「実践的ギャンブル論」

2016年10月16日 08時14分44秒 | 日記・断片
利根輪太郎は、宮田虎之助の姿に自分の姿を重ねてみた。
実は輪太郎自身、競馬で300万円の借金をした経験があったのだ。
彼が思い付いた「実践的ギャンブル論」は、机上の空論に過ぎなかったことを思い知らされた。
儲けるという字は、信じる者と書く。
では、何を信じるのか?
競馬は馬が走るのであるが、馬券は数字である。
馬券上では数字が走るのである。
例えば1-4という買い目だけを、追い続けることもできる。
写真判定で同着になることもあるが、当たり馬券はあくまで1点である。
大穴馬券を的中した人が、「出目でなくては大穴は取れないよ」と言っていた。
聴くところによると、その人は出目を頼りに馬券を買っていた。
例えば、本命が3-6の場合、3◎ー6の記号で表示される。
そこを2無印―6の記号に置き換えて、馬券を買う。
2-6が外れたら、2-6が出るまで追い続けるのである。
1回目2-6 1000円、2回目2-6 1000円、3回目2-6 1000円。
4回目2-6 2000円、5回目2-6 2000円、6回目2-6 2000円。
7回目2-6 4000円、8回目2-6 4000円 9回目2-6 4000円。
10回目2-6 8000円 11回目2-6 8000円 12回目2-6 8000円
つまり、2-6の出目で馬券を追い続けるのである。
利根輪太郎は、それを「実践的ギャンブル論」として、実践したのだ。
ギャンブルは常識で考えていては、いつも損ばかりでなかなか儲からない。
常識をひっくり返す。
つまり逆転の発想であった。
その結果、馬券で300万円の借金となる。
実際に1000円で万馬券も当てた。
2-6の馬券が20倍以下なら買わなかったのだが・・・

輪太郎は、虎之助に言った。
「サラ金に200万円の借金があるのですね。まず、それを何とかしましょう」
「何とかなるの?」虎之助は、客から受け取って仏壇300万円の料金を遣い込んでいた。
それを輪太郎が肩代わりしてくれていた。
なぜ、そこまでしてくれたのか?
人を好きになる感情は抑えがたいものだ。
輪太郎は虎之助に胸の内を明かさなかったが、虎之助の娘の芳子に惚れてしまったのである。
年がいもなく、39歳の輪太郎が24歳の芳子に惚れのだ。
芳子を悲しませたくなかったので、窮地にある父親の急場をまず救ったのだ。
サラ金200万円の借金の利子は、年率48%。
何時までも借りて居られない。
9人で走る競輪であるが、意外にも万車券が出る頻度が高い。
昭和50年代、車券は6枠であった。
軸さえ決まれば比較的的中しやすい。
輪太郎は取手に在住してから、競馬を止めて競輪に転向していた。
その競輪場で宮田虎之助と出会い意気投合する仲となった。
「俺のところへ寄って行け」人の良い虎之助は輪太郎を自宅に招いた。
台宿の切り通しの坂下にある3間の借家であった。
「母は仕事に出ていますので、私が夕飯を作ります」と娘の芳子は、突然、訪れた輪太郎を快く迎え入れたのだ。
芳子は虎之助に面影が似ていた。
2人を見比べると似た者同士に映じた。
「俺に気性も似ていてな」と相好を崩した。
芳子は近くの井野団地の診療所で看護婦をしていた。
医療ジャーナリストであった輪太郎は、虎之助に職業を明かしていなかったが、芳子に親近感を抱いた。