小さな命の意味を考える会
1 子どもを救う方法は十分あった。
2 地震発生後,校庭に避難し点呼。津波が来るまで校庭待機。
3 移動時間は約1分。わざわざ民家裏の細道を通り,津波が来るのに川に向かっている。
4 避難可能な情報は十分あった。
考察1 当日の避難行動について
■ 移動開始は津波到達の1分前。
■ 狭く,行き止まりのルートを通って,川に向かって移動。
あの状況においては明かな判断ミスです。何がそのようなミスに結びついたのかが検証のポイントです。このことは,震災間もない時期に既に明らかになっており,平成24年10月28日の市教委との話し合いで,遺族有志が明確に指摘し,資料も提出しています。
あの状況においては明かな判断ミスです。何がそのようなミスに結びついたのかが検証のポイントです。このことは,震災間もない時期に既に明らかになっており,平成24年10月28日の市教委との話し合いで,遺族有志が明確に指摘し,資料も提出しています。
震災時の児童数は108人。
校庭に、77、8が残っていたといわれている。
そのうち74人が犠牲になった。
70人が死亡、4人行方不明。
先生方は11人中、10人が亡くなった。
地震発生から51分も校庭に生徒たちを留めていた。
校庭には下校のためのスクールバスも待機していて、バス会社からは運転手に盛んに無線が入っていた。
子どもを乗せて早急に逃げろと。
学校側はバスで逃げる判断をしなかった。
運転手も犠牲となった。
「先生、山に逃げてね」と伝えにきたお母さんもいた。
<シイタケ山>へは2、3分で登れる距離であった。
救えた命、救うべき命、救ってほしい命であった。
山の方へ逃げるべきだと思っていた先生もいた。
しかし、それが組織の意思決定にはならなかった。
なぜなのか。
未来に向けた大切な、本当に大切な教訓である。
考察1 当日の避難行動について
考察2 山について
四つん這い、泥だらけになって山を登った小学校もあります。
登れるかどうかではなく、「なぜ登らなかったのか」を検証すべきです。
山は余震で崩れるかもしれないというのであれば、他の手段を講ずるべきなのですが、その話し合いをした様子はありません。「子どもを預かり守る組織としての意思決定のあり方」が公式には論じられていません。
毎年3月に、シイタケ栽培が行われていた。前年まで3月の恒例行事だった。ここまで登っていれば助かっている。
校庭脇の斜面も低学年の授業で登っている。
体育館裏のシイタケ栽培をしていた山(1分30秒の所まで登れば助かっている)
佐藤敏郎(さとう・としろう)さん:宮城県の女川町、東松島市の中学校教諭として国語、防災を担当。
「小さな命の意味を考える会」代表 震災で当時石巻市立大川小学校6年生の次女が犠牲に。
生年月日: 1963年8月29日出身地:石巻市(旧河北町)生まれ。
1 子どもを救う方法は十分あった。
2 地震発生後,校庭に避難し点呼。津波が来るまで校庭待機。
3 移動時間は約1分。わざわざ民家裏の細道を通り,津波が来るのに川に向かっている。
4 避難可能な情報は十分あった。
考察1 当日の避難行動について
■ 移動開始は津波到達の1分前。
■ 狭く,行き止まりのルートを通って,川に向かって移動。
あの状況においては明かな判断ミスです。何がそのようなミスに結びついたのかが検証のポイントです。このことは,震災間もない時期に既に明らかになっており,平成24年10月28日の市教委との話し合いで,遺族有志が明確に指摘し,資料も提出しています。
あの状況においては明かな判断ミスです。何がそのようなミスに結びついたのかが検証のポイントです。このことは,震災間もない時期に既に明らかになっており,平成24年10月28日の市教委との話し合いで,遺族有志が明確に指摘し,資料も提出しています。
震災時の児童数は108人。
校庭に、77、8が残っていたといわれている。
そのうち74人が犠牲になった。
70人が死亡、4人行方不明。
先生方は11人中、10人が亡くなった。
地震発生から51分も校庭に生徒たちを留めていた。
校庭には下校のためのスクールバスも待機していて、バス会社からは運転手に盛んに無線が入っていた。
子どもを乗せて早急に逃げろと。
学校側はバスで逃げる判断をしなかった。
運転手も犠牲となった。
「先生、山に逃げてね」と伝えにきたお母さんもいた。
<シイタケ山>へは2、3分で登れる距離であった。
救えた命、救うべき命、救ってほしい命であった。
山の方へ逃げるべきだと思っていた先生もいた。
しかし、それが組織の意思決定にはならなかった。
なぜなのか。
未来に向けた大切な、本当に大切な教訓である。
考察1 当日の避難行動について
考察2 山について
四つん這い、泥だらけになって山を登った小学校もあります。
登れるかどうかではなく、「なぜ登らなかったのか」を検証すべきです。
山は余震で崩れるかもしれないというのであれば、他の手段を講ずるべきなのですが、その話し合いをした様子はありません。「子どもを預かり守る組織としての意思決定のあり方」が公式には論じられていません。
毎年3月に、シイタケ栽培が行われていた。前年まで3月の恒例行事だった。ここまで登っていれば助かっている。
校庭脇の斜面も低学年の授業で登っている。
体育館裏のシイタケ栽培をしていた山(1分30秒の所まで登れば助かっている)
佐藤敏郎(さとう・としろう)さん:宮城県の女川町、東松島市の中学校教諭として国語、防災を担当。
「小さな命の意味を考える会」代表 震災で当時石巻市立大川小学校6年生の次女が犠牲に。
生年月日: 1963年8月29日出身地:石巻市(旧河北町)生まれ。