人間は、真の自由を手にできたのだろうか?

2017年10月03日 20時41分19秒 | 社会・文化・政治・経済
ルネサンス(仏: Renaissance)は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。

日本では長らく文芸復興と訳されており、ルネサンスの時代を「復興期」と呼ぶこともあったが、文芸のみでなく広義に使われるため現在では余り使われない。
ルネッサンスとも表記されるが、現在の歴史学、美術史等ではルネサンスという表記が一般的である。
商業・経済[編集]
メディチ家
ロレンツォ・デ・メディチ

思想[編集]

「ルネサンス哲学」を参照
マキアベリ 『君主論』
人文主義者の項も参照

文学[編集]

「ルネサンス文学」を参照
ダンテ・アリギエーリ トスカナ地方の俗語で『神曲』を著し、標準イタリア語の基礎を築いた
ペトラルカ 古典文学の研究、キケロを賛美した
ボッカチオ 『デカメロン』
アリオスト 『狂えるオルランド』

美術[編集]

「ルネサンス美術」を参照

「ルネサンス期のイタリア絵画」を参照
ジオット
ボッティチェリ
ドナテルロ
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ミケランジェロ
ラファエロ
ティツィアーノ
アルチンボルド

音楽[編集]



ルネサンス期の器楽曲・声楽曲は、イタリアよりブルゴーニュ、フランドルが中心であった。
イタリアではルネサンス後期に至ってようやくパレストリーナが登場した。
ギヨーム・デュファイ フランドルのカンブレ出身で、20代・30代の大半をイタリアで過ごす。
のちカンブレに戻り、ブルゴーニュ楽派の中心になる。
ジョスカン・デ・プレ
パレストリーナ
カメラータ - 16世紀後半にフィレンツェで結成されたグループで、「古代ギリシア音楽の復興」を目的とした。
主要メンバーは、ジュリオ・カッチーニとヴィンチェンツォ・ガリレイ。
ヤコポ・ペーリ - 古代ギリシア悲劇を範に取り、オペラを創出。
クラウディオ・モンテヴェルディ - ルネサンス後期〜バロック初期の最も重要な作曲家の一人。『ポッペーアの戴冠』は初期オペラの最高傑作の一つとされる。

建築

「ルネサンス建築」を参照
ブルネレスキ
アルベルティ
ブラマンテ
ミケランジェロ
パラディオ

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ルネサンスには、人間の解放があり、自由があり、それは、人間という原点への目覚めをまたらした。
宗教改革にも結びついていく。
「古代に帰れ」「古典に帰れ」「人間に帰れ」との思潮のもと、人間を「神」と「教会」の軛(くびき)から解き放ち、その可能性を開花させていった。
ヒューマニズムの勝利であり、人間的自由の賛歌であった。
しかし、人間は、真の自由を手にできたのだろうか?
本当に人間は、歴史の主役の座を手にしたのか?
残念ながら、違うといいわざるをえない。
むしろ、人間は「国家制度」「イデオロギー」「宗教」「哲学」「科学」「機械」「政治体制」「経済」「金」の奴隷になってしまっている。
肥大化するエゴイズムのぶつかり合い。
精神の放縦、精神の劣化、独裁、言論統制、戦争・紛争など憂慮すべき現代の魔に翻弄され続けている状態である。
ルネサンスとは、著しくかけ離れた時代に陥っている。

昨日は、東京・北区へ行った後、埼玉県の三郷方面へ

2017年10月03日 13時21分19秒 | 日記・断片
DeNAが2年連続クライマックスシリーズ(CS)進出を決めた。
アレックス・ラミレス監督(42)の信念に基づいた采配が高く評価されている。
アンチ巨人の友人たちと、「良かった」と笑顔で酒を飲む。
当方も(19歳~32歳)家人も(16歳~28歳)も神奈川県育ちで相模原市に実家があり横浜も応援していた。
2007年4位
2008年6位
2009年6位
大矢監督
2010年6位
2011年6位
尾花監督
2012年6位
2013年5位
2014年5位
2015年6位
中畑監督
2016年3位
2017年3位
ラミレス監督
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昨日は、東京・北区へ行った後、埼玉県の三郷方面へ行く。
希望の党の細野豪志元環境相の地盤であった。
異例の短い衆議院選挙。
スピードが肝要。
火曜日は地区の打ち合わせ(午前10時30分から)。
明日は再び、北関東ブロックの支援活動に行く予定だ。
更に、金曜日も予定している。
土曜日は病院へ。
血液検査と造影剤を使用したCT検査。
10月13日午前10時30分~外科の外来が予定されている。
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思えば、参議院選挙の時に、背中の痛みが続いていた。
初めは、車の座席に座り続けているせいかと想う。
座席から立ち上がると背は直ぐには真直ぐならない。
歩くのが苦痛となる。
さらに1年後同じように車の座席に座り続けると立ち上がるのが苦痛となる。
そして、冷えた麦茶を飲むとお腹が傷む。
日本酒がまずくなる。
「顔が白いよ。どこか体が悪いんじない。病院へ行ったら」と知人に指摘される。
別の友人も「確かに顔白いね。日焼けしているはずなのに」と言われる。
健康診断を勧められて1年後、息切れと立ちくらみを経験。
「これは、心臓に問題があるのか」と心配となる。
呼吸も荒くなり、自宅で倒れる。
隣の春川さんに頼み、車で東取手病院にヘ送ってもらう。
血液検査とCT検査。
ヘモグロビンの数値が正常値の3分の1に。
輸血と即入院しての検査を勧められる。
それを拒絶して、家人が人に相談し大ごととなる。
自分のペースが乱される。
北柏の慈恵医科大学へ行くつもりであったのだが・・・。
翌日の会合に出られないことを連絡したまでは良かったのに。
悔やむことばかりとなる。
東取手病院は3日入院して検査をすると言っていたが、ネットで調べたら外来でも検査できることを知る。
ちなみに、東取手病院へ入院していたら、柏のがんセンター病院にお世話になっただろう。