箱根駅伝予選会

2016年10月15日 10時18分43秒 | 社会・文化・政治・経済
創価大学が箱根駅伝へ

箱根駅伝予選会をテレビで観ているが、日本大学は10㌔通過でぎりぎり。
明治大学、中央大学もまさかの予選会からのスタートである。
長男の中央学院大学は、箱根駅伝の常連となる。
そして創価大学が上位通過。
昨年13位で通過できなかった国学院大学や神奈川大学、東京農業大学などがどうなるのか?













野球ファンと競輪ファンは、基本的に違う

2016年10月15日 08時13分06秒 | 未来予測研究会の掲示板
「言ってもはじまらなにのであるが、ファンあっての競輪選手なのだ」と利根輪太郎は期待していた。
だが、全然、選手たちはそのことが分かっていないのである。
野球ファンと競輪ファンは、基本的に違う。
競輪ファンは常に選手の走りにお金をかけているのだ。
そのことが、どれほどシビアに競輪選手たちに浸透しているのだろうか?
ファンに支持された本命選手が、無謀にも逃げてしまう。
例えば1・5倍の堅い本命車券は瞬間的に紙屑同然になるのだ。
バンク1周半を逃げて、勝てる選手などまずいない。
あるいは、本命選手が勝負どころで、7番手、8番手後方に置かれる。
自転車の長さと車間が2㍍以上として、大きく出遅れて勝てるはずがないのである。
脚力が拮抗していれば、なおさら。
走る格闘技でもある競輪競技は、邪魔をされたり、抵抗されるのだ。
つまり、選手たちは力どうりにまともに走れない。
推理が及ばないアクシデントもある。
それが落車である。
ギャンブルの所以なのだ。

地獄に仏の出現

2016年10月15日 07時19分27秒 | 創作欄
死ぬまで競輪を続ける人間と、途中で競輪をピタリと止める人間がいる。
宮田虎之助は前者である。
「俺は、一生道楽で行くんだ」と公言していた。
妻は夫に哀想をつかしたが、別れようとはしなかった。
離婚する人間と何があっても離婚しない人間がいる。
絹は後者であった。
ある意味では昔堅気の人間とも言えた。
嫁ぐ時に絹は母親から「何があっても、一生、添い遂げるのだよ」と忠告されていたのである。
「死が二人を分かつまで」夫婦関係を続ける覚悟であった。
虎之助の母親も夫から毎日のように暴力を振るわれてきたが、分かれなかった。
大型量販店が取手駅前にできた時から絹は働きだしていた。
高校生になった娘もバイトをして家計を助けていた。
虎之助は職を転々としていた。
会社の金を遣い込んで懲戒免職にもなった。
仏壇屋に勤めていた時には300万円も遣い込んだのである。
競輪場で知り合った守谷の染谷金蔵は、土地が高騰して成り金になっていた。
父親が死んで300万円の仏壇を虎之助に頼んだ。
「領収書は何時でもいいよ」と染谷は現金300万円を虎之助に渡した。
「この金を何倍かにしてやる」虎之助はその金を持って、大宮競輪場へ行ったのだ。
その日は、大宮競輪開設記念のレースが行われていた。
レースごとに10万円単位で車券を買う。
だが皮肉なもので、買った車券はことごと外れた。
その日で140万円を失う。
虎之助はキャバレーで飲んで帰るが、彼を囲んで座っていた女4人に1万円づつを渡した。
「社長さん」と呼ばれて虎之助は鼻の下を長くしたのである。
寿司屋に寄って2万円余を遣う。
翌日、虎之助は残りの金も遣い果たして、愕然とした。
そして、サラ金から100万円を借りて再び大宮競輪場へ向かう。
その100万円も失う。
次の日は、別のサラ金から100万円を借りた。
当時のサラ金は年利48%であった。
完全な窮地に追い込まれ、気も狂わんばかりとなる。
「死ぬ他ない」と酒を飲みながら否定的な想念に囚われ、地獄の中に深く沈んで行く気分に襲われる。
利根輪太郎が背後から「虎さん」と声をかけた。
その声の明るさが虎之助には応えた。
「俺はもうダメだ」と虎之助は虚ろな目で言う。
「何がダメなんですか」輪太郎は大吟醸酒を注文して、それを如何にも美味しそうに飲んでいる。
虎之助は自分の不祥事を明らかにした。
「なるほど、そうですか。気持ちは分かります。しかし、負け続けたのですね。皮肉ですね。運に見放されいますね。私が当面、仏壇屋への300万円を何とかしましょう」まさに地獄に仏の出現であった。