軍縮に努力した軍人政治家でした。

加藤友三郎は、明治、大正、昭和という激動の時代を走り抜けた海軍軍人です。

「坂の上の雲」を目指した大日本帝国の良識を持った人だったように思います。

英国海軍をお手本にした日本海軍・・・スマートでバランス感覚のあることを重視していたのだと思います。

この銅像は、大東亜戦争の際、物資調達のため溶かされたそうです。

そして、2008年に、再び銅像として復活。

広島出身の帝国海軍軍人が総理大臣になったということを始めて知ることが出来ました。


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