10日(月・祝)その2.よい子は「その1」も見てね モコタロはそちらに出演しています
昨日、新文芸坐で、井出雅人・小國英雄・菊島隆三・黒澤明脚本、黒澤明監督による1965年製作映画「赤ひげ」(モノクロ・185分)を観ました
若き見習い医師の保本登(加山雄三)は、長崎への3年間の留学を終えて江戸に戻ってきた オランダ医学を修めた彼は幕府の御番医になるという夢を持っていたが、登が赴任することになったのは町の小さな診療所「小石川養生所」だった しかも、登の許婚だったちぐさ(藤山陽子)は、登が長崎にいる間に他の男と子供を作っていた 登の前に現れたのは養生所の所長で通称「赤ひげ」と呼ばれる新出去定(にいできょじょう:三船敏郎)だった 赤ひげは早速、登に本日からこの養生所で見習いとして勤務することを告げる。不満たらたらの登は御仕着を着ず、酒を飲むなど不真面目な態度を取り、養生所から追い出されることを期待していた ある日 登は、人を3人も殺して養生所内の薬草園の中の座敷牢に幽閉されている精神を病んだ女(香川京子)を見る しばらくして、赤ひげが不在の時、その女が牢を脱走し登の部屋に忍び込んで、登を殺そうとするが、間一髪で駆けつけた赤ひげに助けられる 赤ひげは登を叱ることはせず、「恥じることはないが、懲りるだけは懲りろ」と忠告する。数日後、登は赤ひげが執刀する手術の現場に立ち会い、あまりの凄まじさに失神してしまう それからというもの、登は赤ひげに付き添い、様々な患者の人間模様を身をもって知ることになる ある時、危篤状態の癌患者を診た時、病状を巡って登は赤ひげに論破され、自らの不甲斐なさを思い知らされる 赤ひげは、医療はあらゆる病気を治すことは出来ず、医療の問題は貧困と無知であると諭し、病の陰には常に人間の不幸が隠れていると語る 赤ひげの姿勢に心打たれた登は、着なかった御仕着を着るようになり、積極的に赤ひげの往診に同行するようになる。赤ひげは位の高い武家や金持ちからは法外な治療代を取り、その金を貧しい人々の治療費に充てていた 赤ひげは、貧困と無知さえ何とかできれば病気の大半は起こらずに済むと考えていた 登は初めて担当患者として12歳のおとよ(二木てるみ)を診ることになる。女郎屋で虐待を受け心身に深い傷を負い、誰にも心を開こうとしないおとよの姿に、登はかつての生意気だった頃の自分の姿を重ねていた 登は昼夜問わずおとよを看病し、ついに看病疲れから倒れて寝込んでしまう するとおとよは次第に心を開き、今度はおとよが登の看病に当たるようになる 人間としても医師としても成長した登は、元許婚だった ちぐさの妹・まさえ(内藤洋子)と結婚することになる 登はこの時、幕府のお目見得医への推薦が決まっていたが、小石川養生所での勤務を続ける意思を固めており、まさえに豊かな生活は期待できないと告げる。するとまさえは優しく微笑むのだった 登は赤ひげに意志を伝えると、赤ひげは自分は決して尊敬される人物ではないと言い、「お前は必ず後悔する」と反対する しかし、登の意志は固く「試してみましょう」と答える 2人は小石川養生所の門をくぐって行った
この映画は江戸時代後期の享保の改革で徳川幕府が設立した小石川養生所を舞台に、そこに集まった貧しく病む者とそこで懸命に治療する医師との交流を描いています
赤ひげたちが遊郭から おとよ を養生所に連れて行こうとした時、三船敏郎演じる赤ひげは素手で何人もの用心棒たちをボコボコにやっつけて骨折させますが、「いかん、医者たるものはこんな乱暴をはたらいてはいかん」と口にします その姿がカッコよく、刀を持たなくても三船の姿はサマになっています 本作はモノクロ映画にも関わらず、三船は本当にひげを赤く染めて1年半も演技をしたといいます この演技で「用心棒」に次いで2度目となるヴェネツィア国際映画祭・男優賞を受賞しています
おとよを演じた二木てるみの”目の演技”が素晴らしく、まさえを演じた内藤洋子を見て懐かしく感じました 中学生の時にテレビで観た「氷点」を思い出しました
物語は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を基盤としていますが、後半のおとよ(二木てるみ)の物語はドストエフスキーの「虐げられた人びと」をベースにしています 原作者の山本周五郎をして「原作よりもいい」と言わしめた本作は興行的に大ヒットを収め、この年の日本映画の興行収入ランキング第1位となりました
ところで、個人的なことですが、今から30年数年前、この映画の舞台となっている「小石川養生所」の近くに住んでいました 正確に言うと「小石川植物園」の近く(文京区白山4丁目)に住んでいました。「小石川植物園」の歴史を振り返ると、1638年(寛永15年)に徳川幕府が江戸の南(現在の南麻布)と北(現在の護国寺付近)に薬園を開設しますが、護国寺の設立に伴い、麻布南植物園に移設します その後、1684年(貞亭元年)に麻布南薬園を小石川御殿内の北側に移します そして1722年(享保7年)に小石川薬園内に養生所を開設します。これがこの映画の舞台となっている「小石川養生所」です その後、1875年(明治8年)に文部省所轄教育博物館付属・小石川植物園と改称され、1877年(明治10年)に東京大学の設立に伴い、法理文三学部付属植物園と改称されます 現在は東京大学大学院理学系研究科の付属施設となっています 子どもたちが幼い頃は、2~3月には梅を観に、3~4月には桜を観に行きました。当時は「赤ひげ」のことを知らなかったので、映画の舞台がこんな近くにあったとは気が付きませんでした
新文芸坐で上映中の「開館20周年記念番組 銀幕に甦れ! 黒澤&三船」特集も今日と明日を残すのみとなりました 私は本日「天国と地獄」を、明日「生きものの記録」を観ます