31日(日)。月日の流れは速いもので 1月も今日で終わり、今年も残すところあと334日になってしまいました 私の3つの目標の今月の成果はクラシック・コンサート9回、映画22本、読書5冊でした 2月からコンサートを少しずつ増やしていきます
ということで、わが家に来てから今日で2313日目を迎え、東京五輪・パラリンピックの選手村として使った後に分譲される東京・晴海のマンション群「晴海フラッグ」は、大会延期で引き渡しも1年程度遅れる見通しだが、売主側は「予見できなかった」として補償を拒否、一方、購入者の一部は近く賠償を求めて東京地裁に民事調停を申し立てる というニュースを見て感想を述べるモコタロです
購入者にとっては高い買い物だ 誰に不平不満をぶつければいいのか 不条理だよね
新国立劇場から「『夜鳴きうぐいす/イオランタ』『ルチア』実施決定のお知らせと特別先行販売のご案内」が届きました ストラヴィンスキー「夜鳴きうぐいす」とチャイコフスキー「イオランタ」のダブルビル公演については4月4日(日)14時開演の部、ドニゼッティ「ルチア」公演については4月18日(日)14時開演の部(それぞれ初日公演のA席)を申し込みました この公演は、「通常の座席配置(1階1列~3列を除く)での販売を予定しているが、政府及び東京都の判断により、イベント収容率に変更が生じた場合は、途中でチケットの販売を中止する場合がある」としています 私は「夜鳴きうぐいす」は今回が初めてで、「イオランタ」はMETライブビューイングで観ました
昨日、渋谷の東急文化村「ル・シネマ」で「甦る三大テノール 永遠の歌声」(2020年製作・ドイツ・94分)を観ました
この映画は「三大テノール」として活躍したルチアーノ・パバロッティ(1935年生)、プラシド・ドミンゴ(1941年生)、ホセ・カレーラス(1946年生)が共演する模様を、未公開映像を交えて構成したドキュメンタリーです 3人は音楽とサッカーをこよなく愛し、親友でありながらもお互いがライバル同士だったテノール歌手です 彼らが「三大テノール」として活躍を始めたのは、1990年のイタリア ワールドカップ・サッカーの前夜祭として開催され、白血病を乗り越えて復活したホセ・カレーラスが出演したローマ・カラカラ浴場でのコンサートからでした 3人は2007年にパバロッティが他界するまで、世界中の音楽ファンを魅了し続けました 本作では、3人の活動の中で、これまで未公開だった94年のロサンゼルス・ドジャースタジアムのバックステージの映像なども盛り込み、彼らの歌声とともに、音楽を心から楽しむ3人の姿が描かれています
1990年に初めて3人の競演が実現したのは、闘病生活から復帰したカレーラスが、マネージャーのマリオ・ドラディに「今までにないコンサートにしたい」と相談したところ、マリオは「それでは、パヴァロッティとドミンゴに声をかけて一緒にやったらどうか」と提案したのがキッカケだったとのことです マリオは次のように語っています
「パヴァロッティは最年長で、恐らく当時3人の中で最も有名だった。エルメスのスカーフと白いハンカチがトレードマーク。叙情的で、天使のような歌声は、最高音でも揺らぐことがなかった ドミンゴは知性派メンバー的な存在で、きらびやかな高い声というより、神秘的な男らしい声 カレーラスは、最もドラマティックで、恐れ知らずだった 3人のテノール歌手が一緒に舞台に立つオペラなんてこれまではなかった。だから特別に作り上げなければならなかった 取り掛かりはすごく難しかった。とても慎重なアプローチを取ったんだ。最初のリハーサルの時は混とんとしていた。何もかもうまくいかなくてね。実現するかどうかみんな不安に思ったよ」
それはそうだと思います。個性の強い世界トップクラスの3人のテノール歌手が1つのコンサートに出演して歌を競うのですから そんな個性派揃いの3人の間に立って緩衝材的な役割を果たしたのは指揮者のズービン・メータだったようです 彼は語ります
「舞台に出る前、3人は抱擁し合い、互いに励ましの言葉をかけ、『幸運を!』と声をかけた 3人はとても緊張していたよ。何が待ち受けているか分からなかったからね。お互いに対する競争心もあったが、みんな冷静を装っていた 私たちは、この競演がどんなに重要な意味を持つことになるのか、想像すらしていなかった コンサートが終わり、観客が椅子の上に立って拍手喝采を送っている姿を見ながら、自分たちがまったく新しい時代の幕を開けたと実感したんだ」
当日のコンサートの模様はイタリア放送協会が手掛けましたが、メータの言葉を裏付けるように、世界で8億人が視聴し、「三大テノール・コンサート」のレコードは3日間で50万枚、1カ月後には300万枚、そしてクラシック界最大の1600万枚のベストセラーとなりました ここから、3人の快進撃が始まります
1990年のコンサートの大成功を受けて、4年後の94年6月から7月にかけてアメリカで開催された第15回FIFAワールドカップでは、決勝戦前夜蔡コンサートが開かれました 7月16日にはロサンゼルスのドジャー・スタジアムに5万6000人の観客が集まり、100以上のネットワークで放映され、13億人が視聴しました その後、三大テノールの世界ツアーが始まり、日本、オーストラリア、スウェーデン、ドイツ、アメリカへと続きました
ただし、大規模会場に多くの観客を集めて歌う彼らの活躍(とくに94年のロスでの公演以降)には「クラシック・ファンの拡大に貢献した」という評価とともに、「クラシック音楽への冒涜だ。商業主義に屈した」という辛口の評価も寄せられました 3人はとてつもないギャラを手にして「一晩でアメリカン・ドリームを叶えた」とも揶揄されました しかし、そもそも「三大テノール」コンサートがカレーラスの白血病からの復活を祝って開かれたこともあり、コンサートの収益の一部は白血病の研究と、骨髄提供者の登録支援事業に財政的支援をする「ホセ・カレーラス国際白血病財団」へ寄付されていることを忘れてはならないと思います
映画の中で紹介されるコンサートでは、プッチーニ「トスカ」よりカヴァラドッシのアリア「星は光りぬ」「妙なる調和」、同「トゥーランドット」よりカラフのアリア「誰も寝てはならぬ」、クルティス「帰れ、ソレントへ」、チレア「アルルの女」よりフェデリコのアリア「あるふれた話」、ヘンリー・マンシーニ「ムーン・リバー」、カプア「オ・ソレ・ミオ」、ソロサバ―ル「港の酒場女」よりアンドロのアリア「そんなことはありえない」、ヴィンチェンツォ・ダン二バーレ「太陽の土地」、メキシコ歌謡「シェリト・リンド」、レオン・カヴァッロ「マッティナータ」、アグスティン・ララ「グラナダ」などがソロで、メドレーで、三重唱で歌われます 3人とも凄いとしか言いようがないのですが、特にあらためて感動するのはパヴァロッティの歌う「誰も寝てはならぬ」です この歌を聴いて感動しない人はいないでしょう また、1990年の初めてのコンサートで、当初予定していなかったアンコールとして急きょメータを含めた4人で決めた「オ・ソレ・ミオ」の3人によるメドレーは、その場にいなくてもスタンディングオベーションものです
オペラファンにはたまらない映画ですが、クラシックに興味がない人にも感動を呼ぶドキュメンタリーです 強くお薦めします