僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(3/15)山下君大学留年決定。

2008年03月15日 21時25分49秒 | 山P
東京の友人から
クロサギのチラシと
先日のはなまるマーケットのDVDが
送られてきた。
ありがとう。
チラシはこの間、映画館に行ったときには
クロサギだけがなくて
がっかりしただけにこれは嬉しかった。
しかも5枚ほど入っていたので
明日
友人にプレゼントできる。
明日は
クロサギを朝一で観てくる。
ブログ仲間は
もう5回も6回も行っているようで
凄いなあ、と感心している。

友人のその送ってきた品の中に
原稿が入っていた。
最初は手紙だと思った。
手紙は入れなかったとメールがあったのに
あれ?と思った。
彼女はライターである。
まちがって入れたのだろうか。
まるで
手紙のようで
内容を読んでいって
途中まで信じてしまったよ。
段々読んでいくうちに
これは
原稿だな・・と気づいた。
送り返したほうがいいかな。



Pちゃんが留年と、ヤフーのニュースに。
エエ~?!と声を出した。

Pちゃん、人生七転び八起きだなあ。
俄然ますます好きだ、こういう人生。
順風満帆が似合わなくて
新調したスーツを着ても、ファスナーを閉め忘れるとか
新調したスーツを着てカッコよく決めても、味噌汁こぼしてしまったとか
どこか
人間臭くて、ますます好きだ。
大学も、駄目なものは駄目、と一刀両断した所が好きだ。
仕事が多忙で、出席が儘ならなかったにしても
単位免除の理由にはならない。
付け焼刃のレポートなどでここで卒業しても
彼の心はどうだったろう。
やはりきちんと単位を修得して
遅くなっても卒業したほうが彼自身納得いくものになるだろう。
いつもいつも
サプライズな話題を提供してくれるPちゃん。
まだまだ曲がりくねった道は続くけれど
ポジティブに進んでいってほしい。
まっすぐな道は楽だけれど
坂や曲がった道は、人間に幅を持たせてくれる。
彼なりの考え方で、道を歩んでほしい。
フレンドパークで
「今年卒業だね。」と言われて観覧者から拍手を受けたとき
焦って、否定していた姿が可愛かった。
彼自身が一番、卒業できるか否かの瀬戸際の気持ちを知っている。
頑張れ、Pちゃん。
大好きだよ、Pちゃん。
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(3/15)タマの写真

2008年03月15日 12時19分05秒 | ネコ
秋も終わりのころ
庭のベンチで
寝ているタマ

庭が大好きだった。
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(3/15)タマの若い頃。

2008年03月15日 12時16分49秒 | ネコ
タマの元気な頃。
路地でくつろぐタマと
私の足。
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(3/15)タマの旅立ちの準備

2008年03月15日 12時14分30秒 | ネコ
夫はあれから1時間ほど
タマの傍にいた。

そのあと私はタマの横で
再び眠る。

6時半には夫が下に下りてきて
私を起こす。
他のネコたちのごはんを準備しなければならない。

市のペット火葬は
土曜日(今日)もやっていたが
すぐに火葬にするのはしのびなかった。
今日と明日は
うちに寝せて
月曜日に火葬にすることにした。

まだ暖房を使う今
腐敗が速くなると可哀想なので
ドライアイスを買いに行くことにした。

9時半
タマの実家に伝えに行く。
タマを可愛がっていた娘さん(在東京)には
奥さんからメールで知らせていただくとなった。
私も手紙を書くことにする、と言う。
奥さんはタマの年齢を正確に知らなかった。
もう10年以上は経っていますよね、と言う。
私は
19年ですよ、と言うと
驚いていた。
実家で生活をしていた時代よりも
うちで生活していたほうが長い。
もううちのネコである。
それでも
先日、散歩に行ったときに
実家の庭に行き
奥さんに抱きしめられたことは
タマにとっても心残りのないことだろう。

10時、ドライアイスを買いに行く。
1キロ、400円。2つ買う。
一日しか持たないとのこと。
大丈夫であろう。
2日間、腐敗を遅くするだけだから
なるべくドライアイスを空気に触れさせないように
しよう。

チーズを買った。
火葬のときには
缶詰を入れられないので
最後に食べてくれたチーズ、
そして当日には
ドライフード(散歩の後、必ず食べた。無いと怒っていた)
を入れる。
お花は後で買ってこよう。

買い物等を終えて
帰宅し
コタツの上で横になっているタマに
声をかける。

あとで少し毛をカットする。
それは形見にする。
これまでのネコのもそうだ。
焼かれるので、生きていた印の体毛を
少し残しておく。

大体、旅立ちの準備ができた。




不思議と涙が流れなかった。
今までのネコたちの死は
若くして病気になって苦しんでの死が
多かった。
可哀想で泣いた。
タマも腎臓病にはなったが
老衰もあろう。
十分生きた彼女を
十分愛してきた。
強かった心臓に尊敬の気持ちさえあるよ。
タマは
私の寝ている間に静かに
神の下に行った。



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(3/15)タマ、亡くなる。

2008年03月15日 04時03分19秒 | ネコ
2008年(平成20年)3月15日
タマの命日である。

タマが亡くなった。

そして愚かなことに
正確な時刻がわからない。

0時を回って
灯りを豆電球にしておいた。
口が開いたまま
呼吸の音が聞こえてきたので
灯りを小さくしてやったのだ。

この私もウトウトした。
というより
寝入ってしまった。
夢を見た。
銃をつきつけられて私が狙われている。
そのあと逃げて
ビルの2階の窓の淵にべったり貼り付いて
姿を隠すのだが
2階だからすぐに見上げられ見つかる。
私は飛び降りる。

その夢を見て目を覚ましたのが
3時少し前。
灯りをつけるのが怖かった。
この数時間寝ている間に
タマが死んでいるのを知るのが怖かった。

灯りをつけたら
タマの心臓は止まっていた。

あんなにこれまで
タマのうめき声ですぐに目が覚めていたのに
最期はうめくこともせず
心臓は止まったのだろうか。

姿は
灯りを消す前と同じだった。
もがくこともなく
暴れることもなく
あのままの姿勢で息絶えていた。

3時
2階に上がる。
夫が
「タマ、死んだのか。」と寝床で声をかける。
「死んだよ。」と答える。
夫が見に行く。
私も後をついていく。

そのままの姿だったね、と言う夫。
目が開いたままだったので
閉じさせてくれる。

タマがいつ来て
どんなプロセスがあって
うちのネコになったのか
を話す私。
こと細かに覚えているのは
日記を書いていたから。
夫は
ほとんど覚えていない。

夜が明けたら
タマの実家に知らせようとか
こちらで遺骨にすることを伝えようとか話し合った。

身体を見ると
最後のおしっこが出ていた。
よかったね、タマ。
こたつの下から
ダイジローが出てきて
タマを見ていた。

ダイジローやタヌとは決して
仲は良くなかったけれど
連結したこたつの中で
いっしょに寝ていたタマ。

夫は今も傍についている。

私はこうして
静かな気持ちで記録している。

命日を刻もうとしている。
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